第8話 瞬きの滅び

 吹雪の中、氷漬けになった狼の前に佇む者がいた。雪のごとく白い髪が乱れ光を宿さぬ銀灰色の瞳は真っ直ぐに狼を見つめている。その者がそっと氷に触れた途端一瞬で溶けて水溜りとなった。


 どさり、と中にいた狼が地に落ちるとゆっくりと瞼を開いた。そして自分を氷から開放した者を見るやいなや膝を付き礼を執る。


「……生きていたか」


「ヴァイス様……お手を煩わせてしまい申し訳ございません……」


「全くだ。いつまで経っても『アレ』が届かぬから様子を見てきてみればなんだその有様は。それでも我が臣下か」


「返す言葉もございません……」


「お前がしてやられるとはな。誰がやった」


「はい……名は不明ですが白銀の髪に碧眼の女でした。突然現れたかと思えば呪文も無しに魔法を行使してきたのです。碌に抵抗出来ぬまま氷漬けにされました」


「ほう。我以外に呪文詠唱を破棄できる者が今の時代にいるとはな。気に留めておくことにしよう。……だが命を取らなかったあたり甘いな」


「……その甘さに救われた次第です」


 クリアが戦闘経験皆無かつ平和な異世界の元学生である事を知る由もない狼はトドメをさされず生かされた屈辱から体を震わせている。その狼をその主はあやすように撫でた。その手付きは飼い犬に対するソレであったが狼は幸せそうに目を細め尻尾を振る。


「まあよい。生きていればまた巡り合うだろう。我が臣下ルプスよ。その時にその屈辱を晴らせ」


「……御意。ヴァイス様。これからどうされるのですか?」


「ふむ。宛が外れた事だし……シミナの連中に会いにいくとするか」


「お供いたします。さあお掛けになってください」


 ルプスは凍らされ鈍くなった体を悟られぬよう懸命に振る舞いながら主を乗せ目的地である村に案内する。そのルプスの強がりをヴァイスは余興のように愉しんでいた。






 ◇◇◇






「やっと終わった……」


 全ての役割を終えたシミナの村長は脱力するように自宅の玄関に座り込む。靴についた泥や溶けた雪で服が汚れるがそんなことはどうでもいい、早く休みたいと切に思っていた。


『コレを育てよ。ただし人扱いをするな。蔑み、虐めぬけ。でなければお前達全員どうなるか……分かるな?』


 十ニ年前、平和だったはずのシミナ村に見かけはヒトの形をした異形、ヴァイスが現れた。その恐ろしいまでの威圧感に村長含め村人全員平伏した。


 ヴァイスから渡された赤ん坊。それは人間の赤ん坊そのもので愛らしかったが……こんな弱々しい生き物に辛い仕打ちをしろというのは善良な村人達にとって耐え難いものだった。


 最近赤ん坊が生まれたばかりの村人が震えながらもふざけるなと抗議したがヴァイスが手をかざした瞬間、男は一瞬で灰へと変えられその命を散らした。


 反意を持つことすら許されない──。


 そう村人達が悟るとヴァイスは時が来たら回収する、それまで預けるぞと去っていった。それから村長をはじめ村人はその指示を守るため、そして自分の命と家族の命を守るためその子どもに辛く当たった。


 その子どもは愛らしい容姿をしていたが異様なまでに傷の治りが早かった。見かけは普通の子どもと変わらないのに痣が出るくらいの怪我を負わせてもすぐに治ってしまう。かなり不気味であったが悲しいほど善良で自分達を恨むことなくごめんなさい、と謝るものだから良心と大切なナニカがゴリゴリと削られていく。何もしていない罪のない子どもを蔑み貶める事は彼らにとって苦痛でしかなかったのだ。


 もうこんな事は止めたいと思った事は数え切れないほどあった。が、どこでヴァイスが見ているのか分からない。もし指示を無視してあの子に優しくしたらあの灰にされた村人のように殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖に毎日苛まれていた。


 いつまでこんな意味を見いだせない辛い仕打ちを続けたらいいのか。村人達が憔悴していく中、手紙が届いた。『預けたモノを回収する、指定の場所へと連れて来い』と。


 村長と村人は歓喜した。やっとこんな意味の分からない指示を守る必要はなくなるのだと。ようやく全てから開放されるのだと。そう、思っていたのに。


「村長! ヴァイス様がお目見えに……!」


 慌てて家に駆け込んできた村人の言葉は村長を再び地獄へと誘った。






  ◇◇◇






「ど、どういったご要件でしょうか。生贄は指示通りの場所に連れていきました。手紙に添えられていた魔道具を用いて『檻』の魔法も作動させましたが……」


「そうだな」


 ヴァイスはルプスを咎めるようにわざとらしく撫でる。するとルプスは申し訳無さそうに項垂れた。その様子を見て何か不備があったのかと事情を知らない村長と村人は震え上がる。


「安心しろ。お前達にミスはなかった」


「そ、そうでしたか。……それでは我々は役目を終えたということでよろしいのでしょうか……?」

 

「ああ。約束通りお前達を開放してやる。よくやった」


「で、では……!」


「『生』という呪縛から解放してやろう。我自ら手を下してやるのだ。ありがたく思うがいい」


「────え?」


 集められた村人達は動かない。


 否。動けない。何故ならば彼らの手足は既に灰となって無くなっているからだ。


「あ、あああああー!!」


 十二年間、突然村に現れた脅威の機嫌を損ねぬよう言われた通り子どもを虐げるという精神的拷問を架せられ精神を擦り減らしていた村人達。それらからやっと解放されたと涙を流しながら喜んでいた人々は苦悶の叫びを上げた後、骨一つ残らず灰となり風に流され消えていく。


 彼らの人生は塵芥同然に終わった。死の痛みが長く続かなかったことだけが救いであった。


 

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