第17話 ピンチ

 それともわたしに嫌がらせをするために、何か策謀を巡らせている可能性も捨て切れない。

 どちらにせよ、彼女がわたしにとって目障りであることには変わりはない。

 

「んふぅ、橘くん聞いて」


 わたし以外に誰もいない自販機の前。そこでわたしは彼に甘えた声を出す。もちろん独り言だが、彼にわたしの気持ちを伝えるためにこうした練習は必要だ。

 だってわたし、乙女だもん。


「んっ、んっ、はぁ……」


 わたしは自販機から購入したカフェオレに橘くんから採取した唾液をスポイト注入し、それを飲む。

 もうわたしの体は橘くん中毒であり、わたしが食べる飲食物には彼の成分が入ってないと拒絶反応を起こして死んでしまう体になってしまった。

 ああ、早く彼に会いたい。


「この唾液を採取した日の彼はチョコバーを食べてたからか、ほんのりとチョコの味がするね。んぅ! はぁ……飲んでるとお腹の下がキュンキュンしちゃう!」


 今のわたしは身体中を迸る気持ちよさから脱力してだらりと垂らした舌を缶に落とし、その感触を楽しむ変態女である。優等生の面影はまるで無い。

 これじゃあただの変人だな。

 缶を舐めるわたしはベンチに腰掛けながら、そんなことをぼんやりと考える。

 橘くんのことを考えながら、彼の成分が入った飲み物を飲み干すだけで幸せな気分になる。

 幸せすぎて死にそうになるくらいであり、わたしはすっかり依存しきっていた。


「うへへへへ。橘くんは表向き小綺麗にしているわたしに憧れを抱いてるみたいだけど、実はわたし、そんなに綺麗じゃないんだよ?」


 橘くんがわたしのことを見てくれていることを考えると、胸の奥が熱くなり、ドキドキが止まらない。

 彼の視線を感じるだけで、わたしの頭はぽわ〜っとしてしまうし、下着がじわっとしちゃう。


「ぐへへ、家庭教師になれたわけだし、これで合法的に橘くんの家に踏み込める……」


 教室では澄ました顔をしているけれど、内心では下卑たことばかり考えている。

 わたしは自分が思っているよりもずっと汚い人間なのかもしれない。

 でも、仕方ないよね。好きな男の子の前では女の子はみんなこうなるんだもの。みんな野獣なんだよ。


「花崎さんが家庭教師!」

「ボッチへの同情か?」

「俺も教えてもらいたいわ」


 クラスメイトはわたしが橘くんの家庭教師をするという話題で持ちきりであり、みんな興味津々といった様子であった。

 わたしには橘くん以外どうでもいいので、聞き流していたけど。


「えへへ、どうしようかな」


 彼の家に入ったらこっそり彼の私物を新品と取り替えて、わたしの匂いが染み付くまでクンカクンカしたい。

 そんな妄想を膨らませていると、またわたしの下腹部が疼き出す。


「あっ……」


 いけない。またやっちゃった。

 最近、彼のことを考えてるだけなのに勝手に濡れてきてしまう。


「んっ! はぁ、はぁ、はぁ……」


 わたしは自分の席で前屈みになり、必死に隠す。

 わたしが甘い声を出しながら悶える姿は周りから見れば異様だろう。

 でも、わたしにとってはこれが普通なんだ。

 わたしは彼を想うことで興奮し、性的欲求が高まっていく。


「花崎さん、どうかしたの?」

「橘くん⁉︎ ううん、何でもないよ」


 いつの間にかわたしの背後に立っていたのは橘くんだ。

 突然の出来事にわたしの声は裏返ってしまう。

 まさかこんなタイミングで彼に話しかけられるなんて……。

 今、ここで彼に対し発情していることがバレたらわたしは生きていけなくなる。

 ここは何とか誤魔化さないと。


「そう? なんか辛そうだから心配になってさ」

「そっか。ありがとう」


 橘くんの言葉を聞いて、わたしは少し落ち着きを取り戻すことができた。

 彼がわたしを心配してくれたこと、それが何より嬉しかったのだ。おかげで自分のしもの事情から意識が大きく逸れた。


「あのね、橘くん」

「ん? なに?」

「ありがとう……」

「ん?」


 彼はわたしの言葉の真意を読み取れずに首を傾げていたが、わたしにとってはとても重要なことだった。

 だって、助けてもらったらお礼を言うのって大切なことだもん。わたしは照れ臭かったのと、彼が目の前にいるという緊張のせいで上手く言葉が出なかったけど、それでも頑張って感謝の気持ちを伝えた。

 わたしは彼と別れた後、トイレに向かうことにした。目的は一つ。


「ふぅ、危ないところだった」


 とりあえず落ち着かなければ。わたしは個室に入り、鍵を閉める。


「んぅ……はぁ」


 わたしは便座に座り込み、大きく息を吐いた。

 すると、自然と身体から力が抜けていき、だらんと垂れ下がった舌から唾液が滴り落ちる。


「んっ、ちゅぱ……」


 わたしはその唾液を舌先で掬い上げ、口の中に含ませる。未だにそれには、橘くんの味が残っていた。

 その瞬間、わたしの下腹部が再び熱を帯び始める。

 身体中が火照り始め、頭がぼーっとしてくる。そして、無意識のうちに右手が

スカートの下に向かっていった。


「橘くん、わたしをこんなに狂わせたんだから、責任取って欲しいなぁ」



 土曜日、オレは花崎さんとカラオケに訪れていた。


「橘くん! カラオケ楽しみだね!」


 花崎さんに限らず、妹以外の女子と二人きりで出かけるのは初めてのことだった。

 そのため、内心かなりドキドキしている。

 でも、彼女はいつも通りの様子であり、まるでデートみたいだと舞い上がっているのは自分だけのように思えた。

 彼女からわざわざ取り付けてくれた約束だ。断る道理は無く、こうして二人で遊びに行くことになった。

 ちなみに、今日行くのは駅前にあるカラオケ店である。花崎さん曰く、この辺りで一番安いお店のようだ。


「じゃあ行こっか」

「うん、行こう」


 受付を済ませたオレたちは早速部屋に入る。


「いらっしゃいませ。ご利用時間はどうなさいますか?」

「フリータイムでお願いします」

「かしこまりました。ドリンクバーはこちらになります」


 店員さんに案内され、率先してドリンクを取りに行った花崎さんの背中を見送りながらソファーに腰掛ける。

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