第119話 二日目/大雨のキャンプ場/そして、分かれ道の前に立つ

 タマキが見ている前で、橘颯々はその姿を変容させていく。

 それにつれて、さらに雨が激しさを増していった。


「ウフフフゥ~♪ タマキセンパイ、タマキセンパイ、あなたは私の如意宝珠~♪」

「何だよ、おまえ、竜人ドラグーンじゃないのか……!?」


 颯々の姿は、タマキが知る竜人とはかけ離れていた。

 まず、角の形状が違う。


 通常の竜人は尖った角だが、鹿を想起させる枝分かれした角だ。

 そして髪は銀、瞳は赤く染まり、口は裂けない。人の面影を色濃く残している。


「――私は龍人ドラグノ。そう呼ばれる、竜人の突然変異種ですぅ~」


 龍人の名は、タマキも聞いたことがあった。

 肉体強度に優れる竜人より全然虚弱だが、その分、強力な魔力を宿す個体。


「だけど待てよ! オレの知り合いに、龍人なんていないぞ!」

「いいえいぃえぇ~、センパイは私と会ったことありますよぅ~。ほら、覚えていませんか、あの雨の日、センパイは泣いてた私を撫でてくれたじゃないですかぁ~!」


 あの雨の日。撫でてくれた――、そう言わて、タマキは一つの記憶を想起する。


「まさか、おまえ……、あの小屋の中にいたッ!」

「はぁ~い、当たり当たりの大当たりですぅ~。やっぱり私のこと、覚えててくれたじゃないですかぁ、セェ~ンパイ♪ ウフフ、これって愛ですよねぇ~!」


「じゃあおまえは、あのときの竜人の、子供……?」

「そうです。私は橘颯々、あちらでの名前は『竜人にして龍神』ドラゥル・ゼルケルと申しますぅ~! ついでに言うとぉ~、この雨も、私が降らせてますぅ~!」


 雨を降らせている原因。

 それは、タマキもわかっていた。目の前の女が宿す、莫大な水属性の魔力。


「ウフフ、わかっちゃいますぅ~? ああ、わかってくれるんですね、さすがセンパイですぅ~。私達は、通じ合ってるんですねぇ~。ああ、ああああああああ……!」


 高く声をあげ恍惚としたものを顔に浮かべるドラゥルに、タマキは一歩後ずさる。


「気持ち悪いヤツだな、おまえ……」

「そんなことないですよ~? それはぁ、センパイが私のことをよく知らないからですぅ。すぐに教えてあげます。すごく教えてあげます。そしたらセンパイもぉ~、私のこと、きっと好きになってくれますよぉ~、ああ、今から楽しみですぅ~!」


「センパイ、って、おまえの先輩は菅谷真理恵じゃないのかよ!」

「ああ、アレですかぁ~? あんなの、ただの高校時代の知り合いってだけですよ~? お節介なだけの、図々しい女。ああいうの、だぁ~いっキライですぅ~!」


 それを言う表情は、真理恵と接しているときと何ら変わりなかった。

 タマキはドラゥルが得体の知れない生き物に見えて仕方がない。気味が悪い。


「あ、そうそう。キライっていえばぁ~、私ぃ、センパイのことを苦しめたあのケントとかいう男もキライだから、少しだけいじめてやりました。誉めてくださ~い!」

「な、おまえ……、ケントしゃんに何したんだ!?」


 血相を変えるタマキに、ドラゥルは愛らしい笑みを浮かべたまま、瞳を細くする。


「別に、何もしてないですよ~? ただぁ、ちょっとだけあのカス野郎に自分の本音を突きつけてやっただけですぅ~。私ぃ、そういうコトができるんですよぅ~」

「本音を、突きつける……?」


「あれぇ、もしかしてセンパイ、興味あるんですかぁ~? ヤダッ、そんな、私に興味あるなんてぇ~、そんなぁ~! やっぱろい私達、通じ合って――」

「うるさい! いいから言えよ、何したんだよ!」


 いきり立つタマキに、ドラゥルは余計に笑みを深めて説明する。


「バーンズ家にもいらっしゃるでしょう? 異面体の能力が強すぎて、本体にまで影響が出ている方が。私も、それと同じなんです。現実空間でも能力が使えるんです」

「――シイナと、同じ!?」

「私の能力は『水鏡』。対象にした人間に、その本人の心の内を覗かせる、精神感応系の能力なんですよぉ~。すごいでしょ? すごいでしょ~!」


 子供のように自慢するドラゥルを前に、タマキは「そうか」とだけ返す。

 その手には、金属符。そして瞳は鋭くドラゥルを射貫いている。


「……私とやる気ですかぁ~、センパイ?」

「ケントしゃんに手を出した時点で、おまえは全力ブン殴り決定だ!」


 タマキが洞窟の壁に金属符を貼りつけて、その場を『異階化』させる。

 すると、ドラゥルは頬を両手で押さえ、激しい喜悦に顔全体を歪めさせた。


「嗚呼! やっとです! やっとセンパイと二人っきりになれるんですね。このときを待ってたんです、私! 私を撫でてくれたあの日から、世界を越えても尽きることのなかった私の愛を、やっとセンパイに伝えられるときが来ました。愛しています、センパイ。私が幸せにしてあげます。撫でてあげます、抱きしめてあげます! それから一杯お世話をしてあげます! 飼ってあげますよぉ~! ウフ、ウフフゥ~!」

「ああ、もう本気で気持ち悪い! 速攻終わらせてやる! ――変身ッ!」


 タマキが、勝負をキメるべく異面体を全身に纏う。

 一方でドラゥルもまた、自身の背後の空間を歪めて異面体を具象化させる。


「楽しみましょうねぇ、セ・ン・パ・イ♪ アハァ、煌毘神眼キラビカガン!」

「おまえなんて、一秒でブッ飛ばしてやる!」


 純白の装甲に身を包んだタマキが、一直線に駆け出した。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ベンチで座って休んでいると、急に雨が降り出した。

 しかもあっという間に激しさを増して、真理恵はビショ濡れになってしまう。


「もぉ、何なのよ、これは……」


 使っているスマホが防水仕様であるためさして慌てる必要はない。

 しかし、やはり濡れていると服の感触が気持ち悪く、真理恵は途方に暮れる。


「こんなことなら、私も一緒に戻っておくべきだったかしら……」


 と、言ったところで後の祭り。

 すぐにやむかと思って待ってもみたが、一向にやむ気配はない。


「これはダメね、戻りましょう」


 諦めから嘆息して、真理恵はベンチから立ち上がる。

 スマホは取り出せない。防水とはいえ、何があるかわかったものではない。


 賢人は無事に見つかったし、急ぐ必要もないのだが。

 とはいえ、その賢人も違和感があったが、あれは何だったのだろう。


「……あとで説明してくれるのかしら」


 考えながら、ひとまず管理小屋に向かおうと踵を返す。

 すると、激しい雨のさなかに、木に寄りかかっている男性が見えた。


「あら……?」


 雨のせいで周りが霞んでいるから見えにくいが、成人男性のように思える。

 自分以外に、こんなところに人がいるのは驚きだが、何か妙だ。様子がおかしい。


「ぅ、ぐぅ……」


 少し近づくと、男性のうめき声が聞こえた。

 声からして、若くはない。中年か、それより少し上程度か。


 木の幹に寄っかかっているその人影は、真理恵の前で力なくへたり込む。

 それを見て、彼女は「大変!」と、すぐさま人影に駆け寄った。


「あの、大丈夫ですか! ご気分が悪いようでしたら――」


 しかし、真理恵は言葉を最後まで続けられなかった。

 人影が伸ばしてきた手が、いきなり彼女の腕を掴んだからだ。


「え……ッ」


 驚きに身を強張らせる真理恵。

 しかもよく見れば、その男性の片腕、肩から先がなくなっているように見える。

 さらには、肌が人の肌の色をしていない。これは、鱗……?


「捕まえたぞ、菅谷真理恵……」

「な、わ、私を知って……?」


 混乱し、掴まれた腕をどうにか放そうともがくが、ビクともしない。


「ケント・ラガルクを仕留めるのは、あの女がいる限り無理……。ならばせめて貴様を殺して、ケント・ラガルクに決して癒えない傷を刻んでくれる!」

「あなた、賢人君の……ッ!?」


 その男――、ドラゴ・ゼルケルは金属符を木に貼りつけ、『異階化』を実行する。

 そして菅谷真理恵は、現実空間から消え去った。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 大雨。

 もうそれだけで、俺はイヤな予感しかしていない。


「来たよ来たよ、ついに来ちゃったよ、七星句にあったワードがよ~……」

「ああああああああああ、何かごめんなさいぃぃぃぃ~……!」


 シイナが小刻みに振動しているが、おまえのせいじゃないから。

 俺達は今、管理小屋の前に集まっていた。


 皆で一通りキャンプ場を探して、雨が降ってきたので集合したところだ。

 そばにはミフユもいる。タマキは、テントに残っているようだが――、


「あっれぇ~? えぇ~、なぁにこれぇ~? え~? う~ん? えぅ~?」


 何やら、スダレがタブレットPCを片手にウンウン唸っている。

 ちょっとやめてくれませんかね、今のタイミングのそれは果てしなく怖いんだよ!


「さて、いかがいたしますかな、父上」

「雨が止むのを待って探索、ってのは時間がかかりすぎる。ここは……、ん?」


 山間エリアの方から、見覚えのある姿が走ってくるのが見える。

 おっと、あれはもしや――、


「団長!」


 やっぱり、走ってきたのはケントだった。


「おまえ、ケントォ! 今までどこ行ってた、みんなで探してたんだぞ!」

「すいません、お叱りはあとでたっぷり受けます! それより、お嬢はどこです!」


 ケントは、俺の肩をがっしりと掴んで勢いのままにきいてくる。

 その瞳を見たとき、俺は、ピンと来た。


「おまえ、思い出したのか?」

「……はい」


 やっとかよ! このイヤすぎるタイミングでかよ、もぉ~!


「とにかく、今はお嬢にお会いしたいんです。お嬢は、どこに?」

「タマキだったら、湖よ。テントで休んでるはずよ」


 答えたのは、俺でなくミフユだった。

 タマキは大泣きしてしまい、しばらく一緒にいたのだとミフユが説明する。

 それを、ケントは神妙な面持ちでジッと聞いていた。


「湖、ですね。わかりました。じゃあ、すぐに……」


 言って、今にも駆け出そうとするケントだが、そこにスダレが立ちはだかる。


「待ってぇ~、ちょっとまずいかもぉ~!」

「え、何、怖いんだけど?」


 いつもは見られない慌てようを見せるスダレに、俺は激しい不安を感じる。


「うん、実はね~。簡易の情報結界を~、キャンプ場に敷いてました~」

「は、どうやって!?」


「みんなが持ってるスマホの位置情報を~、特定できるアプリを~、ウチのタブレットに入れておいたの~。電話番号を知ってる相手なら追尾可能なヤツねぇ~」

「ちょっと、怖いことしないでよ!?」


 ミフユが顔を青くしてそんなことを叫ぶ。

 スマホを持ってない俺はいまいちわからんが、魔法じゃない手段ってことか。


「で、それがどうしたんです、スダレさん。俺、早く出たいんですけど……」


 ケントが急いているように言うが、そのケントを止めるほどだ。

 きっと、よからぬ何かがあったに違いない。


「あのね~、テントにあったはずのおタマ姉のスマホの反応が~、消えちゃったのぉ~。何でぇ、どぉしてぇ~! おタマ姉にはスマホ持っててって言ったのにぃ~!」

「消えたって……ッ」


 俺達は揃って言葉を失う。そして、事態を即座に理解する。

 間違いない。何者かがタマキを『異階化』に巻き込んだのだ。だから消えた。


「クソッ、お嬢……!」


 今度こそケントが走り出そうとするが、スダレの次の一言に再び足を止める。


「あとね~、おマリちゃんの反応も消えちゃったの~!」

「「「ええええええええええええええええええええええええええええ!!?」」」


 一同、全くの同時に悲鳴。

 待て待て待て、どういうことだ一体。菅谷真理恵まで『異階』に呑まれたのか!?


「……そうか、これが『岐路』」


 重々しい声で、ケントが言った。

 まさか、そういうことなのか。これが、シイナの予言の本当の意味なのか!


 タマキか菅谷、どちらかがいなくなるのではない。

 二人のうち、ってコトかよ!?


「――最悪だ」


 苦々しい笑みを浮かべ、ケントが毒づく。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃ~~~~!」


 シイナが、残像ができるレベルで震えながら、手を合わせて謝り倒していた。

 さすがにこれをこいつのせいとするのは酷な話なんだけどね。


 さてさて、ケント――、これ、どうする?

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