デザイナーメモ 極東土地開発COCOM違反事件

 山形県酒田市。

 江戸時代には北前船の要衝で、殿様より豊かと称された大富豪が居たこの地は維新後にアジア航路、特にロシアとの繋がりで栄えることになる。

 それは太平洋戦争後も変わらず、ウラジオストックや樺太の豊原との航路が設定され、東側の原油や天然ガスを始めとする資源でこの地は栄えることになった。

 そんなこの地に一大コンビナートを造ろうとした男が居た。

 桂華院乙麻呂。

 華族桂華院家の庶子で、枢密院のドンかつフィクサーとして名高かった桂華院彦麻呂の息子の一人である。

 彼は桂華院家内部で飼い殺されていたが、一念を発起して『極東土地開発』を設立。

 地元銀行である極東銀行の出資の下、極東ホテルを起こしグループを急成長させる。

 時はバブルの真っ只中。

 空前のリゾートブームで土地の価値が倍々ゲームで膨らんでゆく中、極東土地開発はその含み益を元手に更に借金をして土地を買い増し、その土地が更に値上がりして……と、一時は桂華グループの中核である桂華製薬をも超える勢いだった。

 酒田市の石油化学コンビナート建設の話は、そんな時に持ち上がってきた。


 オイルショック時、東側諸国であるソ連と北日本人民共和国は、外貨獲得のチャンスと捉えて原油を日本に売り続けた。

 その原油積み下ろし港は製油所やコンビナートのある苫小牧。仙台、鹿島がある。

 これらの原油は石油化学コンビナート等で加工されされるのだが、そのコンビナートは太平洋側であり便利な日本海側にはなかった。

 その為、日本海側にも大規模石油化学コンビナートをという声が出て、それに新潟県新潟市や酒田市と極東土地開発が名乗りを上げる形となった。

 石油化学コンビナートの中核を占めるのが桂華グループ傘下企業の桂華化学工業で、製造した各種燃料や原料を、船舶を用いて日本海側の諸都市に配送する計画だった。

 なお、この石油化学コンビナート建設に際して国会側で尽力したのが酒田市が地元の加東一弘議員であり、後に彼に極東土地開発から資金が流れていたのではという噂が流れたが、事件そのものが華族の不逮捕特権で闇の中に消え、当事者の桂華院乙麻呂氏が自殺した事で真相は明かされぬままとなった。

 ただ、この事件が闇の中に消えなかったら、彼の官房長官就任はなかっただろうと言われている。


 事件そのものは内部告発によって幕を開けた。

 工事機材の中には東側への輸出が規制されているものが数多く含まれていたのだが、それらの機材が工事に使われる事なく、東側の貨物船に積まれたままどこかに消えてしまったのだ。

 87年に大手電機メーカーのCOCOM違反事件があった事から警視庁外事課は素早く動いたのだが、極東土地開発のCOCOM違反が大手新聞社にすっぱ抜かれると事態は一気に緊迫化した。

 後に分かったことだが、この一件は西側製の機材を確保するのみならず、87年のCOCOM違反事件に対する米国の怒りを見た北日本政府が案じた日米離間策でもあった事が判明している。

 事件発覚後、日本政府は対応に苦慮していたが、米国政府も同じく苦慮していた。

 ベルリンの壁崩壊に始まり東側体制が倒れてゆく中、極東の軍事バランスは激変し、大陸では国共内戦が再発のきざしを見せ、北日本政府も東ドイツよろしく崩壊する可能性が高いと目されていたからだ。

 南北統一後には北日本の核を受け継ぐだけでなく、米国のアジア戦略の要でもある日本をこれ以上追い込むのは得策ではなかった。

 そういう状況下で起こされたこの事件は北日本政府の最後のあがきであり、いずれ日本政府が北日本政府を飲み込むだろうと米国情報機関は判断していた。

 米国情報機関は、国内の対日感情の急激な悪化とこの事件そのものが北日本政府の謀略である事に気付いていたが、それを内々で処理する前にこの一件が暴露されてしまい、米国議会は87年の事件と同じく激高したのだ。

 この時、日本側で事態の収拾に動いていたのが当時桂華院家の執事をしていた橘隆二だった。彼は桂華院彦麻呂の右腕として奔走し、ベトナム戦争時における米兵間での麻薬の蔓延など、米軍の暗部を知っていた事を取引材料に手打ちを図った。

 日本国内では華族特権による捜査の打ち切りと桂華院乙麻呂の自殺によって幕引きとなったが、怒る米国でも北日本政府の崩壊と南北日本統一というニュースを前に、この事件は忘れさられる事になった。


 南北統一後、日米安保条約の再確認と共に、日本政府は北日本政府から継承した核兵器の廃棄に同意。

 右派自主独立路線から激しい非難を浴びた政府の官房長官が加東氏だったのは偶然なのだろうか?

 バブル崩壊後の極東土地開発は多額の不良債権を抱え、97年に会社更生法を申請し倒産。

 のちに幹事長にまでなり総理の椅子まであと一歩だった加東氏は、2000年前半の政局にて失脚。議員秘書逮捕の責任を取り、議員を辞職して政界を去ることになった。

 極東グループを飲み込んだ桂華グループは、橘隆二の指導の下、不良債権を抱える企業を買い漁っては更生させ、現在は桂華金融ホールディングスや帝西百貨店グループ、赤松商事や桂華鉄道等を擁する巨大財閥として君臨している。




────────────────────────────────


『日本企業モラルハザード史』(有森隆 文春文庫 平成15年)という面白い本を見つけたので、オマージュしてでっち上げてみる。


試しに作ってみたが、ベルリンの壁崩壊というビックイベントが強力すぎる。

この時の東側崩壊がなかったら、米国激怒から対日制裁はあったのだろうなぁ。

今の日米関係からは信じられないだろうけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る