Fille du duc corps de ballet act0 その5

 社会が崩壊した時に真っ先に打撃を受けるのは弱者である。

 彼らはその選択肢の少なさから詰む。

 逆に言えば、選択肢があるのならば生き残れるというのが、社会混乱時の特徴である。

 金・暴力・薬・体。

 どれかを差し出せば出られるのに、それを差し出すという選択肢すら無い者たちが食い物にされる。

 食う者、食われる者、そのおこぼれを狙う者。

 極東の樺太の地下に咲いたここはソドムの都。


 豊原地下都市。


 まっとうな人間はとうにここから去った。

 まっとうでない人間はここで牙を研いでいる。

 では、それ以外の連中はどうしてここに居るのだろう?

 北雲涼子がふったそんな雑談に中島淳はまっとうでない人間として嗤った。


「決まっているさ。

 ここしか行く場所が無かったのさ」




「……第三十一孤児院は数年前に閉鎖していますね」

「そうですか。ありがとうございます」


 地下区画の役所職員はかつての社会主義政権の頃と比べて格段に愛想が良くなった。

 同時に、ある程度の金を握らせればこのような内部資料も見れるようになったのを喜ぶべきか。悲しむべきか。


「失礼ですが、あんた、関係者かい?」


 老人の目は過去を見ながら、北雲涼子に尋ねた。

 その目は、かつて彼女が所属していた国家保安省の尋問官の目とよく似ていた。


「ええ。そこ出身で本土になんとか生活できるような場所を得られたので、みんなを連れてゆけたらと」

「そうか。苦労したんだねぇ」


 資料室の老人は、北日本崩壊後もここに残りそして生き残っている。

 北雲涼子はそういう人間に敬意と警戒を抱かない愚か者ではなかった。


「孤児院の多くは閉鎖されたが、政府支援と財閥支援で整理統廃合されてね。

 この辺りも、数が減っちまって寂しい限りだよ」


「そうですか」


 分かっていたことである。

 北日本政府が崩壊した際に、その統治に必要なコストよりも運用する人材の量に日本政府は仰天した。

 腐敗と非効率と官僚主義を排除しようものならば、この豊原地下都市がそのまま棺桶に早変わりする現状を武器として、彼ら北日本政府のパワーエリートたちの多くは、赤旗から日の丸に主を切り替えることに成功したのである。

 当時の野党連立政権瓦解をはじめとした日本政府の国政混乱がそれを是認させると共に、新たな植民地として財閥が新しい主となるべくこの地の統治に介入しだす。

 その財閥もバブル崩壊に伴う不良債権処理に四苦八苦の現状、ここ豊原地下都市はパンドラの箱としてそのまま封印されたようなものだった。


「ありがとうございました」

「なぁ。あんた」


 出ていこうとした北雲涼子に老人が声を掛ける。

 それは、多分個人的かつ単純な過去からの呪い。


「今、幸せかい?」

「……ええ。私は幸せですよ」



 第一層の官庁街のハンバーガーチェーン店に入る。

 午後三時を過ぎた辺りのこの店の客はまばらだった。


「お支払いは?」

「円の現金で」

「かしこまりました」


 なまじ通貨が統一された為に、この樺太では様々な通貨が乱立していた。

 円にルーブルにドルの他、近年導入された地域振興券や財閥系企業で発行されていた食券が疑似通貨として機能しており、その両替商がこの第一層にも店を構えている事が豊原地下都市の現状を物語っていた。

 なお、奥に行けば行くほどレートが良くなるが、安全が悪くなるのは言うまでもない。


「隣、よろしいかしら?」

「どうぞ」


 ロシア訛りの日本語が北雲涼子に届き、彼女はきれいなロシア語で返事をする。

 役所で孤児院を調べたのは、その役所に置かれたアラームトラップを踏みに行ったから。

 彼女が調べた第三十一孤児院が『豊原の娘たち』選抜の一つだった事を知っていたからこそ、誰かが来るとは思っていた。

 隣に座ったロシア人女性を見て、北雲涼子は即座に理解した。同業者だと。


「かつて、南で『神奈の継ぎ花』としのぎを削っていた『豊原の娘』の一人が財閥に取り入って、この墓地になんの御用かしら?」


「墓地ね。

 言いえて妙だわ」


 そこまでロシア語だった北雲涼子は日本語でその続きを口にした。


「それでもここは故郷なのよ。

 里帰りはそれほどおかしくないでしょう?

 帰れない貴方と違って」


「……」


 ロシア人の沈黙を気にせず、彼女はコーラを口にする。

 何処でも同じ味はこういう時にありがたい。

 少なくとも、豊原の地下料理のまずさに比べたならば。


「そっちの事情は知っているわ。

 だから、ビジネスに来たの」


 彼女。後に同僚となるアニーシャ・エゴロワはそう言って、北雲涼子にビジネスの内容を切り出した。


「どう?

 私たちを丸ごと買わない?」


「裏は取れた。

 まぁ、向こうも大変だという事だ」


 ホテルの電話は盗聴されている事を考慮して、ボスである藤堂長吉への電話は岩崎財閥の豊原支店から掛けている。

 そういう事ができるコネを持っているというと同時に、岩崎財閥にこちらの動きがバレるのだがそれは許容範囲内という事なのだろう。


「『豊原の娘たち』を狙っていたのは我々だけではない。

 日・露・米の政府筋に岩崎を筆頭とする財閥、ほかにも外資が彼女たちを狙っていたのだろう。

 ここでは格安の日本人とロシア人が手に入るからな」


 実に胸糞悪い話だが、金の前にはそれすら平等である。

 そして、それすら蜘蛛の糸として機能している樺太の現状を物語っていた。


「彼女たちは、ロシア系諜報機関が北日本政府の監視のために置いた施設が元で、北日本政府崩壊後にとあるユダヤ系銀行にスカウトされ、その銀行の慈善事業として孤児院を中心としたパワーエリート育成施設の一部を入手し、それを使う寸前までこぎ付けた。

 だが、ロシア金融危機でその銀行も打撃を受けて損切としてそれらの施設を切り捨てることになった。

 なんとかしのいでいたらしいが、先がない時に我々が葱を背負ってやって来た訳だ。

 で、向こうは幾ら吹っ掛けてきた?」


「施設と人員含めて、一億二千万ドル」

「わかった。そのまま帝都岩崎銀行の豊原支店に行ってくれ。

 現金を用意させる」

「桂華グループの銀行ではなくて?」


 電話越しに藤堂が笑う。

 その声に安堵があったことに北雲涼子は気付いた。

 藤堂の上司であるお嬢様が、2000年に中東油田権益を即断即決値切りなしで買ったのと同じと気付いたのだが、そこまでは電話向こうの北雲涼子に分かる訳もなく。


「そこは岩崎の植民地だ。

 帝都岩崎銀行の豊原支店から出た金を疑う連中はいないだろうよ。

 それと、取引が終わったら、施設はともかく人員は全て北海道に向かわせろ。

 数によってはチャーター機を用意させる」


「北海道の何処に?」


 北海道は広い。

 その先が分からないと何処に行くのか分からない彼女に対して、藤堂長吉は行先を告げた。


「夕張市だ」




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冒頭のノリ

 『装甲騎兵ボトムズ』のウドの街。

 焼かれずに壊死しつつあるのが豊原地下都市。


地域振興券

 99年導入された地域通貨。

 なお、役に立たないとマスコミから総攻撃を受けたが、食券あたりで気づいた人はピンときただろう。

 このあたりのノリは『蓬莱学園』の学札まわりを参考にしている。

 ソーニャチップは通貨とは何かを教えてくれたなぁ……新城カズマ先生の『サマー/タイム/トラベラー』にもこのあたりの話があったのを思い出す。


神奈の継ぎ花

 このあたりの言葉は『昨日宰相今日JK明日悪役令嬢』からの流用。

 神奈世羅が初代、神奈水樹が二代、神奈(相良)絵里が三代目になる予定。

 

とあるユダヤ系銀行

 プリンストン債事件で検索。

 というかこれ一本で樺太ネタ10話は書ける大鉱脈。


 研究ノート プリンストン債事件について 福光寛

 https://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/148/148-hukumitu.pdf

 

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