8 織歌の仮説2

「ええっと、藤原氏との政権争いに負けて太宰府だざいふに流されて、天神様てんじんさまになった菅原道真すがわらのみちざね?」

「そう。なんでテンジンになったか、知ってる?」

「政権争いに負けて、太宰府だざいふに流されて、そのまま亡くなったから……」

「それだけじゃないですよ」


 こなれた様子で滔々とうとう織歌おりかは続ける。


「歴史物語の『大鏡おおかがみ』では、亡くなった菅原道真すがわらのみちざねは都に戻り、内裏だいりに雷を落としたとされています。事実として、当時の内裏だいりでは天皇が政務をおこな清涼殿せいりょうでんへの落雷による人死ひとじにがあり、この落雷は隣接する儀礼用ぎれいよう正殿せいでん紫宸殿ししんでんにもおよびました。当時、死のけがれ、死穢しえ忌避きひすべきものでしたし、この事件の影響で三ヶ月後に醍醐天皇だいごてんのう崩御ほうぎょされました。まあ、目の前で落雷による死人が出たショックたるやというところですね」


 頬杖ほおづえをついたロビンがその続きを受け持つ。


「つまり、この話は逆。発生したダイリへの落雷というの理由に、そこまで事象をじ曲げるに相応ふさわしい人物として、スガワラノミチザネが。そして、その怒りをしずめるべくテンジンとしてまつられたわけ。信仰ってやつだね」

「……な、なるほ、ど?」


 真由の頭の中で、日本史の教科書で見かけた御霊信仰ごりょうしんこうという文字と、ロビンの言うゴリョウ信仰がひもづくまでに一瞬のタイムラグが生まれたが、言わんとするところは理解できなくはなかった。


「怪談の側面にあるのは、そうした、そこで語られる、人知れず無念をのこしただろう幽霊への慰撫いぶ、つまり、鎮魂ちんこんです。でも、このお話にそれにるバックグラウンドの説明はない。いえ、最初に語られていた時には暗黙の了解として、そこにあったのかもしれませんが、今語られているこの怪談にそれはありません。それが語りがれなかったのであれば、その人への慰撫いぶそれ自体が目的ではなかったと判断できます。だからこそ、この焼きつきの思念は、この生徒本人ではあり得ない、と私は考えます」


 ところで、と織歌おりか小首こくびかしげた。


真由まゆさん、貴女あなたはこの人影、どう見えました?」

「え、どうって……」

「オリカ」


 真由まゆ幾度目いくどめかの困惑にハマり、ロビンがたしなめるように織歌おりかの名を呼ぶ。


「あ、ちょっと範囲が広すぎましたね。貴女あなたはこの人影が、男性と女性、どちらだと思いますか?」


 そう言われて、真由まゆはあまり思い出したくない記憶を辿たどる。

 放送室の鍵を職員室に返してから、何故一階と四階を往復せねばならないのだと頭の中で恨みがましく思いながら、かばんを持って四階の教室から出て、いつものように西階段を降りようとして、そして、そこで見事な夕焼けのし込む窓の外に違和感を覚えて――


「え……どっち……?」


 鳥肌が立つのを我慢しながら思い返しても、思い出せるのは黒い逆さまの人影に浮かぶ、白と黒で構成された目だけ。


「ですよね。だってですもん。そこって、特に制服という制約のある学校であれば、シルエットであっても判別のつく、最低限の個性ですよね。この話、それがつぶされてるとも言えるんです。徹頭徹尾てっとうてつび、ただ『頭から飛び降り自殺した生徒』と語られない。そして、私もそうですが、真由まゆさんもそうでした。目撃した人間が性別を判別できない。それは、この人影自体にそれ以上の個性が付随ふずいしていないと読み取れます」


 で、と織歌おりかが言う。


「その上で、です。私は今この人影の方を見ると、どうしても目の方に目が行きます。真由まゆさんもそうだったでしょう。同時に、あせりと不安がせり上がって来ます。耐性のある私がこうなのですから、真由まゆさんが靴の左右を間違えて昇降口から飛び出して来たのもわかります」


 それを聞いたロビンが片眉を上げて真由まゆの方をちらりと見る。

 見られた真由まゆとしては、いや、靴の左右の話はいいじゃん別に、とそう思わぬでもない。

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