5 祓戸大神

「『古事記』の伊邪那岐いざなぎ黄泉よみくだりはなおさん、わかります?」

「まあ、それは一応……アレでしょ、死んだ奥さんの伊邪那美いざなみを追いかけて黄泉よみまで行ったはいいけど、うっかり伊邪那美いざなみの事見ちゃって追っかけられるやつ」


 信号が青に変わったので、直人なおとが車を発進させる。


「じゃあ、その後は?」


 ひろの言葉に、直人なおとはその後ぉ? と困惑混じりの声を上げている。

 後部座席の織歌おりかには、ルームミラーに映る眉間にしわを寄せた直人なおとの顔が見えた。


「まあ、オジサンも伊達だて紀美きみくんに付き合ってるわけじゃないからなあ……アレだよね、岩をはさんでの問答」

「じゃあその後は?」


 矢継やつばやの質問に、ひろが楽して説明しようとしているのを織歌おりかさっする。

 ショートカット地点をさぐっているのだ。


「えっ……天照あまてらす月読つくよみ須佐之男すさのをが生まれる?」

「おー、飛んだ飛んだ。やっぱ知名度的には三貴子みはしらのうずのみこの誕生にいきますよね」


 なおさんがここまで知ってたらどうしようかと思った、とひろつぶやく。


「……オジサンは三貴子さんきしを読みくだしでそらんじたひろちゃんにびっくりだよ」


 くるくるとハンドルを回しながら直人なおとがそう言う。

 カーブを曲がる遠心力に合わせて、織歌おりか身体からだは右側に揺れた。


「問答後、伊邪那岐いざなぎは、黄泉よみのせいでけがれたから、と水にかって、あらゆるけがれを洗い落とします。まあ簡単に言ってみそぎです、みそぎ


 がさごそ、とひろがどうやらウエストポーチの中を探っているようだ。


三貴子みはしらのうずのみこ天照あまてらす月読つくよみ須佐之男すさのをの三はしらが生まれるのはそのみそぎの最後です」

「あー、その言い方、それより前に生まれた神様もいるって事? そこに答えがあるわけ?」

なおさん、先生の数少ない友人なだけはありますね。さっしが大変よろしい」


 目当てのものを見つけたらしいひろの手元から、ぴりぴりぴり、と何かを開ける音がする。


みそぎの中でまず生まれたのは、伊邪那岐いざなぎが脱ぎ捨てた道具や衣服、装飾品から生まれた十二はしらの神。杖の衝立船戸神つきたつふなどのかみ、帯の道之長乳歯神みちのながちはのかみ、荷物の袋の時量師神ときはかしのかみ、脱ぎ捨てたころも和豆良比能宇斯能神わづらひのうしのかみはかま道俣神ちまたのかみかんむり飽咋之宇斯能神あきぐひのうしのかみ、左手の三つの手纏たまき、つまりは今のブレスレットから生まれた、奥疎神おきざかるのかみ奥津那芸佐毘古神おきつなぎさびこのかみ奥津甲斐弁羅神おきつかひべらのかみ、右手の三つの手纏たまき辺疎神へざかるのかみ辺津那芸佐毘古神へつなぎさびこのかみ辺津甲斐弁羅神へつかひべらのかみまでの十二はしら……とはいえ、今回は重要ではないです」


 何か取り出したらしいひろがシートベルトをめた身をよじって、後部座席の織歌おりかに握り拳を差し出してくる。

 織歌おりかがその下で両手でおわんを作るようにすると、ひろゆるめた拳から、ころりと包装されたあめが転げ落ちた。

 その扁平へんぺい楕円だえんのシルエットは、どうやらバターキャンディのようだ。


「あ、ひろちゃん、ありがとうございます」


 織歌おりかがそう言うと、ひろは軽く手を上げるジェスチャーを返してきた。


なおさんもいります?」

「んー、オジサンは別にいいや。それより、重要じゃないってところで終わったんだけど」


 直人なおとにそう言われても、ひろはまずマイペースに自分の分のあめを取り出してぺりぺりと包装をくと口に放り込んだ。

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