第199話 だが、人望だけはあるのだ。

「そいつの名前は何という?」

「ええと、トーマという男子生徒です」


 スールーの迫力に気圧されながらステファノはトーマの名を告げた。


「やはりか。そいつはキムラーヤ商会の跡取りだ」

「キムラーヤですか?」


 ステファノは初めて聞く名前であった。世の中では有名なのであろうか?


「む? その顔は知らんようだな。キムラーヤ商会は武器防具、馬具や馬車用品などの製造卸元だ。実家うちでも一部の商品を取り扱っているので商売上のつき合いがある」

「それで……庶民の暮らしには縁がない商売ですね」


 飯屋のせがれが目にする機会がなかったのは当然であった。住む世界がまったく異なっていた。


「僕は実家の商売を手伝い始めていたからね。キムラーヤ商会に年の近い長男がいることは良く知っていたよ。実際に何度かあったこともある」

「じゃあ、トーマがアカデミーに入ったことも知っていたんですね?」

「それはな。情報の重要性を語る僕がそれを知らないようでは何をか言わんやだよ」


 スールーは言わなかったが、彼女とトーマの間に婚約話が持ち上がったこともあるのだ。調べさせるとキムラーヤの跡取りはどうも「出来が良くない」らしいということがわかり、のらりくらりと身をかわして話を立ち消えにさせた。


 トーマの方は両者の間にそんな話があったことなど、まるで気づいてはいまい。商売上の損得とは別に、そういう人情の機微に鈍感なところもスールーがトーマを避けたもう1つの理由であった。


 皮肉や諧謔で誤魔化しているが、スールー自身は他人の感情に敏感な性質を持っている。感情のもつれで傷つきたくないがために、わざと道化師を演じ、皮肉屋を自認しているところがあった。


 良く言って天衣無縫、悪く言えば無神経なトーマと夫婦になることなど耐えられないと、スールーは考えたのだった。


「盲点だったな。あいつ自身はできが悪いので、検討の対象から外していたよ」

「あいつのできがそこまで悪いのなら、やっぱり仲間にしても役に立たないでしょう?」


 第一印象が良くなかったせいかステファノの言葉も辛らつである。


「ところがだ。あいつの背後にはキムラーヤがある。王国有数の職人集団がいるんだ。実家に帰ればあいつは優秀な職人の上に立つ偶像的存在なんだ」

「どうして偶像なんですか?」

「君は職人気質かたぎというものを知っているだろう?」


 田舎町の飯屋で庶民を相手に商売を手伝ってきたステファノである。毎日職人や人足の相手をして来た。

 彼らが大切にする「気風きっぷ」というものを理解しているつもりであった。


「はい、それなりに知っているかと」

「トーマは気風が良い……職人に言わせると、だ」


 豪商の跡取りとして不自由なく育ったせいか、物や金に対する執着が薄い。商売人の跡取りとしてそれでは良くないと思うのだが、銭勘定や損得の話は優秀な番頭に任せれば済む。むしろ中途半端に手を出してほしくないというのが、店の幹部の気持ちだった。


 その気持ちを汲み取ったわけではないのだが、トーマ本人はこれ幸いと細かい話、面倒くさい話は番頭たちに丸投げする生き方を身につけてしまった。


 その分職人たちとのつき合いに精力を振り向けた。トーマとしては人助けや同情でそうしているわけではなく、その方が楽しいからそうするだけであった。

 職人の方もそれは知っている。トーマが決して優秀な跡取りでないこともわかってつき合っている。


 トーマの足りないところ、ダメな所もひっくるめて「坊っちゃん」「坊っちゃん」と言って可愛がっているのだ。


「あいつは喧嘩っ早い割に喧嘩が弱い。奢るのが好きな癖に金を貯める才覚がない。大風呂敷を広げてはすぐ挫折する」


「だが、人望だけはあるのだ」


 どこか悔しそうにスールーはトーマのことを語った。自分にないものをトーマの内に見ているのかもしれない。


「あいつがやると言えば、職人は全員ついて来る。キムラーヤの工房が総掛かりで動く。これは恐ろしいことなのだ」

「そういう奴なんですね」


 ステファノは納得した。

 そういう人間が世の中にはいる。個人としては大した能力を持っていないのだが、なぜか周りが支えたがる。

 そういう人間は時に大きな出来事の中心になるものだ。


「褒めたくはないのだが、あいつにはもう1つ特長がある。『鼻が利く』のだ」

「鼻って言うと……?」

「『これは面白そうだ』とあいつが食いついた道具や工夫はたいてい物になる。100人が馬鹿にしてもトーマの一言でキムラーヤの工房が動くのはそのためだ」


 自分の工夫が物になる、世に出るということは職人にとっての誇りである。

 トーマはその機会を誰よりも与えてくれる。ならば最高の主人といっても良いではないか?


「本人のできはすこぶる悪いのだがな」


 スールーは苦笑いした。


「トーマは俺に魔力制御を教えてくれと言ってきたんですよ」

「教師がいるのにか?」

「先生から習えば良いだろうと言ったんですが、先生には睨まれているので具合が悪いと」

「うわぁ、ここでも賄賂を握らせようとしたのか? 懲りん奴だ」


 どうやらトーマは過去にも同様のトラブルを引き起こしたことがあるようだ。

 常識がないらしい。


「生徒が生徒に教えるっておかしいでしょう?」

「うーん。おかしくはないが、ステファノはそんなに優秀なのか?」

「そこが良くわからないんですよ。ミョウシンさんに近づきたいから俺を選んだのかも」

「いや、それはない」


 スールーは真顔で否定した。


「そこはあいつの中では別々なんだ。ミョウシンへの思いは通常の懸想とは違う。奴の中では純粋な『憧れ』なんだ。それを打算で汚すようなことはせんのだ、あいつは」

「そこは純粋なんですか?」


 意外にもスールーはトーマの行動原理を、一部にせよ評価している様子だった。


「何が理由かはわからんが、トーマは本気でステファノが師事するに値する存在だと判断したようだ。相変わらず、あいつの目は良い」

「俺の方は見込まれる理由が理解できないので、居心地が悪いです」


 本音であった。

 

 見込まれるほどの能力を見せた後であれば、話の流れが納得できる。だが、今日授業中に見せた程度の内容では一番に選ばれる理由にはならないと思うステファノであった。

 

「勘だろうな」

「そんな乱暴な」

「まだわからないか? 乱暴な奴なんだよ」


 うんざりした様子でスールーは言った。


「だが、君にも問題はあると思うぞ」

「え? 俺ですか?」

「君は『できて当たり前』みたいな顔をちょくちょくする。『できなかったこと』が少ない人生を送って来たのだろう。そういう奴は振舞いの端々でわかるものなんだ」


 どうであろうか?

 ステファノ本人は「できて当然」という顔をしているつもりはない。できないこともたくさん存在する。


 しかし、「できないから」と簡単に引き下がるつもりはない。できないならできないなりに何とかすれば良いと考える癖がついていた。


 そういうところが「落ちついている」ように見えたのかもしれない。


「結局どうしたら良いと思いますか?」

「君の気持ちが動かないのなら引き受けるべきではないと思うぞ」

「研究報告のためには仲間にした方が得かもしれませんが」


「君は僕のことを打算だけで動く人間だと思っているようだね?」

「ええと……。そうかもしれません」


 問い返されると否定もできないステファノであった。


「構わんけどね。打算は僕を構成する重要な要素だ」


 スールーは気を悪くした様子も見せず、言い切った。


「人を教えるということは責任を持つということだ。その覚悟をしても良いだけトーマという人間を受け入れられるなら教えてやれば良い」

「教える責任ですか。それを考えると気が進みません」


 ステファノの本音であった。自分のことで精一杯で、他人の生き方に責任を持つ余裕などなかった。

 

「無理する必要はない。教える側も教わる側も、中途半端な気持ちでは不幸になるだろう。技術者は他で探せば良い」

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