Suspended 2

 田中さんと別れて、原宿へと繋がる深夜のキャットストリートをヨリコと歩いた。

「田中さんの言ってたこと、ちょっと分かるなぁ」

 不思議そうに見る俺に構わずヨリコは続ける。

「日本って特にそうなんだけど。女ってさ、他人にいろんな呪いをかけられて生きるのよ。三十までに結婚しないと変な人だとか、いろいろ。周りの人間が決めることじゃないのにね」

 俺は目から鱗が出る思いだった。

「知らなかったよ」

 俺の知る限り、イギリスで暮らしている時、年齢で生き方をあれこれ言ってくる人間は皆無だった。

「そうだよね。ヨーロッパの人たちはそれぞれのタイミングを尊重してくれるもんね」

 ヨリコはふふふっと笑って、縁石ブロックに飛び乗ると両手を広げて歩き出した。本当に、ヨリコは俺の知らない物を何でも教えてくれる。縁石ブロックという呼び方もそうだ。俺の中ではただの車道と歩道を区別するだけの存在に過ぎなかったのに、俺の世界に名前をつけてくれたのはいつも彼女だった。

「誰かを見返すために頑張るのも、間違いではないけど。それだと相手にずっと縛られたまま生きることになるもんね。田中さんは、分かってるんだねぇ。それがどんなにしんどくて、自分を虚しくさせるかって、さ」

 まるで平均台の上を歩くように、バランスを取って進む彼女の姿を眺めた。俺はウィリアムのことを思わずにはいられなかった。まさに、俺はあいつに、自分がなりたかったモノになれた男に、縛られたまま生きている。持たざる者の俺が持てる者に嫉妬し、一方では憧れ、そんな自分を認めたくなくて、嫌いで、誤魔化すために足掻いていた。心の中は込み上げる恥ずかしさと虚無で一杯だった。

 立ち止まった俺に気づく素振りもなく、ヨリコは夜の散歩を続けていた。



「先生。どうして……」

 日本武道館の控え室。田中さんの目の前には、ジーン・サンレノが座っていた。

「奇遇だね。ジーンは俺の友達の友達なんだよ」

 俺が目くばせすると、ジーンの側にいるデーモンがこちらへ向けてウインクした。

「さぁ、時間のあるうちにジーンに話しかけて。おっと、もちろん、英語でね」

 溢れんばかりの涙のせいで、まともに喋れなくなった田中さんを宥めるのも、悪くはなかった。彼女は英語で自己紹介をしたのち、どん底にいた自分がジーン・サンレノの音楽にどれだけ救われたか、丁寧に言葉を選んで話し始めた。ジーンは目尻を下げた優しい表情を浮かべ、ゆっくりと紡がれるスピーチに耳を傾けていた。

「応援しています」

 彼らは握手をすると、同時にエールを送り合ったために声が重なった。あまりにもタイミングがバッチリで、居合わせた全員が思わず笑った。驚いたのは、ジーンが彼女を励ますために「応援しています」という日本語を覚えていたことだ。もっと驚いたのは、記念撮影にデーモンがちゃっかり紛れ込んでいたこと。さらには奴さん、ジーンの隣に立つ田中さんの肩に手を回している。微塵も照れる様子もなく堂々とやってのけるので、どっちがスターなのか分からない。

 こいつには何回度肝を抜かされるんだろう。相変わらず、掴みどころのない男だ。

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