暗夜行(5/7)

 魔導士アーダラクが使っていた通信経路を使い、とりあえず対策局には犯人を確保したとだけ伝言を送った。魔導士の言を信じるならば逆探知はできない。


 アナンシ司教には犯人を確保したことだけを伝える。この魔導士のことを知ればアナンシ司教は絶対に自分の手駒にする誘惑に勝てない。だがそれは余りにも危険すぎる。

 かってのダークの軍勢や武力の大半を作り上げたのはこの男なのだ。アナンシ司教に紹介するのは彼が私の完全なる支配下に入ってからでないといけない。

 みんなの嫌われ者である対策局は特に喧伝はしていないがその実力は天界、魔界につぐ第三の勢力なのだ。そのバランスを崩すようなことをしてはならない。そんなことをすれば第二の闇大戦が勃発する。

 そしてこの魔導士アーダラクはそのバランスを崩すには十分な能力を持っている。


 アーダラクが用意したこの洞窟は厳重に魔法防御と魔法偽装が為されていて簡単には見つからないようになっているので、私たちはしばらく滞在した。

 その間に魔導士はあらゆるテストを私に試した。

 147種類ある洗脳魔術の痕跡を私の中に探し求めた。私もそれに異存はなかったので自由に頭の中も体の中も探させた。その中には相当痛みを伴うものもあったが、私は我慢した。


 魔導士に体をいじらせるのは危険ではないかって?

 その点は問題ない。今は二人とも魔法のギースの制約下にあり、相手を一方的に害することはできないようになっている。彼は私との契約を確かめるためにのみ、私の体を解剖することができる。その行為が私を直接害するものであった場合、従属のギースに対する反乱の形になってしまうため、彼はその罰として死ぬことになる。

 誓約が魔法的に高度に進化したものである魔法のギースは便利だ。その限界と支払いの大きさを見極めて使う限りは。


 とうとう最後には彼は机を殴りつけた。

「バカな。何もない。何もないだと。だが、何もない」

 私はそれを横目で見ながら、借りたアイロンで丁寧に神父服のシワを伸ばしている。

 バチカン対策局の被服部門は鬼より怖い。かぎ裂きでも作って帰ろうものならひどい目に遭わされる。私が五回連続で作戦中に神父服を破って帰ってきて以来、被服部門の長であるマダラク尼僧は私の人生を耐えがたいものにすることに決めたようで、色々と嫌がらせを仕掛けてくるのだ。これが地味に私の精神に来るので、服はできるだけ汚さないようにしている。

「アーダラク。いい加減に認めろ」

 私はウンザリとした口調で言った。彼の頑固さはそれだけで地球の裏側まで貫通できそうなほど硬い。

「だが、私は認めませんよ。我が君。どこかに見落としがあるはずなんです」

 私は綺麗にした神父服に袖を通した。うん、ノリが効いていて気持ちがよい。

 そして立ち上がった。横でコミック雑誌を読んでいたシェイプシフターのアラバムが飛びあがる。コミック雑誌は魔導士の趣味でそれを借りてきたものだ。山ほど積まれたコミック雑誌を読むためにアラバムは頭を二つ作り、同時に二冊を読んでいる。

「我が魔王。どうなさいました」

「その呼び方を止めろ。私はもう魔王じゃないんだ」私はぴしゃりと言った。

「でも習慣なものでして」アラバムは言い訳する。

 ダークの時代には私に口答えなど間違ってもできなかった。進歩したのは私か、それとも彼か?

「こうしていても埒が明かない。みんな付いてこい。出かけるぞ」

 私の言葉は、シェイプシフターに対しては単なる宣言、魔導士に対してはギースの強制下での命令として働く。

「どこへ」

「それは着いてからのお楽しみとしよう」

 私はニヤリとした。サプライズの楽しみをここで捨てたりなんかするものか。



 世界は一日の繰り返しの中で特定の場所と方向に従い、本来の三次元の他にもう一次元のパスを付け加える。

 それは妖精の道と呼ばれるものだ。

 正しくそれを解き明かしたものは、遠く離れた二点間を素早く移動することができるし、普通では行きつけない場所にたどり着くことができる。もっとも、その道の中には多くの住人が棲んでいて、その大半が肉食と来ているのが厄介なところだ。

 私はその道のいくつかにダークの時代に得た特殊な特権を持っている。ただしその半数はもう使えなくなっている。それらの道の所有者たちが私を裏切り者と見なしているからだ。


 今辿っているのはその中でもまだ使える道の一つだ。そしてこれには特別な名前がついている。

『天国へ至る道』ゴールデン・パスがその呼び名だ。

 私はためらわずに進み、アーダラクとアラバムの二人は私の背後にぴったりとついてきていた。道を知らぬ者には妖精の道は致命的な罠に満ちた迷路に過ぎない。もし私から逸れれば、命の危険を伴う程度にきつく厄介なことになるから二人とも必死だ。

 この妖精の道を探索するのにいったいどれだけの部下を犠牲にしたのか。妖精の道の住人たちに取ってはいきなり始まった大パーティのようなものだった。一杯食って、一杯殺して、そして一杯私に殺された。


 暴力と血に塗れた日々。少しだけ懐かしい。


 道は私の前で開き、私の後で閉じる。光は歪み、それが届かぬ闇の中から誰のものとも知れぬ視線が注がれる。私が横目で見つめ返すと、それは震えてさらなる闇の奥へと引っ込んだ。以前に私に痛い目にあっているからだ。

 あのときの口の中に広がった汚染された肉の味を思い出して、吐き気がした。次にやるときは噛みつき攻撃は選択から外そう。そう誓った。


 しばらく進んでようやくに妖精の道の大分岐点の一つにたどり着いた。

 ここの所有者は小さなネズミそっくりの妖精だ。見た目もネズミで体もネズミで能力もネズミそのものだが、知性がある。

 そのネズミ妖精がここに所有している土地の大きさは腕一本分の長さの三角形の土地だ。

 私たちの姿を見つけると、ネズミ妖精は自分の穴蔵から這い出してきて、チイと鳴いた。

「やあ、フィズ。久しぶり。元気にしていたようだな」

 もちろんそれの本当の名前はもっと長い。これは愛称だ。それはチィチィと続けた。ブリッジトロールのいつもの要求。

「通行料だね。いま払うよ」

「我が君」魔導士アーダラクが口を開いた。「こんな小さな土地です。飛び越えてしまいましょう」

「止めておけ。お前たちも私を真似るのだ」

 私はそれの領土に一歩だけ足を踏み入れると、指を傷つけて絞り出した血を一滴だけ、それの口の中に垂らした。

 アーダラクもアラバムも同様にする。

 それが済むと小さな妖精はまた自分の巣の中へと引っ込んだ。

 私たちは先へと進んだ。


 魔導士はさきほどの行為が気に入らなかったようだ。彼が覚えているダークらしくなかったからだろう。

「我が君。先ほどのは無意味な行為ではないのですか?

 通行料など払う必要があったのでしょうか。見たところあの妖精には何の力もありません」

 私はちらりと背後についてきている魔導士を見た。

「それは止めておいた方がいいな。確かにあの妖精にはさしたる力はない。だがそんな存在が大分岐点の中央に縄張りを持っているのはどうしてか考えたかな?」

 魔導士は押し黙った。

「あいつはな、妖精王の甥だ。だから誰もあいつには手を出さないし、あいつの通行料を踏み倒す者もいない」

 私は足を止め、魔導士の正面に立った。

「よく覚えておけ。アーダラク。どんな物事も見かけ通りほど単純ではない」

 魔導士の目の中に理解の光が浮かぶのを待ってから、私はまた前に進み始めた。

 アーダラクはここ千年の間で最大級の魔導士だ。それほど賢いのに奇妙なところで抜けている。それとも偉大なる知性とはこのようなものなのだろうか。

 すでに私とシェイプシフターの指の傷は治っている。魔導士の指の傷はもう少し残ったままでいるだろう。それが彼に分別というものを教えてくれればよいが。



 妖精の道を一つ越える度に周囲が明るくなっていく。今辿っている妖精の道は二十二の部分で構成されているが、さらにもう一つだけ人間には見つけ出せない隠された道が一つだけある。

 その最後の道を通り抜けると、至高の座であるケテルへと至る。


 あらかじめ知っていた私はサングラスをかけ、二人にもそうするように合図した。

 再びサングラス神父のできあがりだ。

「我が君。この道の先は・・」不安げにアーダラクが指摘する。

「自分が何をしているのかはわかっている。黙ってついてきなさい」

 ギースの鎖に繋がれて魔導士は逃げたくても逃げられない。

 目の前に現れたのは見渡す限りの白い平原の上に聳え立つ輝ける天国の門だ。門を中心に左右に純白の城壁が広がっている。これは物理的な障壁でもあり、魔術的な障壁でもあり、比喩的な障壁でもあり、認識論的な障壁でもある。

 世界とはそのようなものだ。


 魔導士がついにパニックになった。

「いけません、我が君。いくら貴方様が今は天界に与しているとは言え、これはいけません。我らはかってここに攻め入り、暴虐の限りを尽くしたのですぞ。もし見つかり次第、天使たちは我々を滅するでしょう」

 そのとき、門の横の鐘楼の上で警戒中の白い羽を広げた天使がこちらを見つけた。そいつは慌てて鐘を鳴らした。たちまちにして幾つもの鐘の音がそれに呼応し、天国の都市すべてが鐘の音で満ちた。

「ダーク・ワン! 我が君を止めるんだ。力づくでもここから出ないと」

 だが魔導士の叫びにシェイプシフターのアラバムは肩を竦めただけだった。

「我が魔王の御心のままに。それと俺はアラバム・バルカスだ。ダーク・ワンの名前は我が魔王にお返し申し上げた」

 ふむ。大変によろしい。確かに彼は一歩前進している。


 私たちはその場に立って待っていた。

 天国の門の内側が騒がしくなり、六人の大天使たちが走り出して来た。純白の翼を大きく開き、手に炎の剣を持っている。その背後に続くのは配下の天使たちだ。天国都市自体から無数に湧いてくる。

 かってここには十柱の大天使が居た。上位四柱の大天使であるミカマエル、ガブリエル、ラファエル、ブリュズガルドリエルは闇大戦の中で死に、残ったのは今目の前にいる六大天使たちだ。

 周囲を六大天使と無数の天使の軍勢が取り囲む。天使たちはいずれも私よりも大きい。

「あああ、なんということだ。かくなる上は我が命に代えても我が君を無事に逃がしてみせる」

 魔導士が構えた。その周囲に魔力が噴き上がる。

 シェイプシフターも構えた。とは言え、特に武装は持ってきていないので、ここまで手に持って来ていたコミック雑誌を丸めると、こん棒であるかのように握りしめている。

「二人ともやめろ」私はそう言うと周囲を取り巻く天使たちの前に一歩出た。

 私の動きに合わせて、六大天使たちが剣を胸の前に掲げると、左右に並んだ。それに合わせて天使たちの軍勢も道を開き、翼を開いて左右に海のごとくに立ち並ぶ。


 六大天使の一柱が叫ぶ。

「ファーマソン神父に敬意を表せ!」

 周囲の天使の海から轟きが発せられた。それは歌にも似て、叫びにも似て、歓喜の喘ぎにも似て、地獄の咆哮にも似ていた。

 大天使たちが一斉に膝をついた。それに合わせて天使の海が平らに凪ぐ。すべての天使が地にひれ伏していた。

 その膝をついた衝撃だけで輝ける白の大地が揺れた。

 私は片手を伸ばし、大天使ウリエルに触れた。

 柔らかく滑らかで、その実鋼鉄よりも硬い天使の肌が指の下を滑る。この接触の歓喜にウリエルの肩がわずかに震えた。

 彼らは秩序を尊ぶ種族だ。一度忠誠を誓った相手には終生忠誠を捧げる。


「全軍を都市へと戻しなさい。ウリエル。私とこの連れたちはこれより神の玉座へと登る」

 初めて大天使が顔を上げた。その瞳が私のものとぶつかる。強烈な鋼の衝突を思わせる戦慄が体を走る。天使という種族は、その動作一つ一つが魔力に満ちている。

 大天使は何かを言いたそうにしたが、結局無言であった。

「良いのだ。すべて承知している」私は大天使を安心させた。


 ひとたび命令が発せられれば彼らの動きは素早い。津波が引くように天使たちの群れが門の中へと消える。

「我が君?」まだ事態が呑み込めていない魔導士が言葉を漏らす。

 そろそろ真相を教えてやらねば、彼の体は好奇心で破裂してしまうだろう。

「つまり、私が天界に雇われたわけでも洗脳されて彼らの奴隷となったわけでもないんだ。アーダラク。実際はその逆に近い」

「と言いますと?」呆然とした顔で聞き返す。

 この魔導士はこんなに血の巡りが悪かったかな?

 賢明にもシェイプシフターのアラバムは口を噤んでいる。

「あの闇大戦で私は彼ら、つまり天界のトップに就任したのだ。今では彼らは私の部下となっている」

 二人のポカンとした顔に私はウインクして見せた。

「面倒なことになるから誰にも言うなよ」

「しかし我が君、それなら何故、天界の王として名乗りを上げないのですか?」

 この問いに対して、私は冷たい目で魔導士を見つめ返した。

「君にしては考えが回らないぞ。アーダラク。そんなことをすれば悪魔たちは私にこの天界の城に入れろと要求をするし、それをいくら私の下にいるかたと言って天使たちが認めるわけもない。そうなればどうなる?」

 少し間を置いて魔導士は答えた。

「第二次闇大戦です」

「だろ? そして私はそれを求めない。大事なのはこの世界に満ちる数々の勢力の危うい均衡を崩さないことだ。最終的にどの勢力が上に立つにしても、それは今よりも確実に悪い世界になる」

「我が君が上に立てばいいのです」

 私は嘆息した。この頑固者め。

「そしてここの玉座に一日二十四時間座り続けろというのか。

 大勢の臣下を名乗る者たちがひっきりなしに自分たちで解決するべき厄介事を持ち込ん来るのを裁けというのか。

 この世のすべての悪と失敗は私のせいにされ、毎日のように反乱を起こされ、暗殺者が送り込まれるだろう。

 あらゆる部族から選りすぐりの美女が送りこまれ、何とか私の歓心を買おうとするだろう。その騒がしさを考えただけでもぞっとする」

 私は手を叩いた。

「そうだ。我が賢き魔導士殿よ。そなたが玉座に座ればよい。そうすれば私は今まで通り自由でいられる」

 アーダラクはしばらく考えていたが首を横に振った。

「私はダメです。我が君。そんな事になれば研究の時間がなくなってしまう」

「だが世界の主になることができるのだぞ」

「私はそのようなものは欲しくありません」

 そう答えてから魔導士は絶句した。ようやく理解したようだ。

「そうだろ? 私も同じだ。神の玉座に座るよりももっと大事なことがたくさんある。だからお前たち、絶対にこの事は誰にも漏らすんじゃないぞ」

 一応アーダラクにはギースがかかっているし、アラバムの忠誠は揺るぎないものだから大丈夫のはずだ。それでも私は念のために付け加えた。

 ダークの口調で。

「誰かに言ったら、ひどい目に遭わす」

 自分で思っていたよりも、深い殺気が籠ってしまったようだ。

 二人がその場にへたり込んでしまったからだ。

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