四話 ︎︎想い合う力(二)

「小雪さん、この鈴ありがたくお借りします!」


 紅葉はそう言うとそっと小雪の手の平から鈴をつまみあげ、まるで祈るような体勢で沼の前に鎮座した。


 それから柏手を一つ。パンと澄み切った美しい音が辺りに響いた。



「掛けまくもかしこ八百万やおろずの神々よ、我が願いをきこせと畏み畏みもうす! く鈴の想いに導かれ、今其の姿を現し給え!」


 紅葉は大きく息を吸うと、一息に神への奏上を申し上げた。

 彼女が行使したのは、鈴と簪に残った強い想いを引き合わせるような術だ。


「……!」


 緋月は息を飲んだ。辺りに金行の神聖な力が満ちている。これが“陰陽術”なのだ、と緋月は直感で悟っていた。


「頼む……っ! 戻ってこいっ!!」


 紅葉は半ば叫ぶように祈った。緋月もごくりと唾を飲み込んでそれを見守る。

 


「――――っ!!」


「…………あっ!」


 しかしその祈りも虚しく、何かが起こる前にその神聖な力は霧散してしまった。

 緋月もそれを感じとり悲しそうに声を上げた。


「くっ、やっぱ無理か……」


 まるで意気消沈と言ったように肩を落とし、紅葉は今まで見守っていた緋月と小雪の元へ帰ってくる。


 鈴を見つめながら行けると思ったんだけどな、と呟く紅葉を見た緋月は、心の中にふ、と熱い想いが滾ってくるのを感じた。


(……あたしならできる……やりたい、やってみたい……っ!)


「……紅葉、貸して! あたしがやる!」


 その衝動をハッキリと感じた緋月は、何がいけなかったのかと悩む紅葉から鈴を強奪し沼の前まで駆け寄った。

 

「あっ! おい、緋月っ!? お前は手順知らないだろっ!?」


 呆気なく鈴を持っていかれた紅葉は、目を丸くして緋月の後を追おうとする。


 ――パァン! 


 しかし、自分の時とは比べ物にならないほど大きな柏手にハッとして足を止めた。



「――掛けまくもかしこ八百万やおろずの神々よ、我が願いをきこせと畏み畏み白す! お願い、簪さん! 小雪さんのとこに戻ってきて!」


 緋月は勉強が苦手だ。それ故に神へと捧げる奏上など全く覚えていない。


 だがしかし、今の瞬間は何故か流れるように言葉が溢れていく。

 まるで普段から術を行使している者の様に、一度も間違えることも無くスラスラと奏上を申し上げた。


「なっ!? おま……っ!?」


 その姿に紅葉は目を見張った。これが才能の差か、それとも緋月は本当に陰陽師だったのか――。

 その答えを考える間もなく、辺りにグンと神聖な力が満ち始める。


「……!?」


 瞬間、沼の真上に五芒星の陣が浮かび上がり、その中心からキラリと光る泥の塊が飛び出してきた。


「……っ! あれは……、私の……っ!」


 小雪は光った泥の塊を見て確信した。見紛うことは無い、あれこそ大切な人に貰った唯一無二の簪である、と。


「も、戻ってきた……!?」


 そう言うと紅葉は、慌てて緋月の傍まで駆け寄った。


「わぁやったぁっ! 成功だよ紅葉ぁ!」


 緋月はそっと泥にまみれた簪を持ち上げると、嬉しそうな表情で紅葉を見上げた。


「お前……一体どうやったんだ? 俺がやろうとしてた“残留思念”を用いた術なんか、どれも高難度のもんばっかなんだぞ……」


 興奮したようにこちらを見上げる緋月に対し、紅葉は心底驚いたような表情で緋月の肩に両手を置いた。

 

「んぇ? 紅葉のやろうとしてたことがわかったから、あたしも同じように強く念じただけだけど……」


 今朝のようにぐらぐらと揺さぶられる緋月は、先程の瞬間をぽやぽやと思い出しながら答えた。

 

「いやそうじゃなくて……お前、絶対神への奏上なんか覚えてなかったろ!? 阿呆のお前が俺が言うのを一発で覚えられるはずもないし、なんであんなスラスラ言えたんだよ!?」


 紅葉はさりげなく緋月を馬鹿にしつつ、語気を荒らげて問い詰める。


「あ、阿呆!? うぅ……ひどいよぉ…………ええと、あれはなんか……術を使おうって思った瞬間に、自然に頭の中に思い浮かんだというかなんというか……?」


 緋月は馬鹿にされたことを嘆きつつも、わやわやと曖昧なままで紅葉の問いに答えた。


「し、自然に……」


 ――やはり緋月は本物の陰陽師なのか。


 そう感じ、何故か悲しくなって呟いて下を向いた瞬間、紅葉の視界に泥にまみれた簪が映りこんだ。



「……ほら、簪貸せよ。――流るる水よ、清め給え。急急如律令」


 紅葉はそっとため息をつくと、緋月から泥だらけの簪を受け取った。

 そして口の中で小さく術を唱えれば、簪の上に五芒星が現れ、そこから清らかな水が流れ始めた。


「わぁ……! 紅葉って色んな術使えるだね……!」


 その一連の流れを見守っていた緋月は、パァっと表情を明るくして紅葉を褒めたたえた。


「いや……、多分これくらいならすぐにお前も使えるようになるんじゃないかな……」


 紅葉はその言葉を苦笑しつつも受け取り、その上できっと緋月もできると返した。



「小雪さん、お待たせしました! これ……、無事取り戻せましたよ!」


 そして紅葉は近付いてきていた小雪に向き直ると、優しい笑顔でそっと簪を手渡した。


「あぁ……! …………っ、本当にありがとうございます……! 感謝をしてもしきれません……!」


 小雪は心底嬉しそうな表情で礼を告げる。その瞳は涙で濡れていて、彼女が瞬くとともに雫がこぼれ落ちた。

 

「んーん! 小雪さんの大切な簪が取り戻せて本当に良かった! これからも何かあったら、陰陽亭あたしたちを頼ってね!」


 その嬉し涙を流す小雪の姿に、緋月は良かったと満面の笑みを浮かべた。


「はい……、本当にありがとうございます……! この御恩は一生忘れません……!」


 出会った当初とは打って変わり、明るい笑顔を浮かべる小雪に、緋月と紅葉はそっと胸を撫で下ろした。


****


「にしても紅葉、よく残された想いを使おうって思いついたね! あたし、何回考えても虫取り網以外の方法思いつかなかったよ!」


 小雪と別れて、帰りの道中。

 緋月はのんびりと歩きながら、再び紅葉を褒めたたえていた。


「ん? まーな。なんかの書物に、互いが想い合う力は何よりも強いって書いてあったし」


 誰よりも努力家で読書家な紅葉は、常々色んな書物を読み漁り、それを自分の知識として身につけている。そのため、今回の術も容易に思い浮かんだのだろう。


「そっかぁ、互いを想い合う力かぁ……なんかそれって、今のあたしたちと晴明様みたいだね!」


 緋月は紅葉の返答を聞いて、柔らかな笑顔を浮かべて楽しそうに笑った。


「はは、そうだなー。お互いを想い合いすぎてすれ違っちまってるぐらいだし…………あん?」


 緋月に笑いながら賛同した紅葉は、自分の言葉にハッとした。慌てて緋月を見れば、緋月も同様の表情をしている。


「お互いを……!」


「想い合う力……!?」


 考えていたことは同じのようで、二人は阿吽の呼吸で言葉を繋げた。


「……こ、これだーっ!! これだ、これ使えるぞ緋月っ!!」


 興奮気味に緋月を指さす紅葉は上手く言葉が出てこない様で、何度も「これ」と繰り返しながら叫んでいた。


「う、うんっ!! さっきの……あの術を使えば、妖街道を晴明様のいる所に近付けられるよねっ!?」


 緋月はその自らに指された紅葉の指を掴むと、同じ様に興奮気味に頷いた。

 

「おうっ! できる、できるはずだっ! ……っ、こうしちゃいらんねぇ、早く夜兄さんのとこ戻るぞっ!」


「う、うんっ! わかったっ!!」


 こうして興奮冷めやらぬままの二人は、慌てて兄の待つ陰陽亭へと帰還するのであった。

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