第92話 火曜日/激闘、ファミレス夏の陣!

 皆さん、こんにちは。

 占い師のミスティック・しいなこと、山本詩奈こと、シイナ・バーンズです。


 暑いですね。夏ですね。汗が止まらない季節ですね。ガッデムです。

 別に多汗症ではありませんが、この季節はとにかく汗がダラダラ流れます。


 ウェットティッシュや制汗スプレーが欠かせません。

 私は柑橘系の香りが好きなので、そういったたぐいのものを使用しています。


 それに外に出るときもそれ用のお化粧をしないといけないのが辛いです。

 この間、スダレ姉様と一緒にお出かけしました。


 信じられませんでした。

 あのアマ、すっぴんで来たんです。本当に信じられない。

 それなのに明らかにお化粧してる私よりも注目を受けていました。


 あの姉、既婚者なのにッ!

 それと私と二歳しか離れてないのに、肌年齢が私より全然若かったです。


 何で、どうして? 

 どうして姉妹でここまで差がついてしまったの!?


 そのことについて、私は母様に愚痴りました。

 そうしたら――、


「あんたは気にしなくていいことまで気にしすぎるからねぇ……」


 と、ため息をつかれてしまいました。

 何ですそれ、周りを気にするのって普通じゃないですか。何がいけないんですか?


 むしろ周りを気にしない方がどうかしてますよ! 傍若無人すぎます!

 と、母様に熱弁を振るったら、


「そんなだから色々疲れてお肌も荒れちゃうんじゃないの?」


 ――って。

 核心を突かれました。クリティカルでした。心臓を抉られました。


 泣きそうになりました。そして思ったのです。

 母様のような生まれながらの強者には、小市民の気持ちなんてわからないんだ。

 所詮、私は庶民という名のバーンズ家の異端なのですから。


 今日だって、私は庶民らしくなるべく気配を殺しながら帰ってきました。

 季節は夏になり、巷は夏休み。

 平日でも街に繰り出す人の数はとても多くて、歩くだけで息切れしそうです。


 そんな中、私は本日は仕事ではなくとあるイベントに参加してきました。

 参加、と言っても売る側ではなく買う側で。


 そう、私が行ってきたのは、同人誌即売会です。

 もちろん夏の祭典のような大きなモノではなく、近くでやってた小イベントです。


 私がこよなく愛する少年スポ―ツ漫画のオンリーイベントです。

 そのイベントに私の敬愛する作家様が本を出すというので、行ってきました。


 当然、慌てず、騒がず、目立たず、さりげなく、です。

 私ほどの上級庶民となると『存在を無にして本を買う』という芸当も可能です。

 それによって私は作家様の本を実読用・保存用・観賞用で三冊買いました。


 至福です。

 熱いパトスが迸ります。


 早く家に帰って、ガンガンに利かせたクーラーのもと、今日のために買っておいた少しお高めのビールと、ちょっと豪華なおつまみと共に一人祝勝会を開きたいです。

 そのときこそ、独身の独身による独身のための勝利を味わえるでしょう。


 ああ、独り身万歳。

 結婚していたら、同人誌ゲット記念一人祝勝会など絶対に開けません。


 フフン、既婚者ざまーみろです。

 令和という時代は独身にこそ微笑むのです。…………カレシ欲しいよぉ。


 ……いや~、それにしても、暑い。


 まだ午前中ですよ?

 なのに何ですか、この暑さ。日本を焼き尽くす気ですか?


 狙っていた作家様の本をゲットするため、朝一番で来たのは正解でした。

 これからもっと暑くなるなら、もうそんなの人類生存圏として不適格ですよ。


「ああ、でもちょっと意識がクラクラしますね……」


 早く帰りたいのは山々なのですが、少しどこかで休憩していきましょうか。

 と、思いながら周りを見ると、ファミレスがあるではありませんか。


 外に立つノボリには『夏には冷たい生ビール!』という文字が!

 ああ、何ということでしょう。今の私にはダメージ五倍特効の宣伝です。


 これはダメです。私の理性が即死しました。

 道に陽炎が揺らめき、蝉の声が耳をつんざく真夏の昼時近く。

 そこに見てしまったキンキンに冷えたおビール様。


 無理です。

 抗えるはずがありません。


 どうせ戦利品は私のバッグの中にしっかり入っているのです。

 私はすでに勝利している。なら祝勝会の前のプレ祝勝会を行なっても問題はない!


 カランカラ~ン。


「いらっしゃいませ~。お好きな席へどうぞ~」


 入ってしまいました。ファミレスです。涼しい、とても涼しい!

 汗に濡れた私の全身を、流れる風が軽やかに冷ましてくれます。い、生き返る。


 なるべく目立たないよう、私は奥の座席に座りました。

 そして、生ビールと、何にしようかな。ちょっとだけ贅沢しちゃおうかな。


 カランカラ~ン。


 私がメニューとにらめっこしているときに、新しいお客さんが来ました。


 カランカラ~ン。

 カランカラ~ン。

 カランカラ~ン。


 あれ、何か多いぞ。

 団体様かな。そう思って、ちょっとだけそっちを覗き込みます。


「くは~! 暑い! 涼しい! 最高! ヤッホイ!」

「ちょっと、やめてよ。恥ずかしい……」


 ゲェ、父様と母様!?


「わ~い、涼しいねぇ~、ケントしゃ~ん!」

「ぁ~、本当ですねぇ、お嬢。マジで今日の気温おかしいって……」


 ゲゲェ、タマキ姉様とケント・ラガルクさん!?


「あ、ジュンく~ん、あっちいっぱい座れそうだよ~」

「本当だね。スダレはよく見つけたね。うん、じゃあ、あそこにしようか」


 ゲゲゲェ、にっくき既婚者……、じゃなくてスダレ姉様とその旦那さん!?


「ささ、美沙子殿。どうぞこちらへ。汗拭きにこちらのハンカチをお使いください」

「ハハンッ、さすがの気配りだね、シンラさん。ありがたく借りておくさね」


 ゲゲゲゲェ、シンラ兄さまと……、え、あれはどこのどなた様です?

 何か、父様のお母様に似てるような、そうでないような……?


「……いやいやいやいや」


 私は激しくかぶりを振ります。

 そうです、あの方がどなたかはこの際、関係ありません。


 問題は、このお店に私含めバーンズ家がほぼ全員集合していることです。

 もし、私の存在に気づかれたら、彼らはきっと私を輪の中に巻き込むでしょう。


 ええ、普段であればそれは別にいいんです。

 私も家族は大切です。喜んでその輪に入ってタダメシをタカりましょう。


 しかし、今は話が別です。

 今だけは、あの人達に私の存在を知られるワケにはいきません。


 何故なら、私のバッグの中には、灼熱地獄の中で手にした品があるからです。

 この『約束された勝利の薄い本エクスカリブックス』が!


 これの存在を、あの人達に知られてはなりません。

 これは私にとっての秘中の秘。決して明かしてはならない禁断条項なのですから!


 ええ、つまりあれですよ。腐のアレです。BL本ですよ。

 何ですか、私が腐ってて何が悪いんですか。令和は多様性の時代ですよ。

 趣味や性癖にだって多様性は許されて然るべきではないですか!


 でもきっと、バーンズ家の人達はそれを理解できないでしょう。

 それどころか私がこの『勝利の本』を持っていると知ったら、何と言われるか。


 うっ、い、痛む!

 高校時代の古傷が、短大時代の忌々しい記憶が、激しく疼きだします!

 く、静まれ、静まるのです、私の黒き歴史よ!


 フ、フフ、何とか落ち着きました。

 そして同時に悟りました。多様性と言っても所詮私は日陰者。

 筋金入りの『腐』の求道者にもなり切れない半端な存在でしかないのです。


 かの方々のように、自らの趣味・嗜好・性癖を声高に喧伝することもできません。

 やはり、庶民。どこまで行っても私は、ちっぽけな小市民でしかありません。


 だからこそ、ここで父様に気づかれるワケにはいきません。

 私はイベント会場でそうしたように、存在を薄め、空気になり切るのです!


「あの~、お客様、ご注文はお決まりになられましたか?」

「ひゃわぁ!?」

「うわ、だ、大丈夫ですか……?」


 いつの間にか来ていたウェイトレスさんが、私を心配げに見ています。

 何ということでしょう、私がここまで気づかずにいるとは。これは達人ですね。


「あッりがとうごッざいましたぁ~!」


 一方で、やたら張り切りボイスを響かせているウェイターさんもいます。

 何と個性豊かなファミレスでしょう。もしかして穴場だったりするのでしょうか。


 しかし、今のは我ながら間抜けにも大声を出してしまいました。

 大丈夫ですよね。父様達に気づかれてませんよね。と、チラチラ様子を伺います。


 ……くっ、父様達の席が、入り口に近い。


 これはいけません。私が先に出ることはできなくなってしまいました。

 出ようとすれば、確実に父様達の席の近くを通ります。間違いなく気づかれます。


 これは、持久戦になりそうですね。

 いいでしょう、望むところです。ここは冷房が効いた安全地帯ですからね。


 それに、私にはスマホに入れた漫画数百冊があります。

 ヒマつぶしでこの私に勝てるとは思わないでくださいね、父様!


「あの、お客様、ご注文は……」

「あ、すいませんすいません。今します!」


 す、すっかり忘れていました。

 そうです。私はここに、プレ祝勝会をしに来たのです。

 おビール様、生ビール様をキューッと!


「ええと、それじゃあ生……」


 ――ハッ!?


 もしも、もしも私が生ビールを頼んで『え、昼間からビール』とか思われたら。

 そしてそんな贅沢カマすヤツいるのかよと、父様達がこっちを向いたら……。


 お、終わる……。

 全てが、終わってしまいます!


「はい、生ビールですか?」

「いぇ、ぁ、あの、生、なま、ナマ……、ナマステカレーを大盛りで!」

「ナマステカレー大盛りですね、かしこまりました」


 あああああああああああああああああ、私が苦手な激辛カレェェェ――――ッ!

 しかも何で大盛りィィィィ――――!? 自業自得自爆自殺ゥゥゥゥゥ――――!


 ウェイトレスさんがメニューを片付けて行ってしまいました。

 私は、何のためにこのファミレスに入ったのでしょう。

 暑いのがイヤなのに、おビール様を全力で飲みたかったのに、激辛カレー……。


 フフ、フフフ、これも勝利のための犠牲と思えばやむなしです。

 見たところ、父様達はすでにかなり食事が進んでいる様子に思えます。


 ここで私が息を殺していれば、間違いなく、父様達が先にお店を出るでしょう。

 そのとき、私は改めて生ビールを注文すればいいのです。


 勝ちました。

 この勝負は私の勝利で幕を閉じるのです。


 駅ビルのときは完全敗北を喫しましたが、それも今日の勝利の前振りでした。

 父様が帰ったあとでプレ祝勝会。そして家に帰って、本番祝勝会です!


 やはり、目立たぬことこそ勝利の秘訣。

 庶民派万歳、バーンズ家最高の一般市民、シイナ・バーンズ万歳!


「おッまたせしましッたー! ナマッステカレー、大ッ盛りで~ッす!」


 と、勝利を噛みしめていたら来ちゃいました、激辛カレー。

 しかも、運んできたのはさっきの元気のいいウェイターさんです。大声やめて!


「ううう、ありがとうございます……」


 勝利の前の困難と思えば、激辛と言えど食べられるでしょう。

 そう覚悟して、私はウェイターさんを見上げました。


「あ、タクマ君」

「え、おッ、シイナ姉ッじゃ~ん! マッジかよこんなトコで会ッちゃ~う!?」


 そこにいたのは、バーンズ家三男のタクマ・バーンズ君でした。


「え、シイナ?」

「何、タクマ?」


「あ、本当だ~、おシイちゃんだぁ~! オ~イ、おシイちゃ~ん!」

「わぁ、タクマだタクマだ! タクマがいるよ、おとしゃ~ん!」


 ギャアアアアアアアアアアアッ! 気づかれたァァァァァァァ――――ッ!?


「あッれェ~! 父ちゃんに母ちゃんッじゃ~ん、何々、コッレ、マジ~!」

「何だよ、タクマまで『出戻り』してたんか。それに、シイナもいたなら――」


 …………。…………。…………。…………。…………。…………ぶわッ!


「うぉぉぉぉぉぉッ!? 何かまた、いきなり泣き出したぞ、この四女!」

「何? 何? どうしたのシイナ。また何かあった? は、話なら聞くわよ!」


 涙を溢れさせる私に、父様と母様はやっぱり優しく寄り添ってくれました。

 でも違うんです。そうじゃないんです。


 ただ、私はささやかな安息すら許されないんだと悟り、悲しくて泣いただけです。

 うわ~~~~ん、こんなことなら生ビール頼めばよかったぁ~~~~!


 なお、バッグの中身は知られずに済みましたが、カレーが地獄でした。

 これは、真夏に食べるものじゃ、ない……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る