第37.5話 郷塚健司の決断

 郷塚健司の価値観にあるのは『郷塚家』である。

 それこそ、彼にとっての全ての基準。全ての標準。全てのものさしだった。


 健司は、郷塚の長男として生まれた。

 そして祖父に愛され、父に鍛え上げられ、郷塚の男として育った。

 二歳下の弟の源三は出来が悪く、それを反面教師としてきた部分もある。


 郷塚家は、江戸時代から続く豪農の家柄だ。

 当時から商売も営んでおり、多くの武士に金を貸し付けていたという。


 明治、大正、昭和、平成と続く時代の変遷の中、郷塚は決して揺らがなかった。

 その事実もまた、健司のプライドを支えている要素の一つだ。


 郷塚の人間は金の使い方を知っている。

 庶民や、名ばかりのエセ貴族などとは違う、真の意味でのセレブリティだ、と。

 だが、そんな彼の自尊心に大きな亀裂を入れる出来事があった。


 宙色市でも一番の資産家の地位にあった郷塚家。

 不動だったはずのその地位から、転落する日が来てしまった。


 祖父が亡くなり、父も年を食った十年ほど前のことだ。

 佐村とかいうポッと出の成金が、あっという間に郷塚家を抜き去ってしまった。

 企業を経営しているとかいう佐村は、宙色市の外からやってきた、新参者だった。


 そんなヤツに、宙色の顔としての立場を奪われてしまった。

 市議会や市長も、早々に佐村の顔色を窺い始める有様で、健司はひどく苛立った。


 これまで、自分達がどれだけ市のために尽力してきたか。

 どれほどの金を、宙色の街につぎ込んできたと思っているのか。


 彼が佐村をつけ狙ったのは、当然の成り行きといえよう。

 だが、郷塚健司は知らなかった。

 佐村勲もまた、社会の裏に精通する人脈を持っていた。


 しかも、地方の田舎ヤクザに過ぎない芦井など問題にならない規模の組織と。

 当然、芦井は早々に手を引いた。

 そこに至り、健司はやっと佐村勲が自分などとは格の違う傑物だと気がついた。


 その佐村勲が、死んだ。

 夫婦でのドライブ中の事故だったという。


 健司は歓喜した。

 これぞ天の采配と、神に感謝すらした。


 佐村勲は稀代の傑物だ。

 だが、彼の周りの人間や親族はそうではない。

 勲さえいなければ、佐村家は早晩、没落していくことだろう。


 そしてやってくるのは、郷塚の家の捲土重来だ。

 郷塚が宙色で一番の名士の地位に返り咲く。その実現を、健司は確信した。


 自分達こそが、この街の顔だ。

 それを宣言するために行なったのが、父親の葬式だった。

 金をかけ、人を集め、噂まで流して、盛大に執り行われる。――はずだった。


 だがそこから、ケチがつき始めた。

 郷塚家の凋落の足音は、すでに彼の足元にまで迫りつつあった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 入ってきた一報は、信じがたいものだった。


「理恵の家で火事だとぉ!?」


 郷塚の本宅にて、芦井の人間を介して送られてきた報告だ。

 この家にいるのは、健司と部下のみ。愛人は市内のマンションにいる。


「……火の不始末か? あの理恵が?」


 自分で言っておきながら、その可能性はごく低いように感じられた。

 あの雑貨屋は、理恵にとって最も大切な場所だ。


 郷塚の家ではない、本当の家族と住まう自宅。

 といっても、旦那は立場的には愛人で、子供も母と同じ姓は名乗れない。

 理恵は元々は旧華族の家柄で、だから郷塚の嫁に来た。


 健司と理恵の間に、愛情などはじめから存在しない。

 理恵には小絵と賢人を産ませたが、それも郷塚の家のしきたりに倣ってのことだ。


 自分と源三もそうであった。

 郷塚の家では、優れた跡取りを育成するための手法が存在する。

 それが、二番目の子供をわざと無能に育てる方法だ。


 長子の育成に手をかけ、二番目の子供はあえて手をかけず放置する。

 そして無能として育った弟や妹を見せつけて、それを反面教師にするよう促す。


 このやり方は、郷塚の家で代々続けられてきたものだ。

 祖父も子供は二人、父も子供は自分と源三、そして自分には小絵と賢人。


 自分の代での長子は女の小絵だが、健司はそこは別に気にしていなかった。

 今や時代は令和。

 男女同権だののお題目が叫ばれて久しい。


 女が家督を継ぐことなど、何の問題もない。

 健司は郷塚の家を大事に思ってはいるが、古臭い思想まで受け継ぐ気はなかった。


 小絵は優秀だ。彼女さえいれば次代の郷塚は問題なく回る。

 そうなるようにしきたり通りにこれまで賢人を冷遇してきた健司でもある。


 だが、しきたりがなくとも、健司は賢人を放置していただろう。

 彼から見て、あの長男はただひたすらな無能の愚図だ。

 とても郷塚を名乗るのにふさわしいとは思えない。自分の息子と思いたくもない。


 その賢人も、ここ数日帰ってきていない。

 この間の葬式以後、溜まった鬱憤を晴らすべくしこたま殴ったからかもしれない。

 万が一、賢人が警察に頼るなら、手下の一人を身代わりにすればいい。


 とにかく小絵だ。小絵だけいればいい。

 小絵と賢人を産んだ時点で、理恵の役割は終わっている。

 賢人も、小絵が成人した今となってはむしろいるだけ邪魔な存在だ。


 小絵だけいれば、郷塚は安泰だ。

 そう思っていたところ、翌日の朝に二つ目の報告が届いた。


「……小絵が、心臓発作で死んだ?」


 そのとき、健司は自分の耳元で何かがガラガラと崩れる音を聞いた気がした。

 報告はスマートホンで、まだ向こう側で子分が色々しゃべっている。


 小絵は、自分が店長を務める商店街のブティックで発見された。

 床に倒れて大きな外傷はなかったため、心不全ということで処理されたという。

 見つかったのはついさっきで、死後一晩程度経過していたとの話だった。


「わかった」


 それだけを言って、健司は電話を切った。

 自分しかいない部屋で、彼は表情を凍てつかせたままソファに座った。


「……何だ?」


 と、それしか出てこなかった。

 頭の中はほぼ真っ白で、今、自分が何を考えているのかも判然としない。

 ただ、耳の奥にたった今聞いた『小絵の死』の報告は繰り返される。


 小絵が死んだ。小絵が死んだ? 小絵が……?

 それじゃあ、郷塚の家はどうなる。跡取りを失って、この家は? 次の当主は?


 ――まさか、賢人が? あの愚図が?


「うぉぉぉおおおあああああああああああああ!」


 そう思った瞬間、真っ白だった思考に、火が爆ぜた。

 テーブルの上にあったクリスタルの灰皿を、壁に投げつける。

 調度品を掴み上げて床に叩きつける。カーテンを引っ張り、椅子を蹴り倒す。


「クソがぁ、ふざけんじゃねぇ! ふざけんなぁ! クソッ、クソォ!」


 葬式のとき以上に暴れに暴れ、わずか数分で広い部屋はメチャクチャだ。

 その真ん中に立って、自身も息を乱しながら、郷塚健司は考えた。


 何で、こうなった。

 どうして、こんな短期間に、郷塚家はこんなことに――、


「……あの葬式からだ」


 郷塚家の権勢を盛り返すための狼煙になるはずだった、あの葬式。

 そこで起きた死体消失事件からケチがつき始めた。そんな気がしてならなかった。

 忠実な部下だった宮原も、あの日以来、使い物にならなくなってしまった。


 芦井組の協力を得ているにも関わらず、未だに事件の犯人は判明していない。

 まさか賢人が、と考えたこともあったが、あの愚図にできるはずもない。


 とにかく、郷塚はナメられている。

 その事実が、脳髄を焼き切らんばかりの怒りを彼に抱かせていた。


「あ、あの、旦那様……」


 ドアがノックされ、怯えたメイドの声。

 健司は呼吸を整えて手櫛で髪を整えて「何だ」と平静を装いつつ返す。


「お客様が、参られておりますが」

「客……?」


 一瞬考えるが、そんな予定は記憶にない。とすると、アポなしの訪問か。

 どこまでもふざけやがって。郷塚をナメ腐ってやがる。


「帰ってもらえ、俺は忙しい」

「は、はい。ではそのように……、きゃっ!」


 と、メイドの小さな悲鳴。

 そしておもむろにドアが開け放たれ、誰かが健司の部屋へと入ってくる。


「よぉ、随分と荒れていらっしゃる様子じゃねぇの、郷塚の長男」

「てめぇ、貫満……!」


 入ってきたのは、宙色東署に所属する刑事、貫満隆一だった。


「聞いたぜ、奥さんが全身火傷で全治三か月。娘さんが心不全だそうじゃねぇか。一晩で自慢の家族がこの有様たぁ、何とも残念なことで。お悔やみ申し上げるぜ」

「うるせぇよ、てめぇ。何の用だよ、刑事さんよ!」


 凄む健司に、隆一は薄い笑みを浮かべながら、懐から何かを取り出した。

 それは、ICレコーダーだった。


「あ?」

「まぁ、これ聞けや」


 隆一が、レコーダーをONにする。


『今、たじろいだな? 俺の言ってることが的外れなら、そんな反応はしねぇよな、坊ちゃんよ。……やっぱあんたなんだな、死体をかっぱらったのは』

『――別に、かっぱらってなんかないよ』


 流れてきたのは隆一と、そして、賢人の声……?

 いや、今、賢人は何と言った。かっぱらってなんかいない。……何をだ?


『どうやって死体を隠した』

『隠してもいない。ただ、魔法で透明にしただけだ』


『オイオイ、大人をからかうなよ。魔法? 魔法だと?』

『別に信じてくれなくていいよ。けど俺は魔法を使ったんだ。ずっと前に死にかけたときから、魔法を使えるようになったんだよ……』


『どうして、死体を隠したりした?』

『郷塚の家の葬式をブチ壊して、親父を笑ってやりたかっただけだよ』

『そのせいで、そんなツラに――』


 隆一がレコーダーをオフにした。


「以上だ。随分とまぁ、実の子供に嫌われたモンじゃねぇか、郷塚の長男」

「……あの野郎ォ」


 健司には、隆一の声など聞こえていなかった。

 ただ、賢人に対する怒りが、激しい怒りだけが、その心を占めつつあった。


「あいつ、ブッ殺してやる。あのガキ、骨という骨を粉々にして、皮を剥いで、内臓をズタズタにして、てめぇがやったことを悟らせて、後悔させて、それから……!」

「オイオイ、怒りの程はわかるが刑事の前でするモンじゃないぜ、そういう話は」


「うるせぇ! てめぇはここに何をしに来やがったんだよ!?」

「ちょっとしたお節介さ。家庭問題に悩む若者にちょいと手を貸そうと思ってな。その手の問題ってのは、まずはお互いに腹を割るところからだっていうだろ?」


 相変わらず、健司の威圧を軽々受け流し、隆一は薄く笑っている。


「そうそう、家庭問題といえば、おめーにもいたよなぁ、ロクでなしの弟さん」

「源三が、どうかしたかよ?」


「今、どこにいるのか知ってるかい?」

「あァ? 知るワケねぇだろうが。あいつはとっくに絶縁済みだ!」


「そう、わからねぇんだよ。金鐘崎美沙子と離婚して以降、その足取りが杳として知れない。そいつが行きそうなところを総当たりしても、結局見つけられなかった」

「だから、てめぇは何が言いてぇんだよ!?」


 聞いていられずにがなり立てると、隆一は自分の額を指先でコツンと叩いた。


「俺の勘がな、いってるんだよ」

「……勘?」


「そうさ。あの死体消失と、おめーさんの家族に起きた出来事は、全部繋がってる。しかも、おめーさんの家族の件についちゃあ、賢人を唆した第三者がいる、ってな」

「第三者、だぁ……?」


 健司の怒りが、勢いをなくす。

 貫満隆一は『日本語を話す風船爆弾』と呼ばれる、風来坊のような刑事だ。

 しかし、彼が言う『勘』だけは侮るなと、健司は父親から教わった。


 貫満隆一の『勘』は大抵外れる。

 だが実のところ、彼の『勘』は極めて高い精度で働いていた。

 いずれの案件も、最悪、国を揺るがす大事件に発展する可能性を秘めていたのだ。


「『勘』、か……」

「お、何だい、ご長男。俺の与太話を信じるのかい?」


「死んだ親父が言ってたよ。あんたの勘だけは、軽く見るなって」

「そうかい、なら、その言葉に従っておきな」


 言って、隆一はポケットから出した何かを健司に投げ渡した。


「こいつは、USBメモリ?」

「中に、俺がまとめ上げた『金鐘崎アキラ』に関する調査ファイルが入ってる」

「金鐘崎アキラ……?」


 それは確か、金鐘崎美沙子の子供の名前だったはずだ。


「用事はそれだけだ。じゃあな、郷塚の長男」

「あ、おい……!」


 健司が制止する間もなく、隆一はさっさと去っていった。

 そして、残された健司は仕方なく、別室のパソコンにてメモリの中身を確認する。

 一時間後――、


「芦井の親父さんか。悪いが、人を集めてくれ。――狩りの時間だ」


 郷塚健司は、戦争の準備を始めた。

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