第52話 昨日の出来事

環side


昨日


 今日は取引先に企業の担当者が派手にしくじったせいでその尻拭いをさせられた。


「霧島さん、本当に申し訳ございません!」

「霧島様、今回の失態、必ず埋め合わせいたしますので、どうか今後とも弊社と……」

「この件に関しては、全て我々弊社に責任がございます!霧島様のお手を煩わせて、本当に……本当に申し訳ございませんでした!追加の報酬はたっぷりお支払いいたしまのでお許しを……」

「ふん……」


 ファッション業界で有名なデザイナーとして働く彼女は目を細めて取引先の社員たちを睥睨する。


 中には偉い人も数人か混ざっている。


「まあ、失敗は誰でもしますから、担当者をあまり責めないであげてください」


 と、実に大人な対応で場を収めようとする環。だが、彼女は顔を引き攣らせていて、側からしてみれば怒っているように見えるだろう。


 前にいる取引先の社員らは、身震いしながら彼女の顔色を窺っていた。


 うち、偉い人が震える声で訊ねる。


「きょ、今日は、何か予定とかございましたか?」


 冷や汗をかく彼を見た環は、浮き立つコメカミを隠すように冷静なフリをして答える。


「今日は、ジムのトレーナーに指導してもらうつもりだったけれど……まあ、気にしないでいいから」


(社員一同の心の声:気になりますよ!!!)


 と、環はターンと踵を返して、その形のいい美脚を動かす。とても魅力的な体とファッションセンスを持ち合わせている彼女を見つめる社員らの表情は実に暗い。


 彼女はフリーランスとして働いている。天才と言われるデザインセンス故、数多のアパレル企業からデザインの依頼が殺到し、彼女はその優秀なスキルを遺憾なく発揮しているのだ。もはや社長くらいの人が頭を下げないと一緒に働くこともできないレベルの人。


 それが霧島(神崎)環という女だ。


 今日は目に入れても痛くない可愛い娘と一緒に運動をして仕事のストレスを解消するつもりだったけど、それができなくてイライラする環。


 時間的にもう環奈は風呂を浴びている頃なんだろう。


 車を運転する彼女は音楽を流して、今日の朝、環奈が言った言葉を思い出した。


『明日は大掃除するから、お母さんはどこかで時間潰してて』

『お母さんも手伝うわ!』


 サムズアップして、娘の役に立つ人間になろうと心の中で叫ぶ環だが、


『お母さん家事下手だから邪魔よ』

『うう……』


 ストレートすぎる自分の愛娘の物言いに若干心が痛くなる彼女だった。


「ん……ってことは明日、環奈はジムに来ないわよね。つまり……」


 そう呟く環は、普段より強めにアクセルを踏みながら、色っぽく自分の唇を舐める。


 近藤樹。


 自分が体を許した男。


 今でも信じられない。

 

 彼と出会う前までは、娘に幸せになってもらうために、仕事一筋だった。もちろん、彼女はすごく美人だから。お金持ちらが数えきれないほどアピールをしてきた。


 だけど、彼女は全部断った。


 自信がなかったのだ。


 自分が一時的な快楽のために他の男とそういう関係になったら、環奈にとっていいお母さんでいられるだろうか。


 そして、もし自分が再婚したら、その相手は環奈を本当に愛してくれるのだろうか。


 を抱かずに環奈を幸せにすることが出来のか?


 彼女は芸術的感覚に長けている反面、すごく敏感な性格である。だからわかってしまうのだ。


 娘と道を歩くとき、男たちが自分と環奈に向けてくるいやらしい視線を。


 だから、一人で寂しさを紛らす日々を送っていた。だけど、環奈を見ていれば大丈夫。なんとかやっていける。


 亡くなった夫と自分の愛の結晶。


 そう思ったとき出会ったのが、樹。


 彼が浮かべた寂しい表情は環の巨乳の中に隠された心を刺激した。だから声をかけざるを得なかった。


 彼は自分の心を読んだように、食事に誘って、それからラブホテルに行って、とても熱い時間を共に過ごした。


 あんなに寂しい表情をしたのに、する時の彼はまるで獣のようであった。だけど、乱暴ではなく、自分の寂しさやもどかしい感情を全部吹き飛ばす優しさがこもった動きだった。


 彼と関係を持ってからは全てが変わった。


 自分が変われるなんて……

 

 ハンドルを握る手に一層力を入れる環は、自分の愛くるしい娘がいる家へと向かう。


 自分の寂しさを無くし心を満たしてくれた樹。


 そんな彼は、一体何の闇を抱えているのだろう。


X X X


神崎家


「いない!?」


 玄関の扉を開けた彼女は明かりがついていない中を見て戸惑う。いつもなら、リビングから漏れてくる光を見て「ただいま!」をするのが日課になっているが、今日はそれができない。


 環奈の靴も見当たらない。


 近くのコンビニにでも行ったのか、と一瞬考えたが、環奈は基本夜になったら外に出ることを嫌がる。


 つまり、


「環奈に何かが起きた?」


 と、言って、いそいそ携帯を確認する環。


 そこに娘からのメッセージはない。


 何かしらの理由があれば娘は絶対連絡をしてくれるはずだが、今日に限ってはそれがないのだ。


 足が震えてきた。


 早速環奈に電話をしなくてはと、焦り出す気持ちを何とか落ち着かせて携帯をいじる環。


 すると、後ろから誰かの足音が聞こえてきた。


「ドア開けっぱなしにして何やってるの?」

「っ!?」

 

 突然声をかけられたものだから体をひくつかせた環だが、聞き慣れた声だということに気がつき胸を撫で下ろす。


 そして後ろを振り向いて心配そうに口を開いた。


「環奈……どこ行ってきたのよ?いないから心配したじゃない」

「ジムで運動してからちょっと寄り道した。ごめんなさい」

「か、環奈……」

「ん?どうした?」


 彼女は驚くしかなかった。


 環奈はシャワーをしてからあまり時間がたってないらしく、シャンプとボディーソープの香りを漂わせていたが、


 その中には、のフェロモンが混ざっており、自分の鼻腔を刺激していた。


 間違いない。


 飽きるほど樹に嗅がされたが、玄関一帯に充満しているのだ。


「う、ううん!なんでもないわ。それより、いいことでもあった?」

「いいこと?」

「うん。何だかニヤニヤしてるわよ」

「ひゃっ!そ、それは……」


 急に頬を赤くし、環から目を逸らす自分の娘の反応に当惑する環。だが、環奈はなんとかバレないように気を引き締めたつもりで再び自分の母に向かって返事をした。


「べ、別に、大したことなかったから……」


 だが、いくら取り繕おうとしても、誤魔化そうとしても、無駄だった。


 女になった環奈と樹のフェロモンが混ざった何ともいえない匂いを振りまく自分の娘の顔が


 とてつもなく妖艶で蠱惑的だったから。


 もし、環奈が少しでも悲しんだり後悔する様子を見せたら、早速理由を聞いて、その原因を潰したはずだ。


 しかし、環は問うことができない。


 なぜなら


 環奈はとっても幸せな顔をしているから。


 あんなにニヤニヤしている環奈は今まで見たことがない。


 環が目を丸くして戸惑っていると、環奈はいそいそと靴を脱いで自分の部屋目掛けて足速に歩き出した。


 一人になった環は、口を半開きにしつつ考えるのだ。


 あんなに真面目な子が自分に見えすいた嘘をつくなんて……


 環奈も大人になったということか。


 環奈を大人にした男は


 樹。


 あの子が私の娘を……


「……」


 背が高く、イケメンで、実に恵まれたと女性の目を惹きつける素敵な細マッチョ。


 そんな彼のを全部受け止めた時の場面を思い出す環は、急に上半身をくねらせた。


「っ!!!!」


 あんなことを、自分の娘にも……


 彼女は頬を膨らませ、ボソッと漏らす。


「ガキの分際で、許さないわよ……樹……フン」


 彼女は有名なデザイナーで、常に他人に対しては冷たく接している。


 だが、樹に対してはその限りではなさそうだ。


 最初に感じた娘がいないことによる恐怖は、今やに跡形もなく消え去り、残るは、彼をどう懲らしめてやるかという考えだけ。




追記



いつのまにストーリー中心になりましたね。


これからはキャラ中心で行こうと思います。





 

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