11 並び立つべきか、立つべからざるか

「ギリシャ神話の場合、そもそもの前提の問題だとボクは思う」


 端的にロビンは言い放った。少しはひろ自身に考えさせたいようだ。


「前提、ですか?」

グノーティγνῶθι セアウトンσεαυτόν


 ロビンが言葉少なに口にした言葉は、世界の格言トップテンを上げさせたら入ることが多そうな言葉、ギリシャはデルポイ神殿にきざまれたという「なんじ自身を知れ」である。

 ラテン語版Cognosce te ipsumの方が有名になってそうな気もするが。


「ええっと、神域と人界をへだてる神殿の門に書かれたんでしたっけ」

「つまり?」

「うー、お前は所詮しょせん人間ってことですよね?」


 そう、とロビンはうなずいた。


「今でも英語でmortal死すべき/人間のという語がある。これは古代ギリシャ語のブロテイオスβρότειοςという語と等価、つまり、まるっきりおんなじ意味。という意識だ」

「あー……タンタロスもイクシーオーンも、神と同じ食卓につく事を許された」


 そして、その食卓できょうされるものは、古代ギリシャ神話における神の飲食物。


「アンブロシアと、ネクタール……」

アンブロシアἀμβροσίαは、それこそブロテイオスβρότειοςと語根は同じ。それに否定辞ひていじα-がついて音韻おんいん変化でμミューαアルファβベータの間に入った。ということは?」

「……否定前がmortal死すべきと同じなら、immortal不死の?」


 たぶん語源的にはmortal死すべきの方はラテン語だとは思うが、実際のところローマはギリシャの文化を引きいでいるので、そこのところの考え方は同じでいいはずなのだ。


アンブロシアἀμβροσίαは同じ印欧語に連なるというところでインド神話のアムリタとの関連性も考えられたりするけれども、それは置いておいて。ネクタールνέκταρは後半要素が事実上の否定で、前半部分のνέκ-ネクネクロマンシーnecromancyネクロフィリアnecrophiliaという単語で使われる死を意味するネクロnecro-と同じだ」

「どっちにしろ、不死……あーそういえばどっちが飲み物で食べ物かっていう判別って、本当はないんですっけ」

ネクタールνέκταρは蜜やジュースの一種を指す一般名詞のネクターnectarに、アンブロシアἀμβροσίαはなんかすっごい胸焼けしそうなデザートの名前になってるけどね」


 マシュマロにココナツにクリームはないわ、とロビンがボヤく。

 とりあえず、それが死ぬほど甘いものだろうことはひろにも察しがついた。

 怖いもの見たさの好奇心的なところで気にはなる。主にカロリー。


「まあ、それを不死なる神と共に、死すべき人が食らって不死となることを良しとする見方が生まれるか? って話。『イーリアス』で有名なアキッレウスとかエレウシスの祭儀さいぎに繋がるデーモポーンとかも、与えられたのは不完全な不死だったり、未遂みすいになった存在だし……そもそもギリシャ神話においては半神demi-godですら、生きたまま有力な神になれたと言えるのは、その狂乱の権能で力押ししたディオニューソスぐらいじゃないかな? まあ、生まれ的には審議の余地はあるんだけど」

「下級神とゼウスの間の子ですら死すべき人の一族の祖になってたりしますし……変なとこシビアですよね」


 とはいえ、とひろは思い返す。


「タンタロスは神々をだまして己が手にかけた息子を食わせようとしたのと、アンブロシアの持ち出しをとがめられて、タルタロス行きでしたよね」

「うん。のどかわいても水を飲めず、腹が減っても果実を食えずの永遠の責苦せめくという懲罰ちょうばつを受けている」

「イクシーオーンは尊属そんぞく殺人さつじん不敬罪ふけいざい横恋慕よこれんぼでしたっけ」

「言い方!」


 ロビンがツッコんでくる。

 でも事実上間違ってないとひろは思う。

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