マニュアル撮影

 私は中学生であると同時に会社の役員をやっている。

 桂華電機連合の子会社の一つTIGバックアップシステムの営業担当の副社長だ。

 という訳で、その仕事の為にTIGバックアップシステム本社のあるビルに出掛けたのだが……


「お疲れ様でーす……

 どなた?」


 業務用カメラが秘書になった時任亜紀さんと一緒に入ってきた私を捉えていた。

 TVかなと思った私の前に、カメラマンは一枚の書状を見せる。

 カリン・ビオラCEO直属の業務マニュアル作成チームだった。


「ああ。

 会えたのですね?

 邪魔はしないように厳命してますから、いつも通りの業務をお願いします」


 電話向こうのカリンは私の電話を予想していたらしく、その説明に淀みはない。

 なお、この電話もちゃんとカメラが撮影している。


「質問。

 こういう所ってマニュアルに要るの?」


「要ります。

 というか、そここそがマニュアルの肝です」


 えらく力を入れて力説するカリン。

 これは、この電話で私を説得するつもり満々だったな。


「こちらに来て驚いたのですが、この国は本当の意味での初心者マニュアルが無いんです」

「本当の意味での初心者?」


 カリンの口調が実に強い。

 色々あったのだろうなぁ。


「現場担当者が直に言われた言葉ですが『仕事は見て覚えろ』とか『技は盗め』とか。

 できる訳ないじゃないですか!」


「……カリン。

 言わんとする事は分かるけど、この国ではそれがうまく回っていたのよ」


「それは理解し尊重します。

 ですが、お嬢様。

 私が率いる桂華電機連合は多国籍企業でございます。

 この国の論理のみでしたら、米国の旧ポータコンを買った意味がないではございませんか!」


 すとんと納得する私が居た。

 というか、前世で散々苦労した所なんだよなぁ。そのあたり。


「なるほど。

 つまり、ビジネスのビの字も分からない人たち向けのマニュアルが要ると。

 必要なの?それ?」


「絶対に必要です」


 気分はカリンの味方だが、その辺りの論理を深く知りたいので私はわざと真逆の事を言う。

 カリンの言葉は即答だった。


「多国籍企業が多国籍企業たりえる理由は、多くの国でビジネスを展開せねばならないからです。

 桂華電機連合の場合、この日本国内での幅広いビジネスの他に、東南アジアや樺太の工場で作られた製品を米国を始めとした世界各地に売る必要があります。

 つまり、日本国内だけのロジックで話を進めると、米国や東南アジアで働く人がそれを理解できません」


 話せば分かるは幻想だ。

 話しても分からないからこそ、マニュアルというものが必要になる。


「それについては、納得したわ。

 それでこのカメラは何よ?」


「作業は見せた方が分かりやすいですし、米国の研究機関に画像解析を依頼して分析もさせています」


「分析?」


 携帯を持ったまま首を傾ける私。

 カリンはそんなケースの一つを話してくれる。


「この間出た事例なのですが、とある製品の製造ラインの歩留まりに差があったんです。

 熟練工と入社したての新人工の差は何かと画像をチェックしたら、製造ラインの機械の一つが少し狂っていて熟練工はそれを知ってその場で修正していました」


「あー。

 新人は知らないか教えられていないから……」


「そういう事です。

 即座に修理スタッフを呼んで修理させました」


 日本組織あるあるである。

 日本は現場の力が強いので、現場でなんとかできる辺りは現場に任せる傾向がある。

 その代わり、現場責任だからこそ上の介入を嫌うのだ。

 現場と上との関係は日本だけではない、組織の永遠の宿題でもある。


「他にもこんなのがあります。

 営業で成約率が良い部署があって、調べてみたらお茶くみの女子社員がお得意先の名前と好みのお茶を覚えていてその好みのお茶を出していたと。

 女子社員の了解の元、その好みのお得意先とお茶の好みをマニュアルとして給湯室利用者に共有させています」


「……そんなのまで分かるの!?」


 私の驚いた目の先には、亜紀さんが入れてくれた備え付けのグレープジュースがある。

 それもカメラが撮っていたから、後に解析されるのだろう。


「お嬢様。

 米国の強さはここにあります。

 物事に対する解析能力とそのマニュアル化。

 これができるからこそ、米国は多種多様な移民を組み込むことに成功したのでございます」


 なるほど。

 とはいえ、気になる事があったのでその質問をカリンにぶつける事にした。


「けど、そのあたりってバレて大丈夫なの?」


 私の質問に電話越しにカリンは笑った。

 どうも対策済みらしい。


「お嬢様。

 お嬢様が自らおっしゃったじゃないですか。

 ビジネスのビの字も知らない人向けだと」


 納得。

 カリンの説明は止まらない。

 結構たまっていたらしい。


「古川にせよ四洋にせよマニュアルを見せていただきましたが、即戦力どころかこれでは新入社員を潰すようなものです。

 営業はマニュアルを見ただけで物が売れますか?

 製造はマニュアルを見て物が作れますか?

 そのマニュアルを理解する所から始めないと彼らを戦力化できませんよ。

 ここの所は、早く対策をする必要があります」


 戦力化には時間が掛かる。

 そこは絶対に妥協してはいけないというのがカリンの持論らしい。

 という訳で、少し意地悪な質問をぶつけてみる。


「けど、リストラするんでしょう?」

「もちろん」


 そのあたりのドライさは米国出身の経営者だなと素直に感心するしかない。

 こっちの感心を知ってか知らずかカリンは説明を続ける。


「人を切るのは最後の手段です。

 リストラは本来事業の再構築が正しくて、お嬢様のビジョンだと携帯電話に向けての組織作りが中心になります。

 そのために事業を整理し、人員と資金を抽出してそのビジョンに回さねばなりません。

 まぁ、株価に押されて短期のレイオフというのもありますけどね。

 人を減らすなら、それに見合った何かを従業員と株主に提供しないと、私も首を切られますわ。

 一番やったらいけないのは、合併直後のレイオフです。

 その会社が持つ技術やマニュアルが無くなってしまいます」


 このあたり米国のリストラは面白く、古参従業員を優遇して新規を切ってゆく。

 古参従業員が持つノウハウを重視しているともいえよう。


「なるほど。

 大株主でもある私に配慮してくれてありがとうね」


「どういたしまして。

 お嬢様が三年の時間を用意していただけたので、組織を傷めずにリストラをしてゆこうかと。

 今回の撮影と解析&マニュアル化はその一環とご理解くださいませ。

 あと、お願いがあるのですが、疑似的なストック・オプションを導入したいのです」


「疑似的なストック・オプション?

 たしか、ストック・オプションは株式会社の経営者や従業員が自社株を購入できる権利だっけ?」


「はい。

 ボーナスのおまけとして、一株あたりの価格を非正規雇用まで含めた全従業員に配ろうかと」


「なるほど。

 巨大組織だからこそ、全員に株式価値の大事さを分からせるのね」


「そして、全員が頑張ればお金が増えたり減るという事を端的に分からせようと」


 ボーナスは色々あるだろうが、非正規雇用にも配るあたり太っ腹というよりリストラのためのアメだろう。

 桂華電機連合は旧古川通信を存続会社に現在の株価は3000円台をうろちょろしている。

 全従業員に+3000円のボーナスを増額すると言っているに等しいが、来年のボーナス時に業績が悪くて株価2500円ならば2500円、良くて3500円ならば3500円な訳で、株価がダイレクトに己のお金に反映される。

 巨大組織の全従業員のやる気を出させるにはうってつけだが、同時にその原資を生み出すためにもリストラはかなり強烈にする腹だな。これは。


「カリン。

 わかっていると思うけど……」


「もちろんです。

 お嬢様。

 考えてみてください。

 人を切るだけで株価を上げられるなら苦労はしませんよ」


「米国ではそれ結構流行ったと思ったけど?」


「否定はしません。

 それでストック・オプションを行使して億万長者というのも悪くないですけど……」


 電話向こうのカリンは少しだけ言葉を止める。

 彼女は米国の女性経営者というガラスの壁をぶち破った最初の世代の人間だ。

 その自負が次の言葉と決意を告げた。


「……あとに続く人達にそんなみっともない経営見せられないでしょう?

 特に、お嬢様。

 貴方は、私が破るのに苦労したガラスの壁の上からスタートするお方です。

 貴方の行く道の一つは、私やアンジェラが整備しているのですよ」


「……ありがとうね。カリン」


 私の行く道は誰かが切り開いてくれる。

 それが大人の仕事とばかりに、カリンは言ってのけた。

 そして、それを継いで繋げるのが私の仕事だとも暗に語ってくれた。

 この人をスカウトして本当に良かったと思う。

 なお、この撮影の後、マニュアルに次の文言が付け加えられた。


『大株主である桂華院瑠奈公爵令嬢の好物 グレープジュース』




 おまけ


「何か落ちつかないな……」

「桂華院さんはなれたものだね」

「見られていると、気が散るんだが……」


 この会社は栄一くんと裕次郎くんと光也くんと私の四人で動かしているので、最高経営会議ではこの四人がTIGバックアップシステム本社会議室にやって来る訳で。

 彼らもカメラに撮られながらの会議に苦笑するしかなかった。


 なお、この会議を含めた桂華電機連合全体の撮影結果で、ミーティング時の喫煙者の根回しなどが明らかになり、禁煙と会議の進行にまたがる大騒動になるのだがそれは別の話。




────────────────────────────────


この物語はフィクションなんですよ。

ええ……(虚ろな笑み)


マニュアル

 このあたりから人を育成する時間が確保できなくなった日本企業は派遣の即戦力を求めるようになるのだが、その結果についてはあえて何も言うまい。



現場主義

 その現場を非正規で回すと、こんな事例が発生することもという例。

 もちろん辞める時に引き継ぎなんてしないから、その悪化が露骨に出て上の介入で更に悪化という悪循環が……(遠い目)


解析と戦力化

 この話の元ネタは第二次大戦の戦闘機パイロットの育成話。

 開戦時最高練度を誇っていた日本海軍のパイロットがミッドウェイとソロモンで消耗した結果、ろくに訓練しないひよっこを出してマリアナの七面鳥撃ちに。

 なお、米国は生産数から『敵機を一機落として戦争が終わるなら生産量でうちが勝つ』とばかりに育成時間をどんどん増やしていって……あの国に勝てねーわと心から思い知ったエピソードである。

 おまけだが、ドイツもにたような形でパイロット育成が追いつかずに崩壊してゆく。


米国のリストラ

 レイオフ。日本語では一時解雇と訳される。

 再雇用が前提で、熟練工の人材やノウハウを大事にしている証拠なのだが、さらに経営が悪化して再雇用できないというケースもあるあるである。


会議と喫煙

 分煙が進みタバコを吸う人間は喫煙室に行くのだが、他部門の連中が一つの部屋に集まって駄弁る形になるからこの喫煙室が第二会議室というか根回しの場にという日本組織あるあるに。

 結果、煙草を吸わない人間に情報が回らなくてという本当に笑っていいのか困る話が……

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