第37話

 コルドーは今の状況を悔いていた。

 今日の目的はアーノルドに死の恐怖というものを体験してもらうことであった。

 戦いとは常に有利であるとは限らない。

 有利なときには自身にとって最高のポテンシャルを引き出すことも出来るだろうが、死を意識した戦いではどうしても体が固まってしまうものなのである。


 なので、どんな騎士であっても受けざるを得ない死の洗礼をアーノルドに受けさせようと今日はここに連れてきたのである。

 どれほど訓練を積もうが、実際の戦いと訓練というものは似て非なるものである。

 それゆえ、どれだけ弱い魔物と分かっていてもほとんどの者は、お前を躊躇いなく殺す、といった魔物が放つ殺意を頭の中に直接叩きこまれ、憎悪すらないただただ純粋な殺意に1度は恐怖し動けなくなるものである。


 コルドーとて例外ではなかった。

 訓練で剣術だけなら騎士級ナイト相手にいい勝負が出来ていたコルドーは調子に乗ってそこいらの弱い魔物など当然簡単に倒せると思っていた。

 だが、コルドーがまだ従騎士級エスクワイアの頃に護衛付きではあったが初めて魔物の討伐に行ったとき、思い知らされたのだった。


 コルドーが初めて出会った魔物はリトルブラックボアであった。

 リトルとはいえど体長は3mほどあり、そこそこ大きな猪のような魔物である。

 そして魔物としては下級も下級であった。

 当然コルドーにとっては何の障害もない簡単に殺すことができる魔物である。

 それにも関わらずリトルブラックボアと目があったコルドーは自身が殺されるかもしれないという恐怖に体が一瞬動かなくなったのだ。

 頭ではそんなことはありえないと分かっていたが、それでも尚、魔物を前にし目が合うと体が固まり動けなくなった。


 そしてそれを体験し克服しているからこそ、本当に死の危険を感じたときでもしっかりと動くことができるようになったと思っている。

 それを経験しているかどうかが実際の戦いでは大きく影響を及ぼす。


 たしかにアーノルドはザオルグの騎士と生死をかけた戦いをしてはいたが、アーノルドが死の危険を感じるような戦いではなかった。


 だからこそ、今日ここに連れてきたのだ。

 人間の殺意ではなく、魔物が放つ殺意ならば感じやすいと思って。


 今度の遠征で死を意識する瞬間は必ず訪れると思っている。

 そのときに今日の体験がアーノルドを助けることになるだろうと。


 しかし、アーノルドは恐怖に固まるどころか、冷静にそして嬉々としてシルバーウルフを倒そうとしている。

 これはコルドーにとっては予想外であった。

 コルドーが助けに入ると分かっていればどこかで緩みができるかもしれない。

 身体強化を使えるから死への意識が低いのかもしれない。

 そう思ってさまざまな状況を作ってみたが、そんなことは関係なくアーノルドに恐怖の感情は見えなかった。


 アーノルドの強さへの執念はコルドーも目にしている。

 しかし、死の恐怖というものは抑えようと思って抑えられるものではない。

 それはアーノルドにとっても例外ではないと考えていた。

 人間の殺意とは違った、獣が放つ純粋な殺意を初めて目の当たりにして恐怖をしない者はいないと。

 あれほど自信があった己ですら一瞬でもそうなったのだ。


 大抵の者は初めての実戦において自身の強さには関係なく少しは死を意識するのが当然である。

 それこそ人間に備わっている危険察知能力だからだ。


 だが、コルドーがアーノルドもその枠に当てはめてしまうことも仕方のないことである。

 コルドーはアーノルドのことを全然知らないのである。

 コルドーにとってのアーノルドは今までほとんど敷地から出たことがなく、訓練はしていようと本当の命のやりとりなどまだ経験していない子供でしかないのである。

 しかし、アーノルドは誰にも経験することができない経験を既にしているのである。

 それはの経験である。


 一瞬の出来事であるとはいえ、実際に死ぬという経験をできる者はいない。

 もちろん似たような経験として瀕死の状態になり、そこから奇跡的に回復するようなことはあるだろうが本当の意味で死を経験してはいないのである。

 だが、アーノルドにはその死の経験がある。

 避けられない死を経験しているからこそ、死への恐怖心は常人より薄れているし、そうでなくともアーノルドの狂気は死すら凌駕している。

 人間には1度しか人生がないため選択肢を突きつけられたとき慎重にもなる。

 しかしアーノルドにとって今世は2度目の人生である。

 もはやボーナスタイムのようなもので、アーノルドにとって自身の目標に到達できないならなんの意味もない生である。


 ただの人間のように緊張することもあるだろう、心配することもあるだろう。

 だが、アーノルドが死に対して躊躇うことはないのである。

 目的のためならば迷わず死地であろうと足を踏み入れれる狂気が今のアーノルドにはある。

 それをコルドーは知らなかっただけなのである。

 そしてアーノルドも自身がそんな風になっているとは自覚すらしていないのである。

 アーノルドは人間としてはしっかりと壊れていた。

 体が動く限りアーノルドが止まることはないのである。



 アーノルドは間を置くことなく即座に指揮個体に向けて走り出した。

 当然のように他の2匹がアーノルドと指揮個体の間に入ってきて、邪魔をしようとしてきた。

 並の者ならば、もし倒しきれずどんどんシルバーウルフが増えてしまったら、と臆してしまい後に起こり得る命の危険を回避するべく身体強化を使って即座に指揮個体のシルバーウルフを倒しに行くだろう。

 だが、アーノルドはコルドーに言われた通り身体強化を使わずに指揮個体のシルバーウルフを倒そうとしていた。

 アーノルドにとってはこの状況は所詮訓練であるという認識でしかなかったのである。


 自身の力を伸ばすために必要ならば、危険を顧みずに突っ走る。

 危険を感じないというはそれはそれで危ないものであるが、アーノルドにとって危険と感じるハードルが他の人と比べ段違いに高いだけで危機感がないわけではないのである。

 それゆえ身体強化を使うのは本当に死の危険を感じるまで使う必要性を全く感じていなかった。

 もちろんこれは訓練だと思っているからであり、実戦では手加減などなく全力で殺すのであるが。


 しかしアーノルドの基礎体力ではそれほど長時間動くことは出来ない。

 それゆえ超短期決戦で決めようと思っていた。

 そして他のシルバーウルフが集まるまでに倒さなければいけないのでどの道短期決戦は避けられない。


 アーノルドは指揮個体との間にいる2体を倒すのではなく、攻撃をいなし素早く駆け抜けた。


 そして逃げようとしている指揮個体のシルバーウルフに対して斬りかかったが、そこに先ほど置きざりにしてきたシルバーウルフが素早く駆け寄ってきて身を呈して指揮個体を守った。


 アーノルドの攻撃である程度その表皮を斬ることは出来たのだが、致命傷には程遠かった。

 そして残された時間は1分もない。

 それだけ時間をかけてしまえば増援が到着してしまい、より指揮個体は遠いものとなってしまうだろう。


(なるほど・・・・・・)


 アーノルドはシルバーウルフが指揮個体を命を賭して守る様はまるで人間と同じであるなと思った。

 忠誠を誓われている主人と忠誠を誓う騎士。

 そこまで高尚なものではないだろうが、人間と違って迷いがない分アーノルドにとってはより素晴らしいものに思えた。


 そして今のこの状況が数日後に体験するやもしれないものであるとも思っていた。

 侯爵がどれほど他者に慕われているのかは知らないが、逃げる主人を殺そうとする自分にそれをさせまいと守る騎士。

 充分ありえる状況であろう。


『ちょうどいい練習になる』

 それがアーノルドが抱いた感想であった。

 そしてアーノルドは自身に課していた縛りを消した。


 アーノルドは歯が剥き出しになるほど口角を上げて笑みを浮かべ火炎魔法を発動した。


「フハハハハハハ、さぁ守ってみろ‼︎」

 楽しそうな様子で笑いながら、アーノルドは駆け出した。


 アーノルドが思い浮かべたのは燃えない炎であり、獣が火を怖がるという先入観と逃げ道を限定させるために発動させたのだった。


 今までそのように自在に魔法を使えてなどいなかったのだが、戦闘へのスイッチが入ったアーノルドは自然とそれを使っていた。

 実戦に勝る練習はないのかもしれない。


 アーノルドが放った火炎魔法が指揮個体を囲うように襲いかかり、唯一火炎魔法がないところを作ることによって逃げる場所を誘導しようとした。


 2匹のシルバーウルフは、1体は指揮個体のほうに、もう1体はアーノルドへと飛びかかってきた。


「邪魔だ」

 アーノルドは弧を描くように剣を振るいシルバーウルフの胸元を斬り裂いた。

 斬られたシルバーウルフは悲鳴を上げて地面に激突した。

 致命傷とは言い難いがそれでもすぐに動ける傷ではないだろう。

 だが、野生ゆえの生への渇望か、指揮個体への忠誠なのかシルバーウルフは血を流しながらも立ち上がりその目には一切の畏れはなかった。


 アーノルドはそんなシルバーウルフには目も暮れず、そのまま指揮個体に向かって駆けていこうとした。

 もう戦闘開始してから1分ほど経つ。

 これ以上時間をかければ増援が来るのは確実であろう。

 それゆえ、今回のこの攻撃が不発に終われば、アーノルドにとっては負けに等しい。


 アーノルドは足に身体強化を施し力一杯地面を蹴り込み、爆発的な推進力を生み出し指揮個体のシルバーウルフに向かって飛んでいった。

 アーノルドのいた地面は爆せ、数メートルほど土が空中を舞った。


 アーノルドが放った火炎魔法も効力を失いつつあり、ほとんど消えかかっていたが辛うじてシルバーウルフの足を止めるのには役に立っていた。

 そしてアーノルドの視界の端には数匹のシルバーウルフが駆けてきているのが目に入っていた。


 アーノルドの攻撃を指揮個体の近くにいたシルバーウルフは阻止しようとしたが、予期していない速度で来たせいか初動が遅れ、その噛みつき攻撃はアーノルドに当たらず空を切った。


 アーノルドはそのままの勢いで指揮個体に迫っていき、斬るのではなくそのまま指揮個体を突き刺し、勢いを止めることなく指揮個体ごと飛んでいき、そのまま木に向かってシルバーウルフを叩つけた。

 その衝撃によって木が倒れてしまったが、指揮個体のシルバーウルフは叩きつけられた箇所が抉れて折れ曲がっており、まだ意識はあるが口から血を吐いており死ぬのは時間の問題であった。


 戦力も姿形も違うが、アーノルドが想定した初めての実戦訓練はアーノルドの勝ちで幕を閉じた。


 アーノルドが指揮個体のシルバーウルフに刺さっている自身の剣を引き抜き、後ろを振り返ると先ほどよりシルバーウルフの数が増えており、ざっと10匹程度がいた。

 そしてまだまだ集まってくる気配が森全体から漂っていた。

 だが、アーノルドにはシルバーウルフの目が先ほどまでの狂気を孕んだ目には見えなかった。

 今でもアーノルドを殺そうという意気に翳りは見られないが、それでもアーノルドは少しばかりの物足りなさを感じていた。


 先ほどまでの胸の高鳴りは消え失せ、パーティーが終わった後のようなどこか消失感のようなものを感じていた。


 そしてその後アーノルドは身体強化を体力増加のためだけに使い、30分ほどかけてこの場に駆けつけてきたシルバーウルフを全て屠ったのであった。


 血の匂いが凄まじく、もはや同程度の魔物が近寄ってくるような場所ではなくなっていた。

 そしてその場の中心に立つアーノルドはどこか哀愁を漂わせてシルバーウルフの死骸を見つめていた。


 木の上に移っていたコルドーはそんなアーノルドを何を考えているのかわからない目で見つめていた。

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