第15話 本気の演奏

 抱きしめたままお互いの体温と鼓動の速さを感じていると、俺の胸で音羽がゴソゴソと動き始めた。


「ちょ、ちょっと……、匹田くん離して」

「あっ! ごめん!」


 俺は慌てて身体を離した。二人の間に微妙な空気が流れる。


「ここ暑いな! ちょっと外出ようか」

「うん……」



 俺たちは扉を開け屋上に出た。打ちっぱなしのコンクリート床が夏の陽ざしを反射させている。俺は目を細め、Yシャツのボタンを一つ外すと日陰を探した。


「暑っ……。とりあえず、あそこに座るか」


 ドアの近くに二人が座れるほどの大きさの陰があり、俺たちはそこに並んで座った。日陰になっている床はひんやりとし、風が吹くと少しだけ周囲の暑さが和らいだ。

 ポニーテールにした音羽の毛先が揺れている。それに誘われ隣を見ると、音羽は夏の空とは正反対の暗く青ざめた表情をしていた。


「音羽どうした? 何かあったのか?」


「……何かあったわけじゃないの。ただ急に自信がなくなってきて……。毎晩コンクールで落選する夢ばかり見てる……」


 こんな音羽の姿は初めて見た。これまで一人で何でも耐えてきた音羽が今目の前で弱っている。でも、軽々しく口先だけで『頑張れ!』なんて言いたくない。


 俺はおもむろに立ち上がり、音羽に背を向けたまま大声で言った。


「俺さ、この屋上で空に向かってのびのびとフルートを吹く音羽の後ろ姿が好きだ」


 振り向くと、音羽は驚いた表情でこちらを見上げていた。


「音羽が前言ったとおり、俺、いつも何となく上手くこなしてて、どれも本気になったことなんてないんだ。でも、音羽といるうちに俺も何かに本気になる楽しさを知った。音羽のフルートを吹く姿には人を変えるだけの力があるんだ。だから自信を持て! お前なら絶対に大丈夫だ!」


 音羽はスッと立ちあがる。瞳にはいつもの力が蘇っていた。


「匹田くん、ありがとう!」


 そう言うと、音羽は春の時と同じように俺を置いてさっさと屋上を出て行った。俺は、『また置いていくのかよ……』とその後ろ姿を苦笑いで見送ったが、心の中はスッキリとしていた。


 空を見上げると、頭上には真っ青な空が広がっている。俺は『う~ん』と両腕を上げ背伸びをし、『練習に戻るか』と呟き屋上を後にした。




 音楽室に戻ると音羽の姿は荷物ごと消えていた。心配した禅と東雲が駆け寄って来る。


「響……、音羽さんは大丈夫そう?」

「そうだよ! 急に戻って来たかと思ったら、荷物まとめてあっという間にいなくなっちゃってビックリしたんだから!」


 俺は音羽の状況をかいつまんで二人に話した。

 

「音羽なら大丈夫だ。でもコンクールまではここには顔を出さないだろうから、それまでは3人で練習しよう」


「まっ、音羽さんなら間に合わせてくれるだろうから、僕は問題ないよ」

「私も~」




 それから数日後、俺たちの姿はある音楽ホールにあった。有名な演奏会などが行われており、この地域では有名な大ホールだ。

 今日はここへ、3人揃って音羽の応援に来た。


 客席に並んで座り音羽の出番を待つ。演奏は次々と進む。出演者の年齢は小学生から大学生までと様々だ。思わず拍手を送りたくなるほどの素晴らしい演奏をする人もいれば、これは練習をサボっていたなという人もいる。


 そしてついに音羽の番がやってきた。

 音羽は煌びやかだが、シンプルなラインのドレス姿で登場した。髪は高い位置で一つにまとめられ、スラっと伸びた首筋がとても美しかった。


 俺たちはステージ上の音羽に応援の拍手を送る。一瞬の沈黙の後、音羽の演奏が始まった。

 学校の屋上や俺の家の防音室で聞いてきた時とは全く違う響き。全てをかけた音羽の本気の演奏だ。


 息をのむほどの伸びやかで柔らかな音。あの出来事以降、音羽は自分を取り戻したようで、とても自信に満ち溢れた立ち姿をしている。とても中学生とは思えないその堂々とした演奏は、俺はもちろんのこと、会場にいる人全員を虜にした。


 演奏が終わると音羽は盛大な拍手を受けた。相当量の息を使ったのであろう、呼吸をするたび肩が上下に揺れている。でもその顔は晴れやかな笑顔だった。



 すべての演奏が終わり、俺たちは会場内で結果発表を待つ。


 音羽の結果は‟第2位”だった。惜しくも1位にはなれなかったが、第1位が音大に通う大学生だったので、今は十分な結果だと思う。



 俺は音羽にメッセージを送り、会場の外で待つことにした。すると、大きな花束を抱えたドレス姿の音羽が姿を現した。


「みんな今日はありがとう! この間は心配かけてごめんね」


 東雲が俺たちを代表して『ほんとそうだよ~』とイタズラ顔で言ったが、どこか安心した表情だった。


 その時、一人の綺麗な女の人が音羽の後ろに立ち、俺たちに声をかけてきた。


「奏のお友達?」

「あっ、ママ。うん、今一緒にバンドやってる仲間だよ」


「いつも奏と仲良くしてくれてありがとう」


 正統派コンクールの直後に、フルート奏者が『バンドやってる』なんて違和感しかない発言が許されるのか不安だったが、音羽の母親は気にする様子もなくにこやかに笑った。

 

「あの……、音羽がフルートでバンドに参加することに反対はしないんですか?」


 俺は思わずそう尋ねてしまった。


「え? まぁ初めて聞いた時は驚いたけど、私も主人も音楽は自由であるべきと思ってるから反対することはしないわ。それに、奏が楽しそうにみんなのお話をするから私たちも嬉しいの」


 音羽が家で俺たちの話題を出してるなんて初耳だ。ひょんなことから秘密をばらされてしまった音羽は恥ずかしそうに花束で顔を隠した。


「文化祭、頑張ってね」


 音羽の母親からの応援を受け、俺たち4人は声を揃えて『はいっ!』と答えた。

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