第24話 好きとはこういうこと

「先生、シャワーって……」


 人の家でシャワーを浴びる、そんな言葉を聞いただけで脳天から足先に緊張という名の雷が落ちたようだ。しかもリク先生の家で先生に言われることになるなんて。

 だけどリク先生が次に口にしたのは至極当然なことだった。


「そんな格好じゃあ、この後先生と遊ぶことなんてできないだろ? それに悪いんだけど先生、お酒の臭いというかお酒自体がちょっと苦手でな。だからさっぱりしてくれると助かる」


 それは、ごもっともです。はい。リク先生に嫌がられることをするわけにはいきません。渋々だがシャワーを浴びることを承諾してしまった。仕方ない、先生がそうしてくれって言うんだから。

 先生の家の浴室。普段リク先生だけが入る空間に自分は緊張して「はぁぁ」と小さなため息をつきながら入った。壁にかけたシャワーからの温かいお湯を頭から浴び、ベタベタした酒を洗い流していく。

 先生がいつも肌を濡らすシャワー……それを肌で感じていると、あったくて心地よくて頭がボーッとしてくる。身体の奥がしびれてくるような変な感覚も。


「う……ヤバい、ヤバい、何考えてんだ」


 変なことを考えそうになり、いかんと思ってシャワーを浴びながら両手で顔をゴシゴシ洗った。先生のシャンプーと石鹸を借りたので、もうきれいさっぱりだ。これなら先生に触っても嫌がられないだろう……って別に触るわけじゃないって。


 それにしてもリク先生の家はどこもきれいだ、先生はきれい好きだよな。脱衣場で体を拭きながら周囲を見てそう思う。洗面所には水垢もないし、ゴミや埃もなくてピカピカだし。一本だけの歯ブラシと歯磨き粉は、しっかりコップにセットされて置いてあるし。

 それを見て思うのは先生はやはり恋人は今はいないのか、ということ。聞いたことはないけど、そうじゃなかったらキエナ先生が自分に色々なことを頼むわけないもんな。


 頭にタオルをかぶり、髪をワシャワシャと拭いていた時だった。すぐそこで先生が「ユウジ」と呼ぶ声が聞こえた。

 急いでタオルを下半身に回した、別に同性だし、慌てて隠す必要なんかないんだろうけど、なんとなくだ。先生も配慮してくれているらしく、壁の陰に隠れながら用件を言った。


「ユウジは先生と体格が大して変わらなかったな。着替え、これを使ってくれ。あとドライヤーは流しの下。ちゃんと頭は乾かせよ、風邪引いたら困るしな」


 先生は壁に隠れながら腕だけを見せて、ポンッと着替え一式を廊下に置いてくれた。受け取ってみると自分と同じサイズのシャツと黒い七分丈のズボンだ。ちなみにパンツだけは濡れずに保ったと事前に申告しておいた。

 まさかの先生の服。顔を近づけると先生の匂いがする。何気なくギュッとしてみたくなって、それを抱きしめてみた。


(……俺、何をやってるんだ)


 そう思い直し、慌てて着替えた。頭もしっかり乾かしてからリビングに戻ると、そこには驚きの光景があった。

 リビングのガラステーブルの前には大きめなビーズクッションが置かれているのだが。先生はそれにうつ伏せ気味に寄りかかっていた。


「せ、先生……?」


 近づいても先生は動かない。どうしたのかと様子を見てみると肩が静かに上下し、一定の呼吸のリズムを刻んでいる。

 リク先生は寝ていた。今さっきまで起きていたのに。自分が着替えて髪を乾かしたのは数分ぐらいだ。その寝つきの早さは驚きとしか言えない。


(結構、深く寝ている……)


 安心しきった穏やかな寝息が聞こえる。もしかして先生、自分が浴びた酒の臭いで酔ってしまったんじゃないか。リク先生は酒にものすごく弱いらしい。少しでも飲んだら、その日の一晩は起きないと以前キエナ先生も言っていた。まさか臭いだけでこんなになるとは思わなかったが。


 でも飲んだわけではないから少しすれば起きるんじゃないかな、多分。いずれにしてもこんなに気持ち良さそうに寝ている先生を起こす気は毛頭ない。先生の寝顔を近くで見てみたいと思い、ユウジは静かに先生の隣に座った。


 すぐ隣、服と服が触れ合いそうな距離だ。先生が動きさえしなければ当たらないから大丈夫だろう、そう思っていた矢先だ。クッションに寄りかかっていたはずの先生がかすかにうなりながら自分の方に向きを変え、クッションから体を滑らせて自分の腕に寄りかかってしまったのだ。


(わ、わ……重い、けど)


 今や自分の二の腕に先生の体重がかかっている。先生の寝顔だけでなく、少しツンツンした短髪もすぐ近くにあり、自分もさっき借りたシャンプーの匂いがする。


 ユウジは先生の寝顔を見たあとで目を閉じ、深く静かに息を吐いた。心の中が「幸せ」というもので満ちているのがわかる、すごく、すごくホッとする。すぐ隣に誰かがいるという、今まで味わったことのない感覚。自分の空間に、すぐそばに誰かがいる……。


 家族や友人というのは常に自分のそばにいるわけではない。それぞれに互いの時間というのは存在するからだ。完全に自分一人が過ごす時間の中には今まで誰も足を踏み入れたことはなかった。親友のタカヤでさえもだ。彼はあくまで親友。常にそばにいてくれと願うなんて言えないし、そんなことを言われたらタカヤだって迷惑だ。

 けれど今、ここはリク先生の家だけど。先生の隣に自分がいて。自分が過ごす時間と空間には先生がいる。それがすごく心地良い、すごくあったかくてやわらかい、寝心地のいい毛布に包まれているようだ。さびしくない、全然。ずっと続けばいいのに、そう思う。


(俺は先生が好きなんだ)


 完全に自覚した。この数日で自分は先生を好きになった。先生に隣にいてほしいと思うようになった。先生が大好きだ。先生がいればずっと大丈夫な気がする。いつまでもこうしていられたら、一緒にいたい、先生……。


 再び、先生が「うーん」と小さくうなる。

 そしてかすかな声で告げる。

 ユーちゃん、と。

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