030 霊魂破壊(前編)


「ねえ、本当にこんな隠れるところのない平野を走っても、大丈夫なの!?」

「ああ!今はこれが一番安全だ!!」


 両脇を山に囲まれた雪の平野。草木の一本すら生えていない、遥か先まで雪と氷の絨毯が敷き詰められたその大地を、一行はスキーで駆ける。


「で、でも、こんなの、狙われたらひとたまりもないわ。あの“木の枝”だって、飛んでくるかもしれないし……」

「いいや。それはない。」


フレイヤの言葉に、コウスケが静かに言った。


「おそらく──フラーテルの部隊は、動かない。」




──2時間前──




「状況が変わっている?どういうことだ、コウスケ。」


 洞窟からの出立前、計画を練り直すエミリアの眉が吊り上がる。


「昨日、ウィオレンティアが“おとり”を使って俺をフレイヤと引き離した。

 それは、標的の第一目標が俺ではなくフレイヤに切り替わっているということだ。」

「何!?」

「え──」


 フレイヤがおびえた様子で身を縮める。命を狙われていることは変わらないが、その言葉は少女の背筋を凍えさせるには十分であった。

 エミリアは間髪入れずに尋ねる。


「まて。コウスケ、何故奴らは“国宝”を持ち出したお前を差し置いてまで、フレイヤを狙う必要がある?」

「おそらく──ソウル・ブレイカーの適正だろう。」


 その言葉に、エミリアは即座に状況を理解した。


「ニョルズの剣、『海剣エーギル』か!」

「ああ。アレは世界で10指に入る最強のソウル・ブレイカーだ。

 ソウル・ブレイカーが史上最強兵器であるこの世界では、そういった強力なソウル・ブレイカーの存在とその使用者の方が、“使えるかどうか分からない魔法”なんかよりも現実的かつ具体的な“戦力”であり、“脅威”になる。そう、彼らは判断したんだろう。」

「たしか、今カエルム帝国が三勢力の中で優勢であるのは、『海剣エーギル』と並んで最強と称される『妖精アールヴの剣──光陰剣アルベルヒス・ヘルム』と、ヴァルキリーズが筆頭戦力、ベルルムが持つ『名称不明のソウル・ブレイカー』があるから、だったな。」

「そうだ。」

「そして今、テッラ王国には『海剣エーギル』に匹敵する武具として『雷神トールの檄──雷鎚ミョルニル』が、アクア連邦には『アースの鎧──光鎧バルドル』があるな……」

「だからこそ、だ。この状況で『海剣エーギル』かその“適正者”が移動したら、世界の勢力図は変わってしまう。

 そして戦況を一変させるこれらの強力なソウル・ブレイカーは、適正者が極端に少ないことでも有名だ。そしてそういうものは、前の持ち主の血縁者がその資格を引き継ぐ可能性が高いこともまた知られている。」

「敵国に逃げようとしている人物が、その国で最強の武器の、唯一の使用権を持っているのは確かに脅威、か……

 だが──」


 エミリアはまっすぐコウスケと向き合い、決意を口にした。


「──だが、あたしたちがやることは変わらない。フレイヤを守り、そしてこの国を出る。そうだろう?」

「もちろんだ。

 だが、それが分かった今、山間を走るのではなく平野を突っ切った方が生き残れる可能性が高い。だから、山を下りることを提案したい。」

「どういうことだ?」


エミリアは怪訝な顔をするが、コウスケは眉1つ動かさず、その理由を述べた。


「フラーテルだ。」

「フラーテル?」

「ああ。おそらくあいつは、何もしてこない。」

「は?」


 エミリアは予想外の言葉に口を開けたまま首を傾げる。彼の部下であるスキールニルは自分を足止めするために動いたのだ。その上官であるフラーテルがこの近くに来ているのは間違いなかった。それでいて何もしないというのは筋が通らないと、エミリアは考えたのだ。

 エミリアの疑問を察し、コウスケは説明する。


「フラーテルは、天才だ。あれは“不可能を可能にする天才”。どんなに成功率が低い作戦を使っても、それを100%成功させることができる。だから、あいつは常に“最速手”を打ってくる。」

「最速手?最善や最効率ではなく、ということか?」


エミリアの言葉に、コウスケは頷く。


「どんなに勝率の低い手段でもあいつは必ず成功させる。だから、“ある程度時間がかかっても安全で勝率が高くなるような最効率手段”ではなく、“無謀でも最短な手段”をもって任務を遂行する。

 あいつが本気でフレイヤを抹殺しようとするならば、おそらく、『光陰剣アルベルヒス・ヘルム』で山ごと薙ぎ払ってくる。」

「!!」

「だが、あいつはそれをやっていない。ということは、任務の第一目標がフレイヤの抹殺であったとしても、それをやらない理由があいつにはある。それが何かは分からないが、任務に忠実なあの男が任務達成を延期させるだけの理由だ。これは直感だが……少なからず【掃溜めの街】に向かうまでは何もしてこないだろう。」

「あたしらはスキールニルのソウル・マジックを避けるために遮蔽物の多い森の中を移動してきていたが、フラーテルが動かないということは、注意すべきはウィオレンティアのみということか……。

 ウィオレンティアは暗殺者であり“影使い”……影の多い森の中を移動するのは危険、ということだな?」

「そうだ。」

「あいつのであったお前がそういうなら、そうなのだろうが……」


 エミリアは腕を組み、しばらく黙り込んだ。自分やコウスケを殺さす、フレイヤのみを狙ったうえで『光陰剣アルベルヒス・ヘルム』で山ごと薙ぎ払ってくる──それは俄かには信じがたい話だが、確かに最強の騎士であるフラーテルなら可能だろうとエミリアは納得した。

 しかし、それを“しない理由”に見当がつかなかった。彼女はきっとその理由こそがこの先の逃亡において重要なものになるという予感があった。故にそれを早急に見つけておきたいという思いがあったが、いくら思案しても答えが出ない。

 そして同様にその男について疑問を抱いた人物が、もう一人いた。


「あの、コウスケさん。たしか【イヴィング】を出た時、そのフラーテルという人は危険ではないって言っていたわ。それは、どうしてなの?」

「それは……」


 コウスケは一瞬その先を言うのをためらったが、今更それを言わない理由はないと判断し、彼女に言った。


「あの時は俺を抹殺する命令が第一目標として下っていただけで、フレイヤ──君を、殺す命令は下されていなかった。それは最悪の場合として許可されただけで、そうでないならあの男は絶対に君を殺さない。あいつは天才だから……“最悪”の状況には絶対にしない。あの時は……君を命が狙われるという状況から救うには、それしかないと、そう思ったんだ……」


 唇を噛む彼の言葉は半分本当で、半分嘘だった。

 確かにヴァルキリーズに差し出した場合、その先が地獄である可能性は否定できないが、少なからず直ぐに殺されはしないはずだった。『海剣エーギル』を使いこなせる者が手中にいるのなら、その人物を殺すのは損だからだ。

 だが──彼があの言葉を言ったのは、それだけではなかった。


(──俺は、責任から逃げようと──していただけだ……)


 コウスケは大きく深呼吸をして言った。


「おそらく、ウィオレンティアは動く。本来なら撤退が上策だが、あの女のことだ。あれだけ撤退はしないだろう。逆にソウル・マジックを使用してでも打って出る。そうなれば、間違いなく平野を突っ切った方が有利だ。森は影が多く奴のテリトリー。一方、これからいく平野は木々もなく影がない。

 それに……平野は自分たちが見つかりやすいというデメリットもあるが、。」

「コウスケ、お前──」


 エミリアは彼の最後の言葉を聞いて、その真意に気が付いた。

 コウスケは静かに目を閉じ、そして瞼を開く。その瞳はひどく厳しく、そして同時に冷徹だった。


「ああ──ウィオレンティアとは、ここで決着をつける。」





「エミリア。ウィオレンティアは見えるか?」

「いや。今のところ周囲の山や背後に人影は見当たらない。既に山から1キロ以上も離れている。この距離ならたとえ見えたとしても、相手が動く前にあたしが射抜ける。」

「そうか。」


 コウスケはエミリアの言葉を聞いて再び前を見据える。


「──平野は長い。まだ、チャンスはある。」


 魔素のない彼は多くの魔法を使うことができない。使えるのは身体強化の魔法、そして魂を破壊する『ソウル・ブレイク』のみ。魔法戦になった場合圧倒的に不利になるのは明白だった。ならば、敵が魔法をうまく行使できない環境下で決着をつける方が、彼にとっては都合がよかった。彼は命の危険が少ない手段を取りながらも、ウィオレンティアが仕掛けてくることを望んでいたのである。


 と──


「オオオオオオオオオ!!」


 獣の咆哮に似た地の底から響くようなおぞましい叫び声が、空気を揺らした。山鳥たちが一斉に飛び立ち、辺りに緊張が走る。


「何、今の!?」

「来たぞ、コウスケ!!」


 フレイヤはそれを見て思わず足を止めそうになった。

 そこにいたのは、人ではなかったのだ。雪に灰を混ぜたようなくすんだ肌。足元の岩を軽々と踏み砕く異常な力。遠くからでもその姿がはっきりと分かる程の、巨大な体。そう、それは──


「巨人!?」


 まるで汚れた氷から削りだしたかのような人型の化け物が数体、山を駆け下りてくる。その有り様はまさに雪崩。その巨体で木々をなぎ倒し、踏みつける足で山を削り、その腕で逃げ惑う動物たちを吹き飛ばす。無秩序に走り狂う雪崩は一呼吸もしないうちに平野に降り立ち、そのままの勢いでフレイヤ達に向かって走ってくる。


「あ、あんなのどうすれば──」

「決まっている。」


 コウスケが突然向きを反転させ、一人雪原に立ちはだかる。

 その顔は非情に染まり、その瞳に漆黒の敵意が宿る。


「『魔眼』起動──」


彼の左目に、血よりも赤い紋章が浮かぶ。そしてその手に、黒い拳銃が握られた。



「ここで──終わらせる。」



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