六話 天原学園中等部、一年生(二)

「そろそろ三組につくよ〜! ……あっ、木場きば先生! おはようございます!」


 そう言いながら鈴鹿は、今にも三組に入ろうとしていた長身の男性に声をかけた。その人はまるで偉人のような立派な髭をたくわえている。


「ぐっもーにん、みす鈴鹿……ん? その子たちは?」


 晴明ほどあるのではと感じる、木場と呼ばれた男性はのろのろと振り返って鈴鹿に挨拶を返す。そして見慣れぬ生徒――つまり緋月たちを見つけて首を傾げた。


「ちょ……ちょっと、何言ってんですか! 今日から私のクラスと木場先生のクラスに加わる子ですよ! 職員会議でも言ってたじゃないですか!」


 眠たそうな目を瞬かせる木場に向かって、鈴鹿は前のめりになりながらツッコミを入れる。


「そうだった、忘れてた。安倍氏はどっち? よろしく」


 その言葉を聞いて木場はポンと手を打った。それからおもむろに手を差し出して、安倍はどちらかと問う。もちろんどちらも安倍なので、緋月と紅葉は困ったように顔を見合せた。


「もう、どっちも安倍さんですってば! 木場先生のクラスは紅葉さん……こっちの子が入りますよ!」


 憤慨しながら鈴鹿は、紅葉の肩に手を置いて彼女がそうだと告げた。唐突なことだったので、紅葉はビクリと肩を震わせて驚く。木場はかなり抜けているようで、大丈夫かと考えていた矢先の出来事であった。


「おぉそうか、よろしくね、紅葉氏」


 木場はそう言うと、行き場を無くしていた手を紅葉へと向ける。彼は表情の変化が乏しい様だったが、声色はとても優しく、心から歓迎しているのを紅葉は感じ取った。


「えっ、あっ、はい! お願いします!」


 紅葉は綺麗な一礼を返してから、差し出されたままの木場の手を握った。鈴鹿はやれやれと言ったように、ふぅと安堵のため息をついていた。


「じゃあ行こう……ぐっもーにん皆の衆、転入生だよ」


 木場がそう言いながら入って行くと、三組からは割れんばかりの歓声――否、驚愕の声が上がった。くるりと振り返った木場は、こっちにおいでと紅葉に手招きをする。


「行ってらっしゃい紅葉! また後でね!」


「……! おう!」


 紅葉は少し戸惑っていた様であったが、緋月が笑顔で背中を押してやれば、緊張が解れたように笑って教室へと消えていった。



「よし、次は緋月さんの番だね! 一組は端っこだからこっちだよ、おいで!」


 紅葉が教室に入ったのを見届けた鈴鹿は、再び歩き始めながら緋月を呼んだ。名を呼ばれた緋月は慌てて返事をして、鈴鹿の元へと駆け寄った。


 緋月は鈴鹿に連れられて建物の一番隅にある教室までやってきた。引き戸の近くに「一組」と書かれた札がかかっている。


「じゃあ少し待っててね、入って来て良くなったら言うから!」


 鈴鹿はそう言い残すと教室の中へと入っていく。彼女の声はよく通る為、扉を閉め切られた後でも何を言っているのかよく聞こえた。


「はーい、皆さん、今日からこのクラスに新しい仲間が増えまーす。仲良くね! ……緋月さん、おいで!」


 緋月は緊張した面持ちで引き戸を開け、教室の中へと入った。僅かな歓声と好奇の視線が緋月へと集まった。

 耳は見えていないだろうか、妖気は漏れていないだろうか。緋月の胸は不安と緊張でいっぱいであった。


 鈴鹿が何かを言った気がする。緊張で聞き取れなかった。自己紹介と言ったような気もする。


 緋月は一度深呼吸をして緊張を吐き出した。思い切り息を吸えば、新鮮な空気が肺を満たした。

 そのまま緋月は、とびきりの笑顔を浮かべて自分の名をハッキリと告げた。


「安倍緋月です! よろしくお願いします!」


 こうして暖かな拍手と共に、緋月の潜入調査――もとい、学校生活が始まったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る