◆紙コップはつぶれやすい

 ケンカをする二人の間に割って入ってみたもの何かをする前に空中に投げ飛ばされたしまった。

 一瞬の出来事だった。

 さすが二人とも武道経験者だな。

 ヌエは空手部なので当たり前だが、美波みなみもヌエの実家の道場に通っていたのだ。

 間に入ったオレを二人で同時に投げてくるなんて本当に仲がいいのね。

 見たことないよそんなコンビネーション。

 だけど、オレもヌエの紹介で一時期道場に通っていたことがある。

 何もできなかったけれど受け身なら華麗に決めてみせる。

 そう思って受け身を取ろうとするとちょうど着地点には李奈りなの姿が。

 どうやら投げ飛ばされた方向が悪かったらしく李奈の顔が目の前にある。

「「え?」」

 ズドンッ!と一般家庭ではあまり響かない重低音が室内に響き渡る。

「痛ッ!李奈大丈夫か!?」

 激しく打った後頭部に手を添えながら腕の中にいる李奈の安否を確認する。

 華麗に受け身を取ることはできなかったが、なんとか李奈を優しく包み込んで壁に激突させることは免れた。

 おかげで背中から後頭部にかけて鈍い痛みがある。

「うん。大丈夫だよ。悠聖ゆうせいがクッションになってくれたおかげでけがはないよ。ただ…… 」

 李奈は少し視線を下げて密着したお腹のあたりを見てくる。

 不思議に思いオレも李奈に続いて視線を下げる。

 自分では気づかないがもしかして当たってる?

 元気になってる?

 生命の危機に瀕して生殖能力が活発化しちゃってる!?

 だとしたらそれはまずい。ひじょーにまずい。

 女の子を助けて元気になるなんてそんなことあるはずがない。あったとしたらそれはもう今までの人生で最大の汚点だ。

 そんなはずはないと事実確認のため下半身に意識を集中する。

「あれ、濡れてる?」

 下半身が濡れている。主に股間部が濡れている。

「うん。濡れてるね」

 いったいなぜ?

 どうして?

 息子がハッスルするのはまだわかる。命の危険を感じたから生殖能力が活性化したのだと納得できる。

 こうやって李奈を抱きしめているし、李奈の柑橘系の香水の香りが鼻腔をくすぐっているから興奮状態になっている可能性だってある。

 だが、おもらしはない!

 命の危険を感じたり脅されたりした大人が粗相をしているシーンを映画やドラマで観たことはあるが、あれはフィクションの出来事だ。現実世界ではあるはずがない。

 そう思っていたが、まさかそれを自分がやることになるとは。

 かっこ悪すぎる!

 女の子を助けておもらしとか末代までの恥だ!

 映画では粗相を働いた人はこの恥ずかしさにどう耐えたんだ!?

 思い出せ!思い出すんだ!このピンチを乗り越えるために!映画ではこのあとどうしてた!

 オレは頭を悩ませる。今までにないくらい頭脳が超高速で働いていく。

 思い出した!映画ではこのあと用済みとされて殺されてしまうんだった。恥ずかしいという感情を味わう前にあの世に行ってしまうんだ。

 ふざけるな!なんてうらやましい!

 …… 別に死にたいわけじゃないけど。死にたいほど恥ずかしくはあるけど。そこまでじゃない。

 まだ人生に絶望するには若すぎる。好きな女の子の前でおもらしをしただけだ。どうってことないはずだ。

 そうだよな?

 落ち着いてここは潔く自分の非を認めよう。そうすれば李奈に申告されるよりダメージは少ないはずだ。

 優しい李奈ならきっと許してくれるはずだ。受け入れてくれるはずだ。

「ごめんな。なんか漏ら—— 」

「ごめんなさい!ジュースをこぼしちゃったみたい」

「え?」

 ジュースをこぼしただと。

 それじゃあ、この股間に広がっている液体はジュース!

 しかもオレンジジュース!

 驚いているオレに李奈は少しうつむきながらつぶれた紙コップを見せてきた。

 どうやら李奈をかばった衝撃で紙コップに注がれていたオレンジジュースを二人の身体でサンドイッチしてしまったらしい。

 なんだよ。オレの勘違いか。よかったぁ。

 危うく黒歴史を作るところだった。

 一安心一安心。そう思い視線を下半身から上げるとそこには、オレンジジュースのシミが広がっていた。

 だが、それは自分のではない。

 李奈の服にもオレンジジュースがこぼれていたのだ。

 白いワンピースが濡れて李奈の白い肌が透けて見えている。

 スケスケで濡れ濡れの李奈の肌。

 思わず視線がくぎ付けになってしまう。

 そういえば昔ネット記事で読んだことがある。アメリカでは濡れTシャツコンテントなるものがあると、その記事を読んだときには濡れたTシャツのいったい何がいいんだよ。肌に張り付いて気持ち悪いだけだろうと思ったことがある。

 でも、今ならそのコンテストを開いた主催者の意図が理解できる。

 普段見ることのできない女性の肌。それを観ることが出来るだけでなく。お風呂上がりを連想させる肌に貼りついた衣服が艶めかしさを演出。さらに、衣服が肌に貼りつくことによって強調される身体のライン。

 ブラやショーツを見てはいけないと思いながらも濡れてるから不可抗力だよね!という免罪符が得られるのも魅力の一つだろう。

 濡れるという日常が生み出した非日常。このコンテストの主催者は天才かもしれない!

 ファッションにおいて服装や髪型が濡れたような光沢をもつスタイルであるウェットルックが人気の理由もここからきているのかもしれない。

「…… どうしたの?」

 李奈の濡れワンピースを凝視して固まっているオレに何事かと李奈が覗き込んでくる。

「何でもないんだ。…… ただ、その」

 …… やばいな。漏らしていないとわかって安堵していた時にこの光景はやばい。破壊力が強すぎる。

 せっかく危機は去ったと思ったのにあの危機がやってくる。

 下半身がムクムクと躍動してきている。

 さっきは躍動が自分ではわからないと言ったが、そんなことはあり得ない。

 現にオレは今、躍動しているのがわかる。

 せっかく李奈に軽蔑されないと思った矢先にこれか。

 壁に背中を預けたオレとそれに覆いかぶさるような四つん這いの李奈。その顔が近くにあって余計意識してしまう。

 幸いなことに李奈との体の距離はあまり離れていないので、ギリギリ視線の範囲内にはオレの躍動が写っていない。

 つまりこれ以上離れると気づかれてしまう可能性がある。

 だが、離れないと逆に怪しまれてしまう可能性もある。

 ここは離れるべきだろう。いつまでもくっついているのはおかしい。

 ……だけど、不慮の事故とはいえこうして久しぶりに李奈に近づけたんだ。

 …… あまり離れたくはないな。

 思えばあの日から一度も李奈に触れていなかった。

 もう少しこのままでもいいかもしれない。

 なんてことを考えて言葉が出てこないオレに李奈はさらに顔を近づけて訊いてくる。

「もしかして。…… 私のせいでどこかケガしちゃった?」

 違うんだ。ケガしちゃったんじゃなくてお前を汚しそうなんだ。

 一度汚してはいるんだけど。

 これ以上李奈に心配をかけるわけにはいかない。

 さっきは危うく漏らしてしまったとカミングアウトするところだったんだ。いまさら体裁を取り繕っても仕方がない。覚悟は決まっている。

 ここは正直に理由を話して李奈に安心してもらおう。

 我が躍動を見せてもきっと李奈なら優しく接してくれる。

 接するといっても物理的にじゃなくて精神的にね!

 もしも李奈が物理的な接触を図ってきたらそれはそれで楽しませていただきます。

 オレは決意を固めて口を開く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る