10 梅を投げ終えても

たけるくんみたいなことはなかったんです?」

「ん、呼びかけられたけど、頃筐けいきょうおくるなかれって言ったら黙った」

「え、摽有梅ひょうゆうばいのそれは、うわキッツ……ロビン、あなた一応紳士ですよね?」


 『楚辞そじ』の山鬼さんきを当てた以上、それに対しては、近い文化のものでやり込めるのが一番く……というのは師たる紀美きみかかげる理論上の話である。

 その上でロビンが選択したのは、同じく中華圏における解釈の分かれる古い詩を集めた書物の中の一つである。

 なお、これを編纂へんさんしたのは、儒教じゅきょうの開祖たる、かの孔子こうしであって、きょうとされたのは後世であるとしても、一般的書物名で言えば『詩経しきょう』である。

 『詩経しきょう』の伝統的解釈は儒教じゅきょう経典きょうてんとしての解釈――と言っても本来複数あった内の毛詩もうし一本になってしまったのだが――ではあるが、近代以降、当時の風俗ふうぞくそくして歌われた民謡を集めたものである、という民俗学みんぞくがくや比較文化による解釈も広まりつつある。

 また、『楚辞そじ』が南方の文化を背景に作られたと思われるのに対し、『詩経しきょう』は北方の文化を背景に作られたと考えられる。とはいえ、現代認識で言えば中国の一言でくくれてしまうが。


 その上で摽有梅ひょうゆうばいという詩の選択は、山の神相手には、あまりにむごい、とひろは思う。


「……むごい、ひどい、可哀想かわいそう

散々さんざんに言ってくれるな……『楚辞そじ』の山鬼さんきに確定させたのはヒロなのに」

「……紳士のくせに乙女の純情を踏みにじる必要ありました?」

「失礼な!」


 摽有梅ひょうゆうばいなげうつにうめ有り。

 その心は投果婚とうかこんという習俗にもとづくとされる。

 同じ『詩経しきょう』内だと木瓜ぼくかが男性視点で投果婚とうかこんうたったもので、摽有梅ひょうゆうばいは女性視点のものだ。


木瓜ぼくかからけいむくいず、ぐらいでいいじゃありませんか……」

「そもそもの禁止系の方が後々のちのちにもくかなと」


 投果婚とうかこんは、まず女性が集めたうめあんずすももといった果実を意中の男性に投げつける。

 これを男性側が承諾するのであれば、腰にびたぎょくを投げ返し、そこでカップル成立という流れである。

 そして、木瓜ぼくかまさしくそのカップル成立の流れをうたっているのに対し、摽有梅ひょうゆうばいは――


「お前は一生売れ残りだ、なんて突きつけるような真似まねが紳士と言えますか?」

「……必死だったんだって」


 頃筐けいきょう、すなわちかごに入った七つのうめが三つに減り、さらに空になってもいい返事がもらえないので、とうとうかごを投げつける、という解釈のあるうたなのである。


「それに、確かに女性かもしれないけど、女神だよ? 自分より高位とされる存在だよ? いくら相手が女性であっても、力でもの言わされるのは嫌だし?」

「…………」

「……だから、人間相手には絶対しないよ?」


 最後には少しこちらをうかがうように、気不味きまずそうにロビンはそう言った。


「わかりました。織歌おりかにも言っときます」

「ええ、なんで……」


 本気の困惑の乗ったロビンの声に、ひろえ切れず、くすくすと笑った。

 そんなひろあきれた顔でロビンは見て、それからふと思い出したように口を開いた。


「……そういえば、ヒロ、もう一つ後回しにしたのあったね」

「え? ああ、はい、ギリシャ神話のタンタロスとイクシーオーンに、北欧神話のウートガルズ訪問時のトールのヤギですね」


 共食きょうしょくの話のあれだ。

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