第118話 二日目/森の散歩道/死を越え、呪いを越え、今、

 酷い戦場だった。

 幾つもの勢力が入り乱れ、戦い続け、毎日おびただしい数が死んだ。

 そのクセ、戦況の把握もままならない、バカげた戦場。


 ケント・ラガルクはそこで死んだ。

 傭兵団の団長であるアキラ・バーンズを狙った攻撃から、彼を庇ったのだ。


 魔法の一撃だった。

 直接心臓を止めてしまう、呪殺の魔法。


 その殺傷力の高さから、当時の戦場では切り札として用いられていた。

 この呪殺魔法の存在がのちに蘇生アイテムの開発に繋がった。それほどの魔法だ。


 防ぐ手段がごく限られており、身に受ければ死は免れない。

 そんなものを、ケントはアキラに代わって受けてしまったのだ。


 戦場全域が『異階化』した状態だったのが、ケントにとっての決め手だった。

 そこでなら異面体の『戟天狼』を使える。呪殺魔法の発動後でも、割って入れた。


「ケント、ケントッ! このバカ野郎!」


 倒れたケントを、アキラが抱え起こした。

 だがそのときにはすでに、ケントの心臓が止まりかけていた。


 冷たい死の手が命を掴んで、彼の体から奪い去っていこうとしていた。

 自分は間もなく死ぬ。そこに恐怖はあった。アキラへの申し訳なさもあった。

 だが、ケントが泣いたのは、それらとは全く違う理由だった。


「すみません、団長……!」

「ケント……」


「お、ぉ、俺、守れませんでした。……誓いを!」

「……ケント、何言ってる?」


 驚きに目を見開くアキラの腕を、ケント・ラガルクは泣きながら強く掴む。


「誓ったんです。俺、あの子を、ぉ、お嬢を守る、って……、でも……!」


 そう、それこそが、ケント・ラガルクの誓い。

 あの日、あの大雨の日、自分の腕の中に眠る彼女を見て、心に定めた固き信念。


「すいません、すいません! 俺、お嬢を、あの子を、守れなかった……! 誓ったのに、俺、絶対に守り抜くって、誓ったのに。ここで逝っちまうなんて! お嬢!」


 最期の一瞬まで、涙が頬を伝った。

 恐怖ではない、覚悟の涙でもなくて、ただ、悔しかった。


 誓いを守れないまま生を終えることが、辛くて、悔しくて、苦しかった。

 生涯、守ると誓ったのに。

 あの子を、何があっても、何が起きても、絶対に守ると確かに心に誓ったのに。


 もちろんそれは、アキラのせいではない。

 ただ、自分の力が足りなかった。弱かった。それだけの話でしかない。


 だから、無念。辛い。悔しい。苦しい。

 だから、彼は最期の力を振り絞って、叫ぶ。


「次は! 必ず守ります……、俺が、お嬢を。生まれ変わって、もし会えたら、そのときは今度こそ、今度こそ……、お嬢。ぉ、れが……、お、じょ、ぅ、を――」

「ケントオオオォォォォォォォォォォォ――――ッ!?」


 傭兵ケント・ラガルクは、親友の腕の中で逝った。

 最期の最期の、最期の最期の最期の最期のそのときまで、己の誓いを思いながら。


 そして、記憶は埋められた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――水の落ちる音が聞こえた。


「ぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッッッッ!」

「け、賢人君!?」


 菅谷真理恵は愕然となった。

 それまで普通に話していた郷塚賢人が、突然頭を抱えて絶叫したからだ。


 彼は、ベンチから転がり落ちて、地面に膝をつき、激しく頭を左右に振った。

 その様子はまるで、激しい痛みを耐えて悶えているかのようだ。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「賢人君、賢人君!?」


 真理恵が賢人に寄り添う。

 彼は、全身を汗にまみれさせ、限界まで見開いた目を血走らせていた。


 震える体はきつく強張って、呼吸が激しく乱れている。

 まさに急変。真理恵が呼びかけても反応は返さず、ひたすらに叫び続ける。


「うああああああああ、ぁぁ、あ、ああああああああああああああああ……ッ!」


 体を丸め、地面に横たわる賢人。

 それを、真理恵は涙を浮かべて見守ることしかできない。


「何、どうしたの、賢人君……。あなたに、何が起きているの?」

 

 尋常ならざる様子の彼に、真理恵は顔面を蒼白にする。

 普通に話していただけのはずなのに。彼は、すっかり落ち着いたと思ったのに。


「あ、ッ、ぁぁ、あ――、ぅ、ぐぁ……ッ!」


 叫び声が徐々に細くなっていき、それは呻きへと変わる。

 真理恵はもう見ていられず、救急車を呼ぼうとスマホを取り出す。


「待っててね、賢人君。今、助けを呼ぶから……!」


 だが、番号を押そうとする彼女の手首を、伸びてきた賢人の右手が掴んだ。


「……だぃ、じょうぶです」

「賢人君!」


 真理恵はスマホを放って、賢人を抱きかかえる。

 触れた彼の体が、かなり熱を持っていた。これは、熱中症? それとも、風邪?


「賢人君、体が熱いわ。やっぱり救急車を呼びましょう。この熱は普通じゃないわ」

「すいません、お気遣いはありがたいですけど、俺は平気です」


「平気なはずないでしょう! 何を言ってるの!?」

「平気ですよ、ほら」


 いつの間にか、彼の右手にはナイフが握られていた。

 真理恵に抱えられた状態で、賢人はそのナイフで自分の左手に傷を刻む。


「な、賢人君……ッ!?」

「見ててください――、全快全癒ヒール・パーフェクション


 驚きに息を飲む真理恵の前で、賢人は全回復魔法を行使する。

 それによって、左手に付けた傷が消えた。身体を濡らしていた汗も引いた。


「え、な、何、今のは……?」

「魔法ですよ。ゲームでよくあるような」


 言って、賢人は真理恵の腕から抜け出て、すっくと立ち上がる。

 そして彼は、落ち着き払った面持ちで真理恵を見る。


「賢人君……?」

「真理恵さん、あなたは本当にすごい人です。そんなあなただから、郷塚賢人は憧れて、そして焦がれた。甘えたいからじゃなく、あなたみたいになりたいと思った。今だからわかる。きっとあなたは最初から、あいつと俺にとっての理想だった」


 朗々と語る少年が、真理恵には全く違う人物に見えた。

 ついさっきまで儚く脆い印象を帯びていた彼が、今はとても大人びて見える。

 だから、菅谷真理恵はきいてしまった。


「あなたは、誰なの?」


 彼は答えた。


「俺は、ケント・ラガルクです」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――思い出した。


 それを思い出した以上、もう、自分は郷塚賢人ではいられない。

 そこに約束された安寧があるとしても。自分を守ってくれる人がいるとしても。


「俺の『誓い』を果たせなくなるから、俺は、郷塚賢人じゃいられない」

「賢人――、いえ、ケントさん……」

「いや、本当はね、ここで真理恵さんと一緒でもいいかなとか思ってたんすよ、俺」


 呆けて自分を見る真理恵に、ケントは盛大にため息をつく。


「ところが、それをしちまったら、さすがに男としても人としても、生物としても存在としてもダメすぎる。ダメのダメのダメ! 下の下の下! 劣の悪の下の種! なんすよ。さすがにね、そんなのは認められませんよ。自分で自分を許せねぇ」

「あなたの中に、賢人君はいるの?」

「いますよ。いて、そして俺と同じ気持ちです。結局、俺も『俺』なんで」


 アキラ・バーンズが金鐘崎アキラであることを変えられないように――、

 ミフユ・バビロニャが佐村美芙柚であることから逃れられないように――、


「ケント・ラガルクは郷塚賢人であることをやめられず、郷塚賢人もケント・ラガルクであることをやめられない。コインの裏表と言っても、結局コインは一枚だから」

「言ってることがわからないわ……」

「それは、あとで説明しますよ。ちょっと、これから行くところがあるんで」


 正直、こうして話している時間も惜しい。

 でも相手は真理恵だ。二度に渡って自分を救ってくれた、尊敬すべき先輩だ。


「どこに行くの?」

「ちょっと、盛大に謝るのと、ご機嫌を取りに……」


 と言っても、真理恵にはわかるまい。わかられても困るが。


「何だか、本当にワケがわからないわ」

「ですよね~。俺もそうだと思います……。でも、説明はあとで必ずしますから」


 困惑の表情を浮かべる真理恵に、ケントは同調するしかない。

 さすがに『出戻り』の事情も知らずに全てを理解するのは、不可能だろう。


「でもすいません、急がなきゃいけないんで」

「わかったわ。あなたが平気だって言うなら、私はそれを信じるわよ」


 苦笑しつつ、真理恵は肩をすくめる。


「私は、ここまで走ってきて疲れたから、少し休んでから戻るわね」

「わかりました、真理恵さん。残りのキャンプ、いっぱい楽しみましょう!」


 そして、ケント・ラガルクは森の散歩道を走っていく。

 とんでもない速さだ。中学生が出せる速度とは思えなくて、真理恵は目を瞠った。


「何なのかしら、本当に。――でも、彼が無事でよかった」


 残された真理恵はベンチに座り、ほぅ、と息をつく。

 直後に、その頬に冷たさ。驚いて指で触れたら、軽く濡れていた。

 空から落ちるしずくを手で受け止めて、真理恵は空を見た。


「……雨だわ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 湧き続ける透き通った泉に、雨のしずくが波紋を作る。

 湖の小島。吹き抜けの岩山の中にある、小さな泉。


 タマキは、そこで一人、雨を浴びていた。

 水着のままだ。着替えることも、結局はできていなかった。


 一緒にいたミフユは、ケントを探しに出た。

 もう大丈夫だと、タマキが言ったからだ。嘘だ。大丈夫なはずがない。


 今だって、丸っきり体に力が入らない。

 こんなことは初めてだ。こんな、こんなにも自分が弱いと感じたのは……。


「ケントしゃん……」


 沈んだ声で、その名を呟く。

 自分にとってのヒーロー。『強い』とは何かを、教えてくれた人。


 ここで、言おうと思っていた。

 ずっとずっと、異世界にいたときから、長らく温め続けてきたものを。


 だけど、言えなかった。

 それどころか、ケントを傷つけてしまった。そんな自分が、たまらなく憎い。


「気持ち悪いの。胸が、ザラザラするの……」


 こんな感覚は今まで感じたことがない。

 異世界でも、こっちに戻っても、こんな気持ち悪さ、知らない。


 これは罰なのかな。自分が頭が悪いから、こうなったのかな。

 タマキはそんなことを考える。だが考えても、結局答えは出ない。ただ、苦しい。


「ごめん、ごめんね、ケントしゃん」


 涙が頬を伝う。

 自分が彼を苦しませていたなんて、知らなかった。

 それを今まで知らないまま過ごしていた自分が、今はどうしようもなく嫌いだ。


 どうすればいいんだろう。

 どうすれば、また、彼に笑ってもらえるんだろう。


 それを思うと、胸が苦しくなる。

 痛くて、切なくて、涙が止まらなくなる。


「ああ、可哀相。本当に可哀相ですぅ~……」


 そこに、やけに高い女の声が聞こえた。

 驚いてタマキが振り向けば、そこにいたのは、真理恵について回っていた女。


 名前は――、確か橘颯々。

 颯々はタマキを前にしながら、その瞳からハラハラと涙を流す。


「本当に、何て可哀相なんでしょう。あんな男を好いたばっかりに、こん辛い目に遭うなんて……。許せませんよぅ。私だったらそんな思い、絶対させないのにぃ~!」

「おまえ、何だよ……?」


 尋ねるタマキに、颯々はニッコリ笑ってその矮躯をくねらせる。


「ウフフ、フフフフ、フフ。やぁ~っと、私を見てくれましたねぇ~!」


 彼女が嬉しそうに言うと、それに呼応するようにして雨が一気に激しさを増す。


「お久しぶりですぅ~、タマキセンパァ~イ♪」


 笑う橘颯々の目の瞳孔は、縦に大きく裂けていた。

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