Fille du duc corps de ballet act0 その3

 貧困が恐ろしい理由の一つとして選択肢が見えなくなるというのがある。

 選択肢を狭めるのは当然として、あるはずの他の選択肢さえ浮かばなくなるというのもある。

 今、TVに出ているコメンテーターの大学教授の言葉を借りるならば、


「貧困というのは二つの考え方があります。

 まず貧困に落ちようとしている人たちをどの時点で助けるか?

 完全に貧困に落ちる前に助ける方がコストは安いのですが、多くの国民は納得しないでしょう。

 なぜならば、助ける線引きが難しいからです。

 この段階で助けると『助けてくれる』というモラルハザードが発生しかねず、自力で助かろうという大多数の国民の『なんであいつだけ』という嫉妬を呼び起こしかねないからです。

 逆に、元々が貧困でそこから這い上がる場合はもっと厄介で、まず貧困から抜け出すという『発想』そのものがありません。

 先のケースは『貧困から脱出する』という方向性はあるのですが、このケースは最悪自分が貧困であるという自覚すらないのが問題なのです」


となる。

 野心と向上心と才能がある貧困者というのは全体の少数派であり、彼らはそれ故に貧困から出て行ってしまう。

 もちろん、その代償を自覚した上で支払えるから彼らは貧困から抜け出せるのだ。




 2001年。北海道札幌市。

 歓楽街すすきのの外れにある雑居ビルにその会社はあった。

 北樺警備保障。

 五階建てビルの五階部分にあり、下の風俗店も含めてビルの所有会社である。

 不良債権処理で宙に浮いたこのビルを買い取って、地元暴力団や樺太から流れたマフィアを跳ね返せた理由は簡単なもので、彼らに対抗できる暴力を持っていたからに他ならない。

 その会議室にて、この会社の最高意思決定会議が開かれようとしていた。


「で、俺を呼んだのはどういう理由だ?」


 中島淳警備部長が口火を切る。

 彼は旧北日本の特殊部隊出身で、ソマリアに出稼ぎに行ったPMCの責任者である。

 そんな彼に呼んだ一人が書類をテーブルに置く。

 北雲涼子。

 北日本政府の元工作員で、ママとしてビルの風俗店全てを仕切る責任者でもある。


「うちを買いたいってもの好きが現れたって話」

「飾りのオーナー社長じゃなくて?」

「その飾りのオーナーまで入れて全部丸ごとお買い上げ」


 統一直後の旧北日本国民に対する差別は、その後のバブル崩壊に伴う経済的窮乏も絡んでかなり過激に陰湿に発生していた。

 そんなやっかみを避けるために、この会社は雇われ社長という形でバブル崩壊で苦しんでいた日本人社長を雇い入れたのである。

 雇われ社長に実権がある訳もなく、この会社の運営はこの二人で行われていた。


「提案者は赤松商事の藤堂長吉社長。

 『事業を評価して』だそうよ」


 北雲涼子が少し疲れた顔で説明を続ける。

 使える連中を集めてなんとか北海道に逃げ出したのは良かったが、縁も金もなくそこで行き詰まろうとしていた時に客として来ていた中島淳に助けられたのが縁でこの会社は作られた。


「赤松商事は日本の大手総合商社の一つで、近年日本政府と手を組んでロシアの資源開発に食い込んでいるわ。

 で、ここ、面白い話があるのよ」


 諜報関係者の言う『面白い話』が実際に面白いという事は100%ない。

 『やばい話』と中島淳は翻訳した。


「この赤松商事、不良債権処理過程で桂華院公爵家のオーナー企業になっているのだけど、そこのお嬢様が誘拐されかかっているのよね。

 その背後に、ロシアの政争が絡んでいると」


 聞いた中島淳と言った北雲涼子二人の顔色が露骨に悪くなる。

 元々そっち側だった二人はその政争の言葉の意味をよく理解していた。

 つまり、『表裏何でもありのバーリトゥードデスマッチ』という事を。


「断るのもありじゃないか?

 今のところ、資金繰りは困っていないのだろう?」


 中島淳が最初に否定的な言葉を口にする。

 ソマリアの稼ぎはまだあり、ソマリアから引き揚げた今の彼らはまっとうな職に適応しようとしていた最中だったのである。


「とはいえ、この国の大手総合商社の後ろ盾は喉から手が出るほど欲しいわ。

 しかも、その背後が公爵家という華族なのは魅力的よ」


 北雲涼子が不安ながらも魅力を口にする。

 古い言い方だが華族の陪臣となれば、その華族の身分保障を受けられる。

 そして、特に困っていた事を北雲涼子は口にした。


「うまく行けば、みんな銀行口座が持てるかもしれないじゃない」


 お飾りの日本人社長を入れざるを得なかった最大の理由。

 それは、まだ彼らに信用が足りずに銀行口座が作れなかったというのが大きい。

 日本人社長の信用と銀行口座が無ければ、北樺警備保障という会社が持たないのはそこにあった。

 資金はあるのに、それを流せないのだ。


「ならば、会うだけは会ってみるか」


 この時点で彼らは負けていた。

 後日。日本人社長と三人で旧北海道開拓銀行本店こと桂華銀行北海道本部の応接室に行くと、彼ら三人分用のアタッシュケースが置かれており、中にはきちんと梱包された一億円が。


「これで借金が無くなる!」


と狂喜する雇われ社長を尻目に買収交渉を仕掛ける藤堂長吉相手に、NOを言える手札は二人にはなかった。

 北樺警備保障が赤松商事に買収された事が地元新聞の経済面に小さく載ったのはそれから数日後の事である。




「まさか、また豊原に戻ることになるとはなぁ……」

「『使える連中を全部かき集めてこい』がボスの命令ですから」


 豊原地下都市を歩く中島淳と北雲涼子の姿があった。

 二人のボスである藤堂長吉のオーダーである『使える連中』、つまり彼のボスである桂華院瑠奈に付ける側近を見付けてこいという理由のために彼らは故郷に帰ってきたのである。

 二人を迎えた樺太地下都市は、二人が知っているように薄暗く生暖かった。




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銀行口座

 身分証明最大の理由の一つであり、これがないと生活が詰みかねないインフラアイテムの一つ。

 このころからオレオレ詐欺が発生すると共に、銀行口座売買がニュースで流れるようになる。

 なお、銀行口座売買は違法行為なので注意。

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