第31話 待ちぼうけしてた時間は二時間三五分二四秒

 初老の男が貫満隆一。

 年若い女が菅谷真理恵。

 二人の刑事が警察手帳を示すと共に、それぞれそう名乗った。


 貫満隆一の方は、もう、いかにも『ベテラン刑事』と言わんばかりの出で立ち。

 古びたトレンチコートに中折れ帽。あごに薄く無精ヒゲ。


 自ら意識しなくちゃ、ここまでテンプレは踏襲できんだろというお約束っぷり。

 顔の方は美男ではないが、飄々とした感じが印象的だ。背はそれなりに高い。


 一方で、菅谷真理恵は、若いはずなんだが貫満より疲れて見える。気のせいかな。

 黒いスーツをピシッと着こなしてて、髪は明るい茶色でショートヘア。


 化粧もスーツ同様しっかりしているのだが、キャリアバリバリには到底見えない。

 というのも、瞳が大きい。丸っこくて、クリっとしている。つまり童顔。


 年齢はおそらく二十代前半くらいだろうが、背の低さと相まって幼く見られそう。

 あの佐村勲が絶対に気に入るタイプ、という無駄な確信が俺の中に浮かぶ。


 これで女刑事かー、周りから絶対ナメられてるんだろうなー。

 疲れてるのもそれのせいかもしれんね。可哀相。と、俺は他人事ながら思った。


「……貫満さん、あんた、何でここにいる」


 健司が、いかにも邪魔くさいという顔つきで貫満に尋ねる。

 死体の件に警察を関わらせたくない。そんな本音がありありと態度に出てる。

 しかし初老の刑事は何も答えず、表情のない顔で懐にスと手をやった。


「――てめぇ!」


 身構える健司に、貫満は軽く笑って「まぁ、落ち着けや」と何かを差し出した。

 袋入りのスルメだった。


「カリカリしてんじゃねぇぜ、郷塚の長男。噛む回数足りてねぇんじゃねぇのか?」


 言って、貫満はゲソを一本取り出して健司の目の前でかじり始める。


「おめーも一本どうだ、あごを鍛えられるぜぇ?」

「うるせぇな、驚かせやがって!」


 完全にナメられた形の健司が、顔を怒りに赤くして出されたスルメを叩き落とす。


「おいおい、食い物を無駄にするんじゃねぇや、もったいねぇ」

「知るか! そんなことよりここに何をしに来た、警察なんぞ呼んでねぇぞ!」


「警察の役割なんざ一つしかねぇよ、社会正義の実現さ」

「ワケわかんねぇコト言ってはぐらかそうとするな、お呼びじゃねぇんだよ!」


 怒鳴り散らす健司に、貫満は「そうかい」というだけで全く動じていない。

 そしてその視線は弔問客の方に注がれて、


「これから親父さんの葬式なんだろ? それが何だってこんな場所に客が集められてるんだい? もしかして、警察が御入用な何かが起きたりしたのかい?」

「余計な詮索をしなさんなよ、貫満さんよ。あんたントコの署長にチクるぜ?」


 威嚇の態度を隠そうともしない健司に、貫満は「おお、怖ェ」と手を挙げる。


「そいつは勘弁してくれ。今日は迷子の案内をしてきただけなんだ」

「迷子だぁ?」

「この子は、あなたの息子さんですよね」


 名乗って以降、ずっと口を閉ざしていた菅谷真理恵がそう言ってくる。

 すると、それまで部屋の外にいたらしきガキが一人、おずおずと入ってくる。


 ガキとはいっても、今の俺よりは明確に年上。

 中学一、二年くらいの、顔に健司の面影がある線の細いガキだった。


「……親父、ごめん、俺」

「賢人、このバカ野郎がァ――――ッ!」


 喋りかけていたガキの鼻っ面に、健司の鉄拳が叩き込まれた。


「ぐっ、ぷぁっ!?」


 弔問客と刑事が見ている前で、賢人と呼ばれたガキは床に転がった。


「賢人君!」


 と、菅谷が慌てて駆けていく。


「迷子になった挙句に、大事な葬式にサツ連れ込むだぁ? 何考えてやがんだ、クソガキが。この、郷塚家の恥さらしが! ロクなことしやがらねぇな、テメェは!」

「オイオイ、仮にも刑事の前でそういうコトはやめようや、郷塚の長男さんよ」


「うるせぇんですよ、こいつは躾け。教育ですよ。第三者は口出しすんじゃねぇ。それと貫満さんよ、親父は死んだ。今は俺が郷塚の当主だ。呼ぶなら当主様と呼べ」

「ククッ、イキがりなさんなよ、ご長男。おめーじゃ無理だな。とんだ貫目不足よ」

「あァ!?」


 せせら笑う貫満に、健司は目を血走らせて睨みつける。

 おー、怖。ただの小学二年生の俺は、こそこそとモブの中に混じらせてもらおう。


「賢ちゃ~ん、大丈夫? 立てる? 痛かった? お姉ちゃんが手伝おうか~?」

「大丈夫だから、姉貴は触らないでくれよ……」


 途中、弟を助け起こそうとする小絵と、その手を振り払う賢人の声が聞こえる。

 またしても冴え渡る、俺の直感。

 あの小絵って女、佐村勲と同系統の匂いがする。


 そしてその近くで睨み合っている貫満と健司。

 そこに漂う一触即発の空気に、弔問客の間にも不安と緊張が高まっていく。


「テメェ、この俺をそこまでナメるからには覚悟が――」


 だが健司がそう言いかけたとき、部屋の外からバタバタと慌ただしい足音。


「健司さん、死体が、死体がァ――――ッ!」


 飛び込んできたのは、宮原ばりに典型的なチンピラさん数名。

 宮原が呼ばれた芦井組の連中っぽいが、何やら随分とビックリされているご様子。


「死体……?」


 と、女刑事菅谷がそのワードに反応を示し、健司が「バカが!」と小さく呟く。

 だが、チンピラがもたらした報告により、この場はまたしても騒然となる。


「死体が、戻ってます!」


 ――事件は何か始まって、何か終わった。笑うわ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 帰路。

 いやぁ~、結局何だったんだろうなぁ、あの『死体なくなっちゃった事件』。


 死体が戻ったと知ったら、途端に健司は冷静さを取り戻した。

 そして『ちょっとしたハプニング』を貫き通して、俺達を解放した。


 刑事二人もそのときにさっさと追い返した。

 菅谷って女刑事は食い下がろうとしたが、そっちは貫満が止めてたな。


 ――それにしても、あの貫満って刑事。


『金鐘崎アキラってのは、おめーか』


 とか、俺の帰り際、すれ違うときに言ってきたけど、何だったのやら。

 今のところ、サツに目ェつけられるような下手は打ってないはずなんだがな……。

 まぁ、頭の片隅にでも置いておくか。っつーかよー……、


「さすがに腹減ったわ、俺」


 さっきから腹が鳴りっぱなしですよ。傭兵でも腹はすくんだよなー。


「もう、九時近いからねぇ。本当に、何だったんだろうねぇ……」


 お袋の声も随分くたびれている。

 本当にね、何だったんでしょうね、あの葬式。というワケでアパート到着。


「あ」


 と、そこで俺の耳に届く、世界で一番慣れ親しんだ声。


「やぁ~っと帰ってきたぁ~! もぉ、ホント笑えないんだけどぉ~!」


 ウチの玄関の前で、ミフユが座り込んでいた。

 おまえこそこの時間に一人で何してんだよ、佐村家のお嬢様よぉ……。


「女の子を待たせるなんて最低よ、最悪だわ。何時間待たせるつもりよ!」

「おまえが勝手に来て、勝手に待ってただけだろうがよ……」


 俺が呆れて肩を落とすと、ミフユはますます頬を膨れさせる。

 ふぐでいらっしゃる?


「あら、美芙柚ちゃんじゃないかい。どうかしたのかい、こんな時間に」

「あぁ~、お義母様! こんばんは、ご機嫌麗しゅう! 夜分遅くにすみません。あ、あの、もうご飯って済まされましたでしょうか? もしまだでしたら、その、いいお肉が手に入ったから、御裾分けしたくて持ってきたんです~!」


 おまえ、お袋のメシタカりに来ただけかァ――――!!?


「あら、そうなのかい? 何か待たせちゃったみたいで、悪いねぇ」

「いいえ、そんなことないです。あ、こちら、お肉です。お受け取りください!」


 言って、ミフユは持っていたビニールをお袋に渡した。


「ありがとうね、美芙柚ちゃん。ここじゃ何だし、一緒に食事でもどうだい?」

「え~! いいんですか~!? そんな、悪いですよ~、お義母様~。でも、せっかくのお誘いですし、お断りするのも気が引けるのでご一緒させていただきますね!」


 瞳輝かせ、声弾ませ、一体何が『気が引ける』だ、この女は。

 お袋に続いて、ルンルンスキップで部屋に入っておくミフユを見て、そう思った。


 ……でも、いいお肉、かぁ。あ、腹鳴った。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 夕飯までの間に、ミフユにザッとさっきまでの出来事を説明した。


「あ~、あんたの義理の父親、あの有名な郷塚のできそこないだったんだ」

「有名だったんか……」


 しかも、できそこないで有名って……。

 やっぱこの世から消滅して正解だったな、あの豚。


「そもそも何、その郷塚ってのは、そんなに有名な家なのか?」

「庶民のあんたじゃ知らないだろうけどね~、こっち側じゃ名の知れた家よ。宙色市じゃ、序列としては佐村に次ぐ名家じゃないかしらね。江戸時代から続く大地主よ」


 七歳でそこまで事情に通じてるおまえもおかしいと思うけど、気のせいかな?


「で、郷塚の先代のお葬式で死体がなくなる事件、ねぇ……。ミステリーか何か?」

「知らん知らん。そっちはどうでもいいよ、俺は。それよりも――」


 促すと、ミフユはテーブルに頬杖を突いた。


「郷塚理恵に、郷塚小絵。この二人があんたの『仕返し』の相手、ってことね」

「そうそう、両方よぉく覚えてるぜ。真夏の真っ昼間の、地獄の炎天下での話さ」

「わぁ~、邪悪な笑顔。その二人もバカねぇ、あんたの恨みを買うなんて」


 ミフユがニシシと笑う。

 こいつ、最近、俺の前でよく笑うようになってきてるんだよな。


「ってワケでよ~、この前の興信所、また使わせてもらえねぇか?」

「あ~、そういうこと。わたしにその話した目的は、それか」


 俺はうなずく。


「自分で調べるよりよっぽど早いし情報の確度も高い。使わない理由がねぇよ」

「う~ん、そうかぁ。やっぱそうなるかぁ~……」


 だが、俺の予想に反してミフユの反応がやや渋い。

 いきなり腕を組んで、首をひねって難しい顔をし始める。何だ何だ?


「どうしたよ。何か問題あるのか?」

「いえ、問題はないわよ。きっとあの子もあんたには会いたいだろうし」


 …………


「え、もしかしてその興信所って――」

「ご飯できたわよ~」


 尋ねかけたそのとき、お袋の声が聞こえた。


「「はぁ~~~~い!」」


 一瞬にして、俺とミフユの脳内は『食・い・モ・ノ!』の文字に埋め尽くされる。


「うぉ~、何この匂い、ヤベェ~! おまえ、何持ってきたの!?」

「フフ~ン、聞いて驚きなさい! 和牛よ、しかも最高級ランクのヤツよ!」


「わ、ぎ、う!!?」

「そう、わ、ぎ、う! よ!」

「立派なお肉だったから、ガーリック醤油のサイコロステーキにしてみたわよ」


「「やった~、絶対美味しいヤツゥ~~~~!」」

「食べる前にちゃんと手を洗いなさいね。はい、石鹸」

「「はぁ~い!」」


 このときばかりは俺とミフユ、すごいいい子だったと思う。

 肉、メッッッッッッチャ美味かったです!

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