第14話 完璧の失敗

 花崎さんが小さい頃、どんな風に過ごしていたのかオレには分からない。だが、花崎さんは灰色の人生を歩んだオレより遥かに晴れやかな青春を過ごしているわけで、当然その間たくさんの経験を積んできたはずだ。

 それこそオレなんかじゃ想像できないような辛いこともたくさんあったんじゃないだろうか。

 少なくとも、今の彼女はとても明るく社交的で誰からも好かれる女性だ。オレが見ている花崎さんは、オレが想像するような困難程度は乗り越える強靭な女性だ。


「でも、ある時を境に自分を変えようと思ったの。きっかけは些細なことだったけど、そこから少しずつ変わっていった気がする。だから、橘くんにも頑張って欲しい。キミならできる。だって、キミはとても優しい人だから」


 花崎さんは慈愛に満ちた目つきで微笑む。


「花崎さん……」

「ふふっ、わたしってば偉そうなこと言ってごめんね」

「いや、いいよ。ありがとう」


 正直言って、励まされたのはオレの方だ。この気持ちは感謝の念としてきちんと伝えたかった。

 その後、花崎さんとは色々な話をした。花崎さんは本当に聞き上手で、オレの話を聞いては楽しそうに笑ってくれた。

 花崎さんがオレに話しかけてくれたのは、やはりオレが彼女の理想とする人物像に似ていたのもあるからだろう。オレは花崎さんに少しでも近づけるよう、これから努力していく必要がある。

 昼食を終えたオレたちは再び歩き出す。


「ねえ、橘くん。手繋いでもいい?」


 花崎さんは突然そんな提案をしてきた。


「え!?」

「ダメかな?」

「べ、別に構わないけど」


 オレの顔は炎のように熱くなり、対照的に手は氷水に曝されたようにガタガタと震えており、まるで自分の身体ではないみたいだ。

 花崎さんの細い指がオレの手に触れると、全身の神経がそこに集中して、体中が痺れたようになる。

 花崎さんの掌は柔らかくて、温かく、そして、とても滑らかだった。

 そんな花崎さんはなぜかオレと恋人繋ぎをしてきていた。


「あの……花崎さん、これはちょっと……」

「どうかしたの?」


 花崎さんは不思議そうな顔で首を傾げる。


「これだと恋人繋ぎになるけど……」

「ああ、そういうこと。わたしがこうしたいからこうしているだけだよ。この方がしっかりして歩きやすいし」


 花崎さんは悪戯っぽい笑みを浮かべると、ぎゅっとオレの腕を抱き締めてくる。

 彼女の体温が腕を通じてダイレクトに伝わる。花崎さんの胸がオレの二の腕に押し付けられ、彼女の柔らかさと甘い匂いがオレを惑わせる。

 花崎さんは周りの目を一切気にしていない様子であり、堂々としていた。

 オレとしては恋人繋ぎをしているところを誰かに見られたら大変なことになるのだが、花崎さんはそんなの承知でやっているっぽい。

 花崎さんの表情には不安の色は一切なく、むしろ上機嫌だった。


「花崎さん、今日体育祭の実行委員あるらしいよ」


 教室に入るなり、花崎さんの友人の一人である少女が放課後にある用事について伝えてきた。


「うん、ありがとうね」


 少女は不思議とオレたちが恋人繋ぎをしていることを咎めもしなかったし、むしろ奨励しているような態度だった。

 この少女を始めとして、数人の女子は花崎さんと密接に関わっており、親友と呼べる関係に近いと思われる。


「花崎さん……頑張ってね」

「もちろんだよ、これだけあってものにできないなんて、完璧じゃないでしょ」


 花崎さんは自信満々といった感じで答えると、颯爽と去って行った。

 花崎さんはオレが思っている以上に体育祭に対してやる気があるようだ。

 二年E組は、花崎さんを中心に結束力を高めている。彼女の存在はクラスを良い方向へ導いているのだ。

 オレは爪弾きだけどな。


「花崎さんっておっとりしてるけどリーダーシップも凄いよな」

「そうだな。オレもそう思うよ」

「お前も少し見習ったらどうだ?橘も花崎さんに憧れてるんだろ?」

「まあな。でも、オレは花崎さんほど完璧な人間じゃないから」

「正くんなんて成績、美咲の半分以下じゃん。やーい250点」

「うっせえな!」


 花崎さんの周りは相変わらず盛り上がっており、その中心にはいつも花崎さんがいた。

 花崎さんがいるだけでクラスの空気が変わり、彼女の周りには自然と人が集まってくる。

 オレが今まで見てきた花崎さんは、確かに理想の女の子像だったが、今の彼女はそれをも超えつつある。

 彼女は完璧とよく口走るように、どんなことにもストイックに向き合い、決して妥協しない。それは彼女の生き様そのものでもある。

 花崎さんは誰よりも努力家で、誰に対しても分け隔てない優しさを持っている。

 花崎さんが人気者なのは必然だ。彼女はただ美しいだけでなく、心まで綺麗なのだ。

 オレでさえ彼女に惹かれるのは時間の問題だった。彼女と関わるようになってからは、他の男子生徒からの嫉妬の視線が痛くて仕方がない。

だが、オレはそんな花崎さんを素直に尊敬していた。オレだって彼女に負けないように頑張らないとな。



 わたし、花崎美咲は橘大和が好きだ。

 

「うーん、食塩が0.000000005%多いかな。砂糖は0.0000002%少ないかも」


 昨夜からわたしは橘くんのためにお弁当作りに励み、彼の好む味を研究していた。

 料理が得意というわけではないけれど、橘くんを想えばこそ努力する気力が湧く。それにしても上手くいかない。

 こんなんじゃ橘くんが満足してくれない!


「わたしは完璧じゃないといけないのにぃ!」


 わたしはせっかく作ったお弁当を不完全だと決め付け、投げ飛ばした。調味料の配分に微妙な誤差があり、こんな不完全で不味いものを橘くんに食べさせてしまったら彼が毒されてしまう。

 幸い、料理を作り直すことための材料はたくさんあり、わたしは何度も試行錯誤を繰り返す。


「うぅ……やっぱりダメ。今度は餃子を焼く時の水の配分が0.0000000000000000002%多かった」


 何度作っても、納得できるものにはならない。

 わたしは自分の実力不足に絶望し、床に崩れ落ちた。

 完璧主義者であるわたしにとって、失敗は大きなショックとなり、同時に強い挫折感に襲われた。

 似たような過ちを繰り返すという、人としてあまりに愚かな行為に、わたしは自分に目も当てられなくなっている。わたしは完璧でなくてはならない。それがわたしの存在意義であり、花崎美咲の名に恥じぬ生き方をするべきだ。

 それなのにわたしは失敗する。

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