壱 黒揚羽

 ――ひらり。


 誰も居なくなった夜の校庭。

 パキリと空間がひび割れて、その亀裂から崩壊する隠り世が顔を覗かせる。


 ――ひらり、ひらり。


 そこから、一羽の黒揚羽くろあげはが現れた。それは隠り世の崩壊から逃れる様に、ひらひらと羽を動かして飛び去って行く。


 ――ひらり、ひらり、ひらり。


 その瞬間、ぐわりと空間が歪んで、顔を覗かせていた隠り世が消え去った。まるで、その揚羽あげはが飛び立つのを待っていたかのように、隠り世は崩壊したのだ。


 ――ひらり、ひらり、ひらり、ひらり。


 黒揚羽くろあげはは飛び去って行く。何処かへ、何処かへ――ここでは無い、何処かへ。


****


 ■■■、■■■にて。

 辺りは枯れ木で埋め尽くされている。よく見れば、枯れたそれは桜だと分かる。この桜はいくら季節が巡れども、その枝に蕾をつけ、それを開かすことは無い。

 この桜は死しているのだ。死して尚、永遠にこの場に根差しているのである。


 ――ひらり。


 死した桜が立ち並ぶ中、何処からか一羽の黒揚羽くろあげはがあらわれた。蝶が好む花の蜜など、この場には存在しない。

 それならば、揚羽あげはは何の為に現れたのだろうか。


 ――ひらり、ひらり。


 悠々と羽ばたいて、目指すのはその場の中央。

 そこにはいびつな巨木――大桜。その上に、黒い外套がいとうをまとった者が一人。

 黒揚羽くろあげはは羽ばたいて、そこを目指していた。


 ――ひらり、ひらり、ひらり。


 黒揚羽くろあげははひらひらと舞って、そして、その者が差し出した指へと静かに止まった。ゆら、ゆら、と羽を動かす。


 しばらく揚羽あげはの様子を眺めていたその者は、外套がいとうの奥の口元を静かに震わせると、ゆっくりと女の声を絞り出した。


「……そう、あの哀れな三足烏みつあしからすは巣へ帰ってしまったのね。せっかく逃げない様に閉じ込めて、への恨みを植え付けておいたのに、残念……」


 その者――女は首を横に振り、小さく息を吐き出した。その声には惜しむ色が滲んでいる。余程、孤独な三足烏みつあしからすのことを気に入っていたのだろう。


「まぁ……いいわ。あの程度の力、の計画に支障は無いもの」


 しかし、その色もすぐに薄れた。居なくなってしまったものは仕方がない。女は、外套がいとうの影に隠れた口を、ついと上に歪めた。


「嗚呼、恨めしや、恨めしや――安倍緋月、安倍の一族。待っていなさい、すぐにでも私たちが滅びへと導いてあげるから……」


 くすくすと、女は小さな笑い声を上げた。ふい、と蝶が止まった指を振る。


 ――ひらり、ひらり、ひらり、ひらり。


 黒揚羽くろあげはは再び羽を動かし始め、何処かへと飛び去って行った。

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