第28話 魔王と悪女の初デート:当日(3)
――午後三時、ジェットコースター。
カンッ、カンッ、カンッ、と、耳に聞こえる十三階段を上がる音。
それは鳴るたびに俺の体を軽く揺らし、刑の執行が迫りつつあるのを伝えてくる。
俺とミフユ、二人っきりで乗り込んだジェットコースター。
その車体が風に晒されながら、今、直滑降へと続く山なりのレーンを昇っている。
「…………ンプププ」
俺の隣ですでに顔を青くして泣き笑いしてるヤツもいるが、その声は何ぞや。
「ね、ねえ、ジジイ、ちょっと……」
「何よ?」
「このジェットコースター」
「おう」
「レール錆びてるの見えたんだけど……」
「…………」
ほほぉ、今回はそういう角度で客の感情を煽る作戦ですか、UJSさんたら。
「ミフユ」
「な、何よ……!」
「異世界でも、俺達は死線は幾度も超えてきた。もう一回、それを繰り返すだけだ」
「心静かに覚悟決めてんじゃないわよ! それは遊園地でやることじゃな――」
コースターが山の頂点に達した。そこから車体が大きく傾ぐ。
のちにフワッとした感覚があり、直後、全身を襲う急降下の暴力的な体感加速ゥ!
「ぃでしょォォォォォォォォォ――――ッ!!?」
そして尾を引くミフユの声。つか、悲鳴。
「きゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ――――ッッ!?」
「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
目まぐるしくグルングルンする視界に、体にかかる強烈なGと圧力。
うっは、これは爽快。古い割になかなかに楽しめる――、が!
「微妙に軋みつつ左右にガタガタ揺れるのやめろォ!?」
このままレールからぶっ飛んで空中分解する図をリアルに想像しちまうだろうが!
「もぉ、やぁだァァァァァァァァァ――――ッ!」
ラストのきりもみ回転中、ミフユが迸らせた絶叫が俺の耳にも届いたのだった。
そして、降車後――、
「……アキラ、あとでもっかい乗ろ?」
そこには、恐怖と興奮を混然一体にしたミフユの引きつり笑顔があった。
「実は相当なスリルジャンキーだなぁ、おまえもなぁ!?」
このあと滅茶苦茶コースターする確信を覚える、俺だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――午後四時半、メリーゴーラウンド。
ジェットコースターには八回乗りました。バカか?
「ぎぼぢわるい……」
結果、ベンチで横たわってぐったりしている、ミフユである。バカだな。
「おまえはよ~、調子に乗るからよ~……」
「だっでだのじがっだんだモン……」
楽しんでおられるようで何よりだが、明らかに命削ってるだろ、おまえ。
俺は、寝そべるミフユの額に濡らしたハンカチを乗せてやる。
「うあぁ~、気持ちいいよぉ~」
「ほれ、あとポーション」
それから、収納空間から取り出したポーションの瓶を渡そうとすると、
「蓋開けて」
「ん? ああ、わかったよ」
頼まれたので、瓶の蓋を開けてやる。
「あとストロー差して、飲まして」
「……ワガママなやっちゃなぁ」
「今日はわたしを楽しませる日なんでしょ~。言ったのはあんたなんだからね」
「はいはい、やらねーとは言ってねぇだろ。ストローもらってくるよ」
「ん、お願い」
ちょうど近くに売店があったため、俺はそこでストローをもらってくる。
そして、ポーションにそれを差してミフユの口に近づけた。
「ん、んっ……」
という、やや苦しげな声と、ポーションの中身が吸い上げられる音。
軽いバッドステータスなら解消してくれるタイプだから、これで回復するだろう。
「ぷは……っ」
ポーションを半分程度飲んで、ミフユがストローから口を離す。
「どうよ?」
「ん、染みてきた。だいぶ楽になったわ~」
「そりゃよかった」
俺もベンチの空いてる部分に座って、ポーションの残りを飲もうとする。
「ちょっと、それ、私が口付けたんだけど」
「別にいいだろ、今さら」
俺はストローをくわえて、ポーションを啜る。
「……ホンット、デリカシーない男」
「イヤなら先にイヤって言うだろ、おまえは」
「…………」
ミフユから答えは返ってこなかった。
さすがに、この時間帯ともなると俺達以外にも多少は客の姿があった。
日曜なので家族連れが多い。っつっても、まばらだけどな。
「ねぇ」
「ん~?」
「何でここなの? 宙色市、他にも遊べる場所はあったでしょ?」
「あ~、俺、ここしか来たことねぇんだ」
ま、ミフユの言う通り、遊ぶだけなら他にも場所はある。
宙色市は地方都市ではあるが、それなりに人口も多くて栄えちゃいるからな。
だが俺は、この古ぼけた遊園地しか知らないのだ。
「まだ俺が今のひなたくらいの年齢のとき、ここに遊びに来た記憶があるんだよ」
「それって……」
「ああ、お袋が、まだ俺の実の親父と一緒だったときの話だ」
本当に、覚えているのはごくわずかな記憶だけ。
だが『楽しい』という思いがやけに強く印象づいていて、今日ここを選んだ。
「ジェットコースターはまだ俺が小さくて乗れなかったけどな」
「あれは、どう? 乗ったの?」
ミフユが指さした先にあるのは、古ぼけたメリーゴーラウンドだった。
子供数人が楽しそうに乗っていて、それを親が見守っている。
「どうだったかな? 本当によ、あんま覚えてねぇんだ」
「そうなのね。じゃあ、今から乗りましょ」
ミフユがベンチから身を起こし、そのまま立ち上がった。
「ほら、あんたも立ちなさいよ。行くわよ」
「えぇ~? 俺も乗るのかよ~?」
「今日はわたしを楽しませる日なんだから、あんたに拒否権なんてないのよ!」
俺の腕を引っ張って、ミフユが強引に連れていこうとする。
「そんな引っ張らんでも行くから。服が伸びる」
「わたしはすぐに乗りたいの。早く立って!」
「へいへい……」
俺もベンチを立って、二人でゴーラウンドの方へと歩いていく。
「ああ、そういえば――」
「何よ?」
「ん、いや、何でもねぇよ。行こうぜ」
そういえば、前に来たときも親父にこんな風に手を引かれて乗ったんだったか。
何となく、そんなことを思い出した俺だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――午後五時、観覧車。
ゆっくりと、日が傾こうとしている。
昼間が長いこの時期、まだ空は青いが、果ての方は色みが変わり始めていた。
「閉園は六時だっけ?」
「ああ。観覧車に乗る余裕は十分にあるぜ」
観覧車に乗ってみたい。
それが、この遊園地で最後にミフユが希望したことだった。
「一周が大体三十分? 結構ゆっくりなのね」
「そうなのか。俺は他は知らないからなぁ」
「いいとこ長くて二十分くらいよ、他のテーマパークの観覧車は」
スタッフに案内されて、俺達は観覧車の中に乗り込んだ。
思ったより小さい、そしてボロい。
俺達が子供だったからよかったものの、大人同士だとかなり窮屈だぞ、これ。
「これ、一周がゆっくりなのって……」
「安全を考慮した結果だろうなぁ」
それでも動かそうという決断に至ってる経営側に、ちょっとした感動すら覚える。
「それでは、いってらっしゃ~い」
というスタッフの声に送り出され、俺とミフユを乗せた観覧車が回り始める。
その、本当に、微妙に軋みながら上がっていくの勘弁して。
「…………」
「…………」
お互い、膝を膝を突き合わせた状態で、景色を見ながらぼんやりと。
遊園地自体がやや高台にあるため、ここからだと宙色市の景色が一望できた。
仁堂小学校に、三木島家や佐村家がある高級住宅街。
今日、俺が迎えに行ったミフユが泊ってたホテルも少し目を凝らせば見える。
街並みは、斜陽を受けて薄い橙に染まり、夜を迎える準備中。
俺は、今日一日色々あったなと振り返っていると、ふとミフユが言ってきた。
「ねぇ、何かないの?」
「何かって、何だ?」
ミフユの方を見る。
あっちはすでに、俺を真っすぐに見つめてきていた。
「デートはこれで終わりなのよ? だったら『今日は楽しかったか?』とかきいてくるのが筋なんじゃないの? 自分の目論見が全部うまくいった、なんて、確認もせずにうぬぼれるようなあんたじゃないでしょ。ジジイ」
「ああ、そうだな」
まさにミフユの言う通り。確認はしておかなくちゃ、な。
「じゃあきくけど」
「うん」
「俺は怖くなくなったか?」
それを口に出すと、向かい合っているミフユの気配が、かすかに変わる。
「何言ってるの、あんた……」
「誤魔化すなって。俺はおまえの何だ? ――感づいてたよ、割と早いうちから」
振り返ってみれば、今回のデートの提案自体、唐突だった。
俺がどういうのがデートかわからない、なんてこと、こいつは知ってただろうに。
「今回の一件以前にさ、おまえ、俺のこと遠ざけてたろ?」
「なっ、そんなこと……!?」
「俺から接触しない限り、そっちから来ることはなかったじゃねぇか、これまで」
風見家の調査を依頼したときも、シンラのことが判明したときも。
「そんなに俺が怖かったか――、『ふゆちゃん』?」
「…………」
俺が重ねて尋ねると、誤魔化しても無駄と思ったか、ミフユは小さくうなだれた。
「ホント、あんたって最低よ。気持ちよく終わりたかったのに……」
「そういうワケにもいかんだろ。なぁなぁにしていいことじゃねぇっての」
ミフユは、顔を下げたままで、一度だけ首肯する。
「そうよ、わたしはあんたが怖かったわ。だって、わたしは『ふゆちゃん』だから」
「佐村美芙柚はあの夜に死んだ。おまえ自身が言ったことだろうが」
俺がそれを指摘すると、ミフユははじかれたようにして顔をあげた。
「そうよ、だけどね! わたしは『ふゆちゃん』で、あんたは『アキラ』なのよ!」
口走るミフユの瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「……何で泣くんだよ」
「イヤだからに決まってるでしょ! こんな怖さ、いつまでも抱えてたくないの!」
そこから、ミフユは堰を切ったようにして語り始める。
「でもね、ダメなの。どうしても、わたしの中からこの怖さは消えてくれないの。わたしは世界で一番、あんたのことをよく知ってるわ。あんたのお母様よりも、シンラよりも、他の子供達よりも、誰よりも、あんたのことをよく知ってる!」
「……ああ」
「わたしが、世界で一番『アキラ・バーンズ』の怖さを知ってるのよ……」
ミフユの声から、急に勢いがなくなる。
「わたしが知る『アキラ・バーンズ』は、敵対した相手を絶対に許さない。何があっても『やられたらやり返しすぎる』男なんだから、怖いに決まってるでしょ……」
「その怖さが、俺を遠ざけてたのか」
「そうよ、悪い? 正直、最悪な気分よ。頭ではあんたはそんなことしないってわかってても、心のどこかに小さな怯えが残ってるこの感覚、最低よ。大ッ嫌いよ!」
観覧車が軋みながら上がっていく。
多分、宙色市で一番高い場所へ向かう途中、俺は自分のカミさんの本音を聞いた。
「だから、その恐怖をねじ伏せたかったんだな。俺とデートして、その思い出で、自分の中にあるどうにもならない俺への恐怖を塗り潰そうとでもしたんだろ?」
「ええ、そうよ。全部、あんたの言う通りよ。情けないでしょ? 無様でしょ!? 世界最高値の娼婦と呼ばれた女なんていってもね、所詮はこんな程度なのよ!」
完全に開き直って、自暴自棄になりかけるミフユに、俺はため息をついて見せる。
「バカ」
そして俺は、ミフユの頭に右手を回して、自分の胸の内へと引き寄せた。
「ぁ……」
「何で、もっと早く言わねぇんだよ、このバカ。回りくどいことしやがって」
抱き寄せて耳元に言うと、ミフユが、俺の胸に手を置いて震えだす。
「……だって、言ったら嫌われるかもしれないじゃない」
それを告白する声も、弱々しかった。
「わたしは、世界中の誰に嫌われても平気。憎まれても平気。……子供達にだって、嫌われたら辛いけど、それでも母親として接することはできると思うし、愛してもいける。でも、あんたはダメ。あんたに嫌われたら、わたし、生きていけない」
細い声。涙で濡れて、小さくて、震えていて、力のない声。
俺は一層強くミフユを抱きしめて、その耳元にしっかりと自分の意志を告げる。
「今日は、おまえの楽しむ姿を見て俺が楽しむ日だ」
「うん……」
「つまり、おまえが楽しめることなら、おまえは俺に何を言ってもいい」
「え……?」
「言えよ。何でも言え。何でもやってやる。俺はアキラ・バーンズなんだから」
そう、宣言する。
今、俺は、何でもすると言ったのだ。結局それが一番早いと思った。
「…………じゃあ」
と、俺の胸の中で、ミフユが俺への願いを口にする。
「言って」
「ああ」
「わたしの中のくだらない恐怖を消す、魔法の言葉を言って!」
「ああ、言うよ」
観覧車が円の頂点に達したのと全くの同時に、俺はミフユへはっきりと言う。
「俺はおまえが好きだよ、ミフユ」
「…………ッ」
ミフユの手が、俺の服にしがみついてくる。
「もう、一回……」
「何回でも言ってやるさ、ミフユ、好きだぞ」
「それは、わたしに言えって言われたからじゃ……」
「邪推だよ。俺はおまえが好きだから、素直に好きって言ってるんだ」
「うん、うん……!」
うなずいてるのか、ミフユが俺の胸に頭をグリグリしてくる。
「あんた、やっぱ最低よ。女をこんなに泣かして、最低の男よ……」
「俺は最低の男でも、俺のカミさんは最高の女なんだぜ、知ってたか、おまえ?」
「うううぅぅぅぅぅ~~~~ッ!」
あ~ぁ、また泣いて。
せっかくの俺の新しい服が涙と鼻水でベチャベチャじゃねぇかよ、全く。
そう思いながらも、俺はミフユの頭を撫でてやる。
「どうだい? 俺の魔法の言葉は。くだらない怖さなんて、消えたろ?」
尋ねると、今さら恥ずかしいのか、ミフユは胸に顔をうずめたままうなずくのみ。
そんなこいつの様子が可愛く感じて、俺はちょっとした悪戯心を発露する。
「ところでよ」
「……何よ」
「おまえは言ってくれないの? 言ってくれたら、俺、最高に楽しいんだがなぁ」
「……バカ、バカバカ、バカ、本当に、バカ!」
そう幾度も俺を罵って、ミフユは顔をあげ、涙に濡れた瞳で俺を見上げる。
「世界で一番、あんたが大好きに決まってるでしょ! バカ!」
「知ってるよ」
俺は軽く微笑んで、いとしい女の唇に、自分の唇をそっと重ねた。
こうして、俺とミフユのデートは、終わった。
……今日の夜、寝れるかな、俺。
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→第二章 渡る世間は跳梁跋扈 終
第三章 宙色銀河商店街懺悔録 に続く←
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