13 全てよしではないかもしれない

 ◆


「ただいまもどりましたー」

「ただいま」


 口々に帰宅を告げれば、奥から飛び出してきたのは狼狽うろたえて半べそをかいた織歌おりかだった。


「あああ、お帰りなさいー……ひ、ひろちゃーん」


 それだけで、ひろよもぎからの伝言を思い出して、そして察した。

 なので、靴をとっとと脱ぎ捨てると、そのまま織歌おりかが飛び出してきたリビングに飛び込んで、あわあわしてる紀美きみが手にした受話器をひったくる。


『だからな、葛城かつらぎく……』

?」


 そう言えば、向こう側の刺々とげとげしい雰囲気がスライムのようにやわくなる。


『おお、ひろ! 無事だ……』

 自分の事を棚に上げてまったく」

「うわあ……理不尽……いっ!」


 ぼそりと背後で紀美きみつぶやいたので、ひろは無言でその足を踏んづけておいた。

 まず、誰のせいだ、という話である。


『いや、だって、お前、神隠しのって』

「わたしが志願したの! それに一人だけってわけじゃなかったし」

『うん? さっき電話に出たのは最近加わったとかいう女の子だったから、あのひょろい坊主と?』

「ひょろいけど紳士だよ! 父さんやお兄ちゃんよりもずっとデリカシーはあるよ!」

『な……』


 何度かその事実を叩きつけているはずなのだが、父も兄も毎度のようにショックを受け続けている。

 ひろとしては、いい加減に納得して慣れてほしい。それが父と兄のデリカシーの第一歩だとも思う。


「というわけで、これ以上何かある? わたしはこうして五体満足だよ?」

『ぐう……』

「……心配なのはわかるし、どうやっても危険な橋を渡ることがあるのは、父さんもお兄ちゃんもわかってるからだっていうのは知ってる。でも、わたしはわたしの意思でここにいるし、だからこその。お兄ちゃんにも言っといてね」


 しかし、向こう側からは沈黙しか帰ってこない。


「もしもし? 父さん? 聞こえてる?」

『……そうか、ひろ、お前あのひょろい坊主にけそ』

「そういうとこがデリカシーないっつってんだよ!」


 思わず、すごい剣幕で怒鳴どなってしまった。

 後ろからの紀美きみの視線がめちゃくちゃ恐る恐るしている。


 しかし、懸想けそうなんて我が父ながら固っ苦しい言葉遣いだ。

 いや、そりゃあ、ひろだって女の子だもの。

 初めてロビンを見た時には、精神的に弱ってたのもあって、やたら目つきが悪い王子様っぽい人ぐらいには思った。

 当時中学生の乙女のさかりにそれぐらい思って悪いか、チクショウ。

 まあ、当時だ、当時。


 そんな風に内心開き直っていると、怒鳴どなり声に驚いていた受話器の向こうから、猫なで声が聞こえてきた。


『……う、うん、ひろ、わかったから、お父さん、わかったから、ね、ごめんね』

「……わかればよろしい」


 もうこんな話題は早々に切り上げるに限る。


「で、わたしが無事ってわかって、これ以上何かある? ないよね?」

『……はい』

「それじゃ、また連絡するから、お兄ちゃんにも言っといて」

『うん、気をつけるんだぞ』

「わかってますー。じゃあね」


 またな、と父親の声を最後に電話が切れる。

 ふう、と一息ついて振り向けば、涙目で足の爪先つまさきかかえた師と目が合った。


ひろ、ひどくない……? おもっきり踏んだ……」

「そもそもが身から出たさびですよ、先生。ノータイム即決したのは誰ですか」

「ぐぐ……反論できない……」

「というか、反論されたらボクらとしては困るよ、センセイ」


 あきれた顔で入ってきたロビンが追討おいうちをかけている。


「それは、そのう……ごめーんね?」

「……」

「……」


 やたらと軽い謝罪にひろとロビンは視線を交わしてから、互いに一つうなずく。

 次の瞬間、ロビンが紀美きみ襟首えりくびを、がっとつかんだ。


「ぐえっ」

「……ちょっとセンセイにはりてもらわないと」

「そうですね、まーた安請やすうけ合いされるのも困りものですから」


 ロビンに引きげられるように立たされて、その上ぐいぐいと二階に連行されていく後をひろが追っていくと、玄関口でまだ織歌おりかがあわあわしていた。


「いいんですかー……?」

「いいんですよ、ちょっとおきゅうえるべきなんで。というわけで、織歌おりかは今日はもう帰っても大丈夫。先生の見張り、ありがとうございました」


 現在、唯一の通いの弟子である織歌おりかにそう言うと、それでも織歌おりかは少し心配そうに二階をのぞき込んで、それからなんとも言えない苦笑を浮かべた。


「まあ、そういうことなら……仕方ないですね」

「ええ、そういうことです」


 それならおいとましますねー、と織歌おりかかろやかにスカートのすそひるがえして、リビングからかばんをすぐに取ってきた。

 そして靴をくと、ぴっと綺麗に背筋を伸ばして微笑ほほえむ。


「それではひろちゃん、ご機嫌よう」

「ええ、また明日」


 織歌おりかが玄関を出るのを片手をひらひらと振りながら見送って、最後に鍵をかける。


「さあて」


 それから、ひろすでに始まっているだろうロビンの説教に合流するために、二階へと上がって行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る