私を導いたあの歌

 歌が好きだった。

 歌うのではなく、歌を聞くのが好きだった。

 そんな時、私はあの歌に出会った。

 その人は天使のようにその歌を歌った。


 ああ。

 私はこの歌を聞くために生まれたのだ。

 なんとなくそんな運命を受け入れた私が居た。


「桂華院さんの歌声はやっぱり素敵ですわよね」

「ええ。

 ヘルプとは言え、来ていただいて本当に感謝するしかないですわ」

「秋の合唱コンクールであの声と一緒に歌えることに感謝しますわ」


 待宵早苗は桂華院瑠奈の歌に惚れた一人である。

 その歌声を聞いたのは、初等部文化祭で彼女をメインにした中庭オペラ。

 あの声に、あの姿に惚れたのだ。


「桂華院さんはこのまま音楽の方には進まないのでしょうか?」


 合唱部の先輩方も私と同じ事を言う。

 すでに欧州からは留学の誘いも来ているらしい。

 それが羨ましいと思うと同時に、当然だなと思ってしまう私が居た。


「著名な音楽家の方が来られるのですか?」


 私が所属する雲客会会館にて、そんな話を友人の朝霧薫さんから聞く。

 彼女は桂華院瑠奈さんと親戚関係になっているので、その情報は確かだろう。


「ええ。

 ベルリンフィル、モスクワフィル、ウィーンフィル。

 このあたりが夏に日本公演をしているのは、瑠奈さん目当てというのは周知の事実ですから。

 帝亜国際フィルハーモニーも一流だと思いますが、本当に大成するならば向こうに行くべきなんでしょうね」


 身内ゆえにかなりつっこんだ話を薫さんは他人事として話す。

 会館の客室でのお茶会は、優雅でお淑やかで、私には窮屈だ。


「帝亜国際フィルは別として、先の三つは桂華グループのメセナ事業の一環ですから。

 おそらく、それらの楽団と瑠奈さんとの顔合わせを兼ねているのでしょうね。

 このままだと、瑠奈さんは映画の世界に攫われかねませんし」


 その言葉に納得してしまう私が居た。

 ここ最近のテレビは、成田空港テロ事件の報道で一杯であり、瑠奈さんがテロを防いだシーンが繰り返し流れていた。

 それに合わせるように、瑠奈さんが出演するドラマの再放送も視聴率がうなぎ上りらしい。

 そんなテレビの中の瑠奈さんを見ていると、別世界のように見えてしまう。

 ただ、私の知る瑠奈さんは、この教室で私たちと一緒に楽しそうに歌を歌っていた。


「え?

 あれ、そんな事になっているの?

 私、全く知らないのだけど?」


 薫さんから教えてもらった話を、休憩中の瑠奈さんに話すとそんな返事が返ってきた。


「ですけど、瑠奈さんだったら、きっと何処でも通用しますわよ。

 ベルリン・ウィーン・モスクワ、音楽の都がお誘いを掛けてくれているのですから。

 何処に行くのですか?」


「うーん……」


 妙に歯切れが悪い返事を瑠奈さんは口にする。

 気になったので、さりげなく尋ねてみる事にした。


「もしかして、映画の方がお好きになったとか?」


「あはは。

 それもあるけどね」


 瑠奈さんははにかみながら、天井を見上げてこんな事を言った。

 それは、多分瑠奈さんにしか分からない悩み。


「音楽留学、行けるなら行くべきなんだろうなぁ……」


 そんな事を言って瑠奈さんは今、練習している歌の楽譜を手に取る。

 その曲は『大地讃頌』。

 瑠奈さんはこの曲を綺麗な声で歌い上げるが、顔はいつも悲しそうだった。


「ほら。

 私たちは、いずれ華族として家に縛られるじゃない。

 どこまでそれが許されるのかなと思ってね」


 それは華族に生まれた定めでもある。

 いずれ家のためとお嫁に行き、子を産んで血を残す。

 もはや普通の華族の存在意義はそこまで薄れていた。


「私も瑠奈さんのお家の支援がないと立ち行きませんから。

 瑠奈さんには感謝しているのですよ。

 ただ、それとは別に、瑠奈さんのその歌を長く聞いていたいなと」


「え?

 何それ聞いていない?」


「瑠奈さんのお家、雲客会に入るためという名目で、主要メンバーの家に寸志を送っているって……

 っ!?

 ごめんなさい!

 大人の仕事に口を挟んでしまって……」


「ああ。

 そうね。

 私たちは子供だから、大人の仕事には口出しできないわよねー」


 何でだろう。

 その声に怒りみたいなものが見え隠れする気がした。

  

「ねぇ。

 早苗さん。

 私たちは幸せになるべきなのかしら?」


 その質問の意味が分からない私は、素直に私の答えを口にする。

 それは、本来望んでも得られないものなのだから。


「そうだと思いますよ。

 だって、私たちの不幸な所を私たちを知っている人には見せたくないじゃないですか」


 その当たり前の答えに絶句する瑠奈さんが居た。

 何か気に障った所があったのだろうかと首をかしげて口を開こうとしたら機先を制される。


「あはは。

 そうよね。

 その当たり前の事、気付かなかったわ」


 苦笑する瑠奈さんにつられて私も笑う。

 私は瑠奈さんみたいに何かに成る人間ではない。

 けど、この瞬間だけは幸せだと思った。


「じゃあ、練習再開しましょうか?」

「ええ」


 だって、この瑠奈さんの歌声をこんな近くで聞くことができるのだから。




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「幸せになれ」という無垢なる善意が瑠奈を襲う


大地讃頌

 合唱で歌ったことがあるが、これを書くために調べて、背景がSFというかディストピアというか。

 このあたりは、製作者側が太平洋戦争を原体験としているのが大きいのかもしれない。

 私の世代がバブル崩壊あたりを原体験としているように。


つらつらと紡がれる陰謀の糸

 メセナもそうだけど、これらの計画の根幹が「お嬢様は幸せになってくれ」という善意から始まっているのが容赦がない。

 みんなお嬢様の将来を心配しているのだ。

 なお、当人は己をサクリファイスユニット(別名陳宮の弾)としか見ていない模様。

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