五話 本題に入りましょうか(一)

「な……っ、何言ってんだ緋月!?」


 紅葉はいち早く混乱から立ち直ると、目を丸くしたまま緋月へと詰め寄った。そのあまりの勢いに、緋月は両手を小さく上げて、


「あ、いや……なんとなく思っただけで……!」


 と半ば言い訳の様なことを述べた。緋月自身も、どうしてそのようなことを言ったのか分かっていない様子だ。


「…………!」


「…………」


 宵霞と校長は固まったままだった。心底驚いた様な表情で、ゆるりとお互いの目を合わせ、そうしてもう一度緋月へと視線を戻した。


「……くっ、ふふふ……あはははっ!」


 その時、晴明がまるで堪えきれないと言うように笑い始めた。突然の行動に宵霞と校長の二人は再びぽかんとする。


「はぁ、ふふ……流石は僕の孫だ。一瞬で見抜くだなんて凄いじゃないか」


 ひとしきり笑った後、晴明は涙を拭いながら緋月を褒めたたえた。彼は息を整えながら「あぁお腹痛い」などと呟いている。


「さて、お出迎えありがとう、校長殿――いや、道真殿……と言った方がいいかな?」


「ん? 道真……? 道真ってどっかで聞いたことがあるような……」


 晴明が校長に向き直って放った言葉の中に、紅葉は耳にしたことのあるような単語を聞いて、一人首を傾げた。晴明はくすくすと笑い声を上げている。


「おや、私のことをご存知とは……お見逸れしました! 如何にも、私は菅原道真すがわらのみちざね。この現し世では学問の神としてそこそこ有名なのですよ?」


 名を当てられた校長――改め菅原道真は、パチンと手を叩くとにこりと優しげな笑みを浮かべた。それを聞いた紅葉の顔から、サーっと血の気が引いていった。


「そ、そうだ……思い出した……! 道真ってかの有名な道真公しかいねぇ……! それが何でこんなところに居て、しかも学校長なんてしてんだ……?」


 紅葉は後ずさりながら言葉を連ねていく。彼女は普段から書物を読み漁っている為、自分や緋月が生まれる以前の歴史も頭の中に叩き込まれているのである。もっとも、妖街道に存在する資料の中で一番古いものは現し世が「江戸」と呼ばれている時代の物なので、紅葉の知識もそこで止まってしまっているのだが。


「……? 有名な人なの?」


 一方、物知りとはほど遠い存在の緋月は、いつものように小首をかしげて紅葉へと問うた。紅葉は自分が晴明の孫と分かってから更に沢山の書物を読み込み、関係する知識を付けていったのだが、緋月は違った。もちろん何度か挑んではいるのだが結果は全敗だ。緋月は晴明の話を聞くまでが限界のようだった。


「っ、いや、流石にお前は知ってろよ……菅原道真と言えば、落雷の祟りだろ? 確かに爺さんも生まれる前の話だったかもしれないけど、後世にも伝えられるような話だぜ? 全く、お前ももっとちゃんと書物読めよなー」


 その緋月のきょとんと表情したに思わず苦笑を漏らしながら紅葉は答えた。無論しっかり勉強しろという小言を付けてだ。


「落雷の祟りぃ……? うぅ、全然わかんない……」


 しかしそう言われても緋月はピンとこず、へにょんと狐耳を下げてあからさまに落ち込んだ。


「おや、よくご存じですね! それとお嬢さん、知らずとも恥じることはありませんよ。近年では私のご利益は知れど、私がどのような神なのか詳しく知らない人の子も増えてまいりましたので……」


 それを静かに見守っていた道真は、満面の笑みを浮かべながら気にすることはないと言った。その笑みは言葉を言い切る頃にはどこか寂しそうなものに変わっていたが、それもすぐに元に戻っていた。


「そうだよ緋月! 大丈夫、アタシなんか最初会った時、校長が神様なんて全然わからなかったし!」


 宵霞は道真の言葉を引き継ぐように緋月を励ました。あっけらかんと笑いながら、現在もなお道真がどのような神なのか理解していないことを明かした。


「それはそれでどうかと思うぞ、宵霞姉さん……」


 それは緋月を励ますだけでなく、紅葉の苦笑いも誘い出す結果になったのだが。



「ところでそちらのお方……私の名を当てるのみにならず、何やら奇妙な気配をまとっていらっしゃいますね? もしや貴殿も人神なのではありませんか?」


 道真は話を変えるようにパンと手を打って晴明をちらりと見ると、今度は晴明も人神であることをあっさり言い当てた。言い当てられた晴明に驚くような素振りは一切ない。寧ろ、わかって当然だろうと言いたげな笑みを浮かべているのである。


「あははご名答! 僕は安倍晴明だ。貴殿より後世の者だが、貴殿と同じ様に有名な自信はあるよ!」


 晴明は何故か道真に張り合うように笑う。理由は単純明快、単に彼は負けず嫌いなのである。よりにもよって大好きな孫が相手を有名だと褒めていたのであれば、自分にもその素質があると声を大にして言いたくなるのだ。


「……あ、やっば」


 不意に宵霞は被っていた帽子を深く被りなおした。気付けば、何人かの生徒が怪訝そうに窓から様子をうかがっていたのだ。ここは裏門であったのだが、そんな場所に校長がいることが逆に怪しく見えてしまったのだろう。よく耳をすませば、興奮したような声で「あの人ってさ」や「もしかして」という単語が聞こえてきた。


「ごめーん、バレそうだから続きは中で話さない?」


 困ったような宵霞の提案に道真は慌てて頷くと「こちらです」と全員を校内へと案内するのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る