第四章 休養へ

第36話 療養

「ただいま戻りました」


「お帰り。お疲れさん」


 そう言って外から戻ってきたコノエを迎える。場所は村内でも外れの方に位置する一軒家。村での滞在用に村長から貸し与えられたものだった。魔物との戦いから十日程経過しており、俺もそろそろ動いて良いかという状態だ。魔術を用いると回復がとても早い。

 魔物との戦いにはこれからも駆り出されるのだし、俺自身も治癒の魔術を勉強すべきだろう。

 コノエには動けない俺に代わって、港まで足を運んできてもらったところだった。


「これで宜しいですか?」


「ああ。ありがとうな、態々」


 特に用事があったわけではないのだが、田舎村の一軒家に押し込められて寝ているだけの生活はとても退屈なので、港で何か嗜好品でも探してきてくれと頼んでみたのだ。同時に少量だが海の幸も用意してあった。


「塚に寄ってきたか?」


「はい。帰る前に少し様子を見て参りました。少しずつ工事も進んでいるようですね」


「そうみたいだな。多少の事故はあるようだけど、今のとこ大惨事は起きていない」


 式神を飛ばして時折観察しているのだが、アキミツの祭祀は失礼ながらあまり芳しくない様子。彼自身も自分には手に余る相手だと分かっているようで、俺もどうにか加勢しようと申し出たのだが、それでもそれは却下されてしまった。最初に太刀へ魔力を込めるよう頼まれはしたが、それ以降に関しては、何かあったらタチバナに面目が立たないからと弱った身体での参加を拒否されている。


「そろそろ都から誰か派遣されてくるんじゃないかって話だったか」


「港で聞いた話ですと、今日の午後には南部からの船が来るそうなので、それに乗っているかもしれませんね」


「帰路はどうせ馬車と船だ。もうちょっと動けるようになったら先にお暇させてもらうのも良いだろう。応援が来てから祭祀に参加しても仕方ないし、アキミツ様も完治するまでは参加を許さないだろうし」


「先程サコン様の容態をお伝えしたら、向こうもそのように仰っていました」


「それはありがたい。それよりほら、おいで。穢れを祓ってやろう」


 宜しくお願いしますと言って傍らに寄り、背中を向けた彼のそれを手の平で叩く。強くはないと言っても多少の怨念は存在しており、俺と共にあの魔物の殺害に加わっていたコノエは他よりも穢れを受けやすかった。日に一度はこのようにしている。


「鍛えてるし丈夫な割に、硬い感じはしないんだよな」


 終わって、何となくその背中を撫で擦りながらそのように呟いた。「気の所為ではないでしょうか」とくすぐったそうに背筋を逸しつつ彼は答える。


「脱いだら滅茶苦茶筋肉質な感じ?」


「そうです!」


 不意な悪戯に動揺してか少し語気の強い返答。しかしながら服の上からでは到底、そのように見えない。


「俺も鍛えた方が良いのかねえ。おんなじように加護で身体を強化した状態で、こんだけ負傷の程度が違うんだから」


「同じようにと申されますけど、失礼ながら身体の頑丈さに関しては僕の方が大きく恩恵を受けているように思います」


「まあ、そうだな」


 加護の強弱によるものなのだろうか。俺もあのように直接姿を現して助けてもらえるくらいだし、金毛とはかなりの結び付きだと思うのだが。コノエの祖先というのが更に強力な霊魂なのかもしれないが、それよりそもそも、元となる俺の身体が貧弱過ぎるという問題もある気がしてならない。


「でもそれにしたって腑に落ちない。ちょっと身体見せてもらって良いか?」


「えっ……」


「嫌なら良いんだが」


 育ちが良いということなのか、夜中にお湯で濡らした手拭いで身体を拭うくらいはするのだが、彼はこれまでも俺に身体を見られるのを恥ずかしがっていて、その時間は互いに背中を向けあってきた。そのため、断られることは前提のようなものだったのだが、どの程度鍛えられているものなのか興味があって頼んでみたのである。


 もしこの華奢に見える格好の中から非常に筋肉質な身体が出てきたら面白いなと思った部分もあった。

 丁度、前回の散髪から時間が空いているのもあって少し髪が伸びており、この頃は少年に見えない瞬間も多くて、本当に男なのか疑わしく感じられる程である。


「いえ、分かりました。サコン様とはこれからも長く共に旅をするでしょうし、男同士、いつまでも恥ずかしがっていられません」


 意外なことに、意を決したようにコノエは承諾の返事をした。大分顔が赤い。

 服のボタンが手早く外されていって、ちょっと躊躇った様子を見せてから、上半身裸になる。

 俯きながらどうでしょうかと言って示されるその肉体は細身であったが筋肉質な印象はなく、むしろ柔らかそう。


「どうしても、筋肉の付き難い身体のようでして」


「そうなのか」と言いつつその腹部へ指先を伸ばしてみたのだが、それは断られる。

 互いの実力差は完全に、加護の問題らしかった。


 服を着直す彼へ、先祖はそんなに強力な魔術師だったのかと尋ねてみると頷かれる。少し悩んだ様子を見せてから、元を辿ると高祖に行き着く家系なのだと明かされた。どこかの代で王族から民間へと婿入りしていった傍系男児の子孫とか、そんなところだろう。

 すっかり彼の身形が元通りになった頃、開け放たれた家の戸口から挨拶するものがあった。


「アリサ様?」


 ヘレナを伴った彼女の姿。


「上がって良い?」


「勿論です」


 靴を脱ぎ、板の間の上を俺の傍らまで進んできて、直ぐ側に腰を下ろす。ヘレナは戸口で待機していた。


「カラスマの当主から連絡があって、貴方が負傷したって聞いたから、心配で来ちゃった」


「ご心配お掛けしました。幸い、もう起き上がれるくらいには回復したところです」


「結構重傷だったんだね。とはいえ、無事に生きててくれて良かった」


 コノエが席を外すように立ち上がる。買ってきた食材の調理を始める様子。彼は料理が上手だった。富裕層出身で魔剣士を志すくらい武闘派の彼のそうした一面は意外に感じたが、本人曰く親に仕込まれたらしい。実家が裕福なお陰で様々な食材に手を出しやすかったことから色々な経験が出来、彼自身も趣味として気に入っていたそうだ。


「現場を見てきたけど、随分な大物が相手だったみたいだし、お手柄だね」


「殺さずに済ませられれば良かったのですけれど。それに自分で祭祀も出来ない有様ですし」


「そういうこともあるよ」


「そういえば、都から祭祀のために人が派遣されてくると聞いていましたが、アリサ様がそれですか?」


「ううん。私じゃあれは無理かな。エデンさんが一緒に来てるの。丁度、都に帰ってきていらしたところだったみたい。同じ船に乗り合わせて少し話したんだけど、本当ならナイア様が派遣されそうだったのを代わってもらったんだって。自分が発掘した魔術師の働きぶりを確認したいからって」


 後で顔を出すってさと教えられた。今は社の建設現場に出向いているのだろう。洛中最高峰の魔術師から見たあの魔物やそれとの戦いの評価は少し気になる。以前に彼から頼まれて弔った祟り神と同程度の力はある存在に思うが、彼ならばあの猿も危なげなく対応出来るのだろうか。


「ところでさっき、もう起き上がれるって言ってたけど、移動とかは大丈夫そう?」


「どうにか、可能だと思います」


「霊魂が落ち着くまで見届けたいかもしれないけど、ちょっと用事というか話があるから、出来るだけ早く一緒に戻って欲しいんだ」


「その、話というのは?」


「……戻ったら、シキが説明してくれるはずだから、それまで待って。今言える範囲だと、マヤが妊娠したから、その関連」


 遂に出来たか。特に歓喜と言える程の感慨もなく、淡々とした心境でそれを受け止められたのは、所詮充てがわれた関係だからなのか、それとも俺が薄情なのか。実感が伴わないだけで、マヤと対面でもしてみればまた違う感想もあるのかもしれない。


「ちゃんと夫婦になった方が良かったりするんですかね?」


「貴方がそうしたいなら止めないけれど。マヤも嫌ではなさそうだし。ただ、別に私達は貴方にそういうことを期待してるわけじゃないからね」


 母子の生活はタチバナが保証するから、気負わなくて大丈夫だよと続いた。何のために彼女を俺に与えていたのか、都に戻ればいよいよ教えてもらえるようだ。関心はそちらの方を向いている。

 それから俺と魔物との戦いについて話題が変更されて、特に式神の扱いについてはそこまで出来るようになったんだねと感心された一方、金毛が直接に姿を現して助けてくれたことに対しては、そういうことがあるんだと、何やら複雑そうだった。


 コノエが用意してくれた食事をヘレナも含めた四人で平らげた頃、エデンがアキミツを伴って来訪する。かつて出会った際にもそうだったように、ローブを着込んだ中年の男。顔立ちは非常に整っている。

 彼はアキミツから聞いたという俺の仕事ぶりを褒め、それから祭祀に関しては以前の代理の礼も兼ねて自分が引き継ぐと告げてから、前にもそうしたように手を出すよう求めてきた。

 握手を交わすとかつて程の不安は感じなかったが、やはり非常に落ち着かない気分にさせられる。


 ケイへ触れた際にはむしろ穏やかなものを感じたし、殺意満載の魔物に触れられた際にも重々しくはあったがこのような気分にはさせられなかった。その原因は何なのか。疑問に感じて握った手をじっと見つめていると、俺の考えを読み取ったようにエデンが説明してくれる。


「魔術師同士が触れ合った際に感じているのは、相手の力の脅威度合いだよ。自分にとって危険の少ない、魔力の大きく劣った相手なら落ち着いたものだし、己に匹敵はしないが決して無視出来ない相手なら重厚で、命を脅かし得る存在程、不安を感じさせる」


 あくまで魔力の多寡に関しての話だけどねと、彼は語った。


「君は私と並ぶ程の魔力があるようだし、実際にあれだけの魔物と渡り合える術と経験も身に付けた。出来ればこれからは、私にも君を頼りにさせて欲しい」


 その後続いたところによると、家中からはもう少し政治に関与しろと言われており、洛中への滞在期間も伸ばしたかったところ、強力な魔物へ立ち向かえるだけの人材の不足から沢山の仕事を引き受けざるを得なかったらしい。その一部がこれからは俺へ回ってくるのだろう。

 つまり今後、今回のような戦いが増えるということだ。


 まあ、構わない。金毛の加護が強力になって、次回からはより有利に戦いを進められるだろう。あの猿にだって、もう一度やれと言われれば危なげなく勝てるはず。

 それからアキミツと今後の話になって、俺は翌日、村を出発して都に帰還することとなった。

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