第197話 戦乱の世を作り出した物は「木綿」であった。

 群雄割拠の時代であった。


 鉄器文化が広まり、農耕面積が飛躍的に広がった結果、人口爆発が起きていた。そこら中に開拓村が生まれ、新農地が開墾された。


 農地が増えれば人口が増える。増えた人口がまた農地を開拓するという循環が数世代に渡って続いた。


 だが、農耕に適した土地には限りがある。畑に必要な水利も無限ではない。

 農地開拓から生産量増大へという社会経済的な拡大モデルはあるところで限界を迎えた。


 増えてしまった人口はどうしたら良いか。適齢の男女がいる限り、人口は増え続ける。

 生産と消費のバランスが決定的に崩れ、飽食の時代が一転して飢餓の時代に変わった。


 社会のバランスが崩壊する時、必ず現れるものがある。


 戦争だ。


 限られた土地、限られた水、限られた作物をめぐって人々の間に争いが生じた。

 争いはやがて戦いとなり、殺し合いに発展した。


 力の強い者がすべてを得る。武力が社会を制する時代となった。


 強い者が武器を集め、馬を集め、人を集めた。


 より多くの武力を集めた者がより多くの富を支配する。


 地方豪族同士の争いの中から、周りから一頭地を抜く有力豪族が生まれた。

 弱小豪族を配下に飲み込み、有力豪族はさらに富と武力の集積を進めて行った。


 彼らはなぜ争い続けたのか? なぜ、分け合うことをしなかったのか?

 強欲のせいでも、権力欲のせいでもなかった。


 それは「安定」を求めたためであった。


 農業生産には当たりはずれがある。農業だけではない、漁業でも狩猟業でもそれは同じであった。

 豊作に当たれば誰もが豊かになったが、凶作となれば等しく飢饉に見舞われた。


 蓄えがなければ凶作に、飢饉に耐えられない。


 必要な蓄えをするためにはより多くの土地が必要であり、より強い支配力を必要としたのである。


 一方で戦争の技術は未熟であった。鉄器の生産量は限られ、兵士全員には行き渡らない。

 雑兵は木製のこん棒を振り回して参戦していた。


 鉄はまず農耕具に回さなければ、人口を養えないのだ。


 兵員も限られていた。兵の大半は農民兵であり、農繁期に駆り出すことはできない。それをすれば作物は育たない。あっという間に飢饉が起きる。


 戦とは冬の農閑期にするものであった。


 冬の寒さの中、凍えながら腹を減らした農民兵同士が小競り合いを繰り返す。それが古い時代の戦であった。

 勝ち負けがあっても決定的な状態にはなりにくく、春になれば兵を納めなければならない。


 戦は終わる見込みもなく、何度も、何年も続いた。


 それを変えたものがあった。どのような新兵器が戦の歴史を変えたのであったか?


 それは兵器ではなかった。人を傷つけるものですらなかった。


 戦を変えたのは「綿織物」であった。

 木綿の登場が社会を変えた。


 木綿は温かい。「綿入れ」となればなおさらだ。

 それまで人々は麻やくずの繊維から糸を紡ぎ布を織って衣服としていた。麻や葛の布は目が粗く通気性が良い。


 夏には快適だが、冬の寒さにはまったく耐えられない。


 人々は冬場に凍えて死んで行く。


 世界中に春を祝う祭りが多いのは、冬を越えて生き残ったことを喜ぶためであった。


 その有用性を理解するや、木綿の栽培はあっという間に広がる。人が生きるために木綿は必要な植物であった。


 綿織物が社会に普及した結果、「生産力人口」が増大した。


 冬場の死亡率が下がったので、成人男子がより多く働けるようになった。

 木綿を利用するには繊維を糸に紡ぎ、糸から布を織らねばならない。この作業には力を必要としないので、老人、女性、子供など、畑仕事には不向きな人口層が「生産力」として富の産出に寄与できるようになった。


 社会的に生産力の爆発的増加が発生したのだ。


 それは「商品作物」の発生を意味し、富は局所的に蓄積され、必然的に流通手段の発達を促す。


 交易が可能になるためには「余剰生産力」を持たねばならない。消費を生産が追い越さない限り、交易に回す余剰財が生まれないのだ。


 こうしてまたしても生産力は増大し、その権益を奪い合う争いが活発になった。


 しかも今度は木綿がある。冬場の行動力が格段に上がった。

 木綿にはさらに、軍事的な有用性もあった。


「兵衣」として優秀な性能を有していたのである。


 動きやすく、温かいばかりではない。木綿は斬られにくい。綿入れにすれば矢止めになる。

 麻布と綿布の丈夫さを比較してみれば容易にわかることである。


 木綿の登場は、「冬にも思う存分戦をしろ」と神に囁かれているかのような出来事であった。


 それは現実となった。


 生産力の増大は、ついに農民と職業兵士の分離を可能にした。それだけではなく、職業の分化を促し、鉄器の大量生産時代が訪れた。

 流通の発達からは商業が生まれ、商人が富を蓄積した。


 これにより、農民が食糧を供給し、職人が兵器を供給し、商人が富を供給し、職業兵士が戦をするという戦争のための社会構造が完成することになる。


 戦はその激しさを増し、殺戮戦の様相を呈するようになった。当然、職業兵士は損耗した。

 しかし、人口増加が続く農村から土地を継げない次男以下の男手が職業兵士化して減員を補充するのだった。


 寿命の短い時代において、先行きの見えないみじめな暮らしをするよりは、命の危険があろうとも刹那的な快楽を求める生き方を若者は求めた。


 時代は覇者を求めていた。


 次に社会的なイノベーション、ブレークスルーが発生すれば、微妙な均衡がひっくり返り、圧倒的な強者が全体を超越する状況が起きるはずであった。

 

 その緊張に社会全体が包まれている時に、聖スノーデンが現れた。


 当時戦の場で大きな威力を示し始めていた「火薬」という武器を物ともせず、聖スノーデンは戦の趨勢を一方的に変えてしまったのだった。


「スノーデンの前に英雄なく、スノーデンの後に勇者なし」


 そううたわれるほどの働きだった。一軍を圧倒し、戦って破れることがなかったと言う。

 瞬く間に現在のスノーデン王国全土を制覇し、王位就任を宣言した。ここにおいてスノーデン王国領土内での戦役は終わりを遂げたのだった。


 聖スノーデンは国土統一の偉業を為すと同時に、隣国に宣戦を布告した。国の中での争いは終わり、他国を相手にした戦いが幕を開けたのである。


 ◆◆◆


(何だか戦を続けるために、兵士は駆り出され、平民は働かせられているみたいだな)


 ここ20年ほどは比較的平穏だと言っても、聖スノーデンの登場から600年以上たっても相変わらずこの国は戦争状態にあるのだ。


 そんなに長い間戦力のバランスが保たれることがあるのだろうかと、戦争をまるで知らぬステファノは不思議で仕方がなかった。


「魔術とは常に『戦争の道具』であった」


 ドリーさんはそう言った。


 魔術師を志すステファノにとって耳の痛い話であったが、ステファノは「兵器の歴史」を紐解くことで「原始魔術」の存在を探ってみようと考えた。

 魔術師もまた「兵器の1つ」として数えられていたのではないかと。


 スノーデン王国史に関する文献は、建国前、初代国王統治下、2代国王以降、現国王統治下の4つに分類されていた。初代国王時代に関する文献が最も多く、次が現41代国王時代、2代から40代国王時代、そして建国前という順番であった。


 数少ない建国前時代(この国では戦国時代と呼ばれる)の書籍の中で、兵器に関する著述はさらに少なかった。


 結局2冊しか見つからず、内1冊は美術工芸品としての鎧兜を記録したものであった。


 もう1冊は初代国王時代誌に比べると装丁も貧弱なものであり、「戦国兵器総覧」という武骨なタイトルを背表紙に掲げていた。

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