第33話 卒業式

「じゃあ、とりあえずあとで学校でな」


 玄関で靴に履き替えたユウジは自分の見送りに出てくれている叔母に向かってそう言った。


「ユウジも高校生が終わりなんて早いね。本当あっという間だったなぁ」


 叔母はすでに泣きそうな顔をして、はぁ〜とため息をついている。


「ユウジと一緒に暮らすのも、大学が始まるまでのあと一か月ぐらいだなんて本当にさびしい……引っ越しもあるから実際にはもっと短いのよね、はぁ……」


「ちょっと、まだ卒業もしてないのにそんなこと言うなよ。もしかしたら今日ヘマして卒業取り消し、なんてことになるかもしんないよ?」


 そんな冗談に叔母は「やめてよ〜」と笑った。


「春からはしっかり大学生になってくれないと困るんだから。姉さんに申しわけがないわ。でもあなたがそこまで大きくなってくれたこと、立派になってくれたことはあなたのお母さんもきっと喜んでいる、絶対そう思う」


 そうかな、と言ってユウジは玄関のドアを開けた。


「……じゃあ、母さん。またあとでなっ」


 照れくさかったが、 そう口にして勢いよく玄関から飛び出した。今の自分の言った言葉に、叔母が嬉しいことを言われた少女のように目を見開き、はにかんだ表情をしたのは、とても印象的だった。


 クラスで最後のホームルームでは教壇に立つリク先生が最後のメッセージをみんなに送っていた。


「この一年みんなの担任になって、こうして最後の時まで誰も欠けることなく、みんなと一緒になって本当によかった」


 先生の言葉の「誰も欠けることなく」が気になったのは自分だけかもしれない。先生は過去に大切な人が欠けたことがあるから。だからそんなことを言ってくれたのだろう。


「さて最後に長い話をしても眠くなるだけだからな。このあとは卒業式だ。みんなしっかり高校最後の役目を勤め上げてくれ……卒業おめでとう」


 先生は笑顔でそう言って「さぁ、行くぞ!」と卒業式へとみんなを送る。

 その笑顔はずっと見てきたものなのに。笑顔が素敵な先生だと思ってきたのに。

 その笑顔は……先生が自分と周囲を隔ててきた手段のような気がして。その表面だけの笑顔が信じられないと思ってしまう自分がいた。


 卒業式は何事もなく進んでいく。卒業生の言葉、在校生の言葉、卒業証書授与、来賓の挨拶などなど。卒業式ならではの行事が淡々と進む中、ユウジはパイプイスに座りながら壁際にいる教師の列に目を向けた。


 そこには何度かゲームをして一緒に遊び、変な意味ではないが一夜を共にしたこともある担任であり、恩師であり、自分が深い気持ちを抱いてしまった存在が、リク先生がいる。


 先生は口元に笑みをたたえたまま、静かに行事を見守っている。チラッとこちらを見たりするかな、とちょっと期待をしてみたがそれは叶わず。先生はずっと変わらぬ表情でただ前を見ていた。


 あれ以来リク先生と遊ぶことはなく、何か特別な関わりを持つでもなく、生徒と教師という立場で時間だけが過ぎていった。

 自分は何度か先生に話しかけようとしたが、先生の方から自分を避けているような、そんな感じがした。

 結局、あの時の告白以上のことは言えず、何もできないまま、何も起きないままに。

 こうして卒業の日を迎えてしまった。


 けれど自分は決めていた。

 これが終わったら自分の気持ちが望むままに、手を伸ばしたいものに手を伸ばして。あきらめないという気持ちを抱いて。先生がよく言っているように「全力でやれ」という言葉に従って前に進んでみようと思っていた。


 卒業式が終わった後、 式を見届けてくれた叔母夫婦と校門で記念写真を撮り終わってから、お祝いの外食をして。ユウジが引っ越し先で使う家具などを叔母夫婦に「お祝いだから」と言って選んでもらって。気がつけば日が暮れかけていた。


 帰り道を歩いている最中、ユウジは二人に言った。


「ちょっとこのまま寄りたいところがあるから、二人は先に帰っててくれるか。大丈夫、遅くはならないからさ」


 二人を先に帰してから、その足でユウジはとある場所へ向かった。しばらく歩いてたどり着いたのは、かつて一度訪れたことがあり、その前には一度、キエナ先生によって強制的に連れ込まれたアパートだ。


 時刻は六時。この時間なら卒業式だった今日は、もう仕事も終わっているだろう。


「よし」


 心を決め、アパートの階段を上がり、目的地であるドアの前に来てから一つ深呼吸をした。心臓が立ったままでもわかるぐらいドクドクと大きくはずんでいる。


(聞かなきゃならないんだ)


 恐る恐る、インターホンに指を伸ばし――押した。ピンポンというお決まり音のあとに『は〜い』と明るい声がインターホンの向こうから聞こえた。


「リク先生、俺……ユウジ。ちょっと話がしたくて」


 そう答えるとインターホンの向こうで、かすかに息を飲んだような気配がした。

『ちょっと待ってて』と、そう言って応答が途絶える。


 緊張する。喉が乾く。卒業式が終わったその夜にまさか来るとは思ってもいなかっただろう。

 でも早めに、本当ならもっと早くに来て話を聞きたかったのだ、先生がまだ自分に語っていない、ある秘密について。聞いてみるなら、このタイミングが良いと思ったから。今日……今、訪れたのだ。


 ドアの鍵が外される音が内側から響く。そして重い音を立ててドアが開く。


 完全にスウェットという部屋着姿の楽な格好をしたリク先生が笑みを浮かべて――でも実はちょっと困ったような色を瞳にたたえて、そこに立っていた。

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