いただきます

 私は孤独だった。

 孤独を愛さざるを得なかった。

 誰も愛さないかわりに、誰からの愛もいらない。

 前世ではそんな人間だった。

 家族もいたし友達も居たには居た。

 だけど、彼らと一線を引いて、そこから中に入るのを徹底的に嫌った。

 怖かったからだ。

 人が、人の変化が。

 慎ましい中産階層の家に生まれた私の家族は、念願の一軒家ができた頃にバブル崩壊に伴う不動産価格の下落に巻き込まれて、ローンの返済に追われた家族が崩壊したのを機に経済的に苦しくなってゆく。

 それでも時が来れば景気は回復すると信じて奨学金を経て大学に行った時、あの悪夢の経済崩壊が私を直撃したのだ。

 奨学金の返済の為にも後にブラック企業といわれる所で働き、激務で友達とも疎遠になり体を壊して捨てられて、そんな短い生でも楽しめたのはゲームだった。

 そのゲームの世界で私は二度目の生を生きている。

 だから気付くのが遅れた。

 世界は、綺麗なものだけでは作られていないし、誰かが勝っているのならば、誰かが負けているという当たり前の事に。 

 ゲームと違って、相手にも意思があるという事に。

 

「お嬢様。

 お友達の皆様がお見舞いにいらっしゃるという事ですがどうなさいますか?」


 メイドの橘由香がベッドで寝ている私に報告する。

 あの一件から3日。

 私は体調不良を理由に学校を休んでいた。

 そのため、栄一くんたちを始めとしたみんなが心配してお見舞いにという事なのだろう。

 

「さすがにお断りするわけには行かないでしょう?

 点滴を用意して頂戴。

 少しでも栄養を採っておかないと」


「医務室に連絡しておきます」


 まだ口に食べ物を入れられない。

 自分が何に手を出したのか、その結果として数百万・数千万の人間の人生が狂う、いや、不幸になるという事を自覚した良心の呵責に苦しんでいた。

 上の人間はこんな重圧に苦しんでいたのか。

 それとも、耐えられないからこそ考えるのを止めて、その良心の呵責を捨てたのか。




「桂華院さん。

 お見舞いに来たわよ!」


「体調崩されたと聞きましたがお元気そうですね」


 九段下桂華タワー。

 最上階の私の居住スペースに作られた応接間でのみんなとの語らいだが、無理をしたくないという事で私は椅子に座ったままである。

 最初に言葉をかけてくれた明日香さんは手にジャム瓶を持ち、その隣の薫さんはお見舞い用のお菓子のバスケットをテーブルに置いた。


「みんなで作ったんですよ。

 元気になってくださいね。

 瑠奈お姉ちゃん♪」


 後輩の澪ちゃんが笑顔をみせて、その隣で蛍さんがこくこくと頷くのを見て、私は自然と笑顔を作れた。

 その後ろで、待宵早苗さんと栗森志津香さんと高橋鑑子さんと華月詩織さんが私の笑みを見て安堵の色を見せた。


「瑠奈が体調を崩すなんてな。

 色々働きすぎだとは思っていたから、これを機会にきっちり休んでおけ」


 ぶっきらぼうだが、栄一くんの優しさが身に染みる。

 続いて裕次郎くんが口を開く。


「いらないとは思うけど、休んだ分の授業のノートはここにまとめているから。

 あと、連絡事項はこっちに書いているので体が良くなったら見てくれると嬉しいな」


「大勢で押しかけるのも悪いと思ったのだが、女子に押し切られてな。

 気を使わせるようならば、男子連中は引き上げるが?」


 光也くんの気遣いにも私は嬉しくて笑顔で引き止める。

 こうしてみんなに来てもらったことで、心が軽くなったのは事実なのだ。


「せめてお茶ぐらい飲んでいって頂戴な。

 私はまだちょっと無理かもしれないけど」


「体調不良と聞いたけど、大丈夫なのか?」


「うーん。

 食べ物が喉を通らなくてね。

 この3日点滴だったのよ」 


 明るく私が言ったけど、事態の深刻さにみんなドン引き。

 ショックを受けた澪ちゃんが泣いた。


「うわーーーん!

 ご飯が食べられなかったら瑠奈お姉ちゃんが死んじゃいますぅ!!」


「大丈夫よ!

 うちのお狸大師様のオレンジジャムを持ってきたから瑠奈さんの病気もイチコロよ!

 蛍のお墨付きなんだから!!」


 慌てて明日香さんが澪ちゃんを宥めている。

 蛍さんは澪ちゃんの頭をナデナデしている。

 怖い顔で栄一くんが私に尋ねた。


「本当に大丈夫なのか?瑠奈?」


「みんなの顔を見て少しだけ気分が良くなったわ。

 飲み物なら大丈夫と思うから、明日香さんの持ってきたジャムを使ってロシアンティーなんてどうかしら?」


「かしこまりました。

 すぐに用意させます」


 控えていたメイドの橘由香が一度下がり、他のメイド達と共にお茶の準備をする。

 一条絵梨花が手になにか持って入ってきたのはそんな時だった。


「ちょうど良かった。

 みんないらっしゃるという事なので、副メイド長からこれを持っていけと言われて……」


 彼女の手にはビデオテープ。

 今日のメイドシフトを思い出すと、副メイド長は亜紀さん。

 という事は……


「ちょっと!?

 それは駄目ぇぇぇ!!!」


「うわ!

 お嬢様可愛い!!」


 入学式の私が映り、同じく映っていた明日香さんと栄一くんも悶絶する。

 みんながわーわー騒ぎ出してから、画面の中の幼い私が私に語り掛けた。



「えっと、これを見ている大人の私へ。

 没落していませんか?

 ロクでもない仕事を押し付けられる会社に入って体を壊したりしていませんか?

 私の未来は真っ暗になっていませんか?」


 その笑顔と言葉に私は打たれた。

 そうだ。

 やっと分かった。

 私は、不幸しか知らなかったし、孤独しか知らなかった。



 そして、幸せを知った時、その幸せにどれだけの代償が必要なのか知った為に、自分が幸せである事が許せなくなっていた。



「そうならないように、未来の私に警告しているのよ。

 今の私は幸せです。

 未来の私は幸せですか?

 たとえ不幸だとしても、こんなに幸せな過去があった事を思い出してください。

 こういう風に笑っていた事を思い出してください。

 未来の私へ。

 この笑顔を忘れている私に、この笑顔を送ります」


 笑いながら私の目から涙がこぼれた。

 澪ちゃんがまた泣きそうになるけど、私は泣き笑いながら画面の中の私に告げた。


「ええ。

 私は幸せよ。

 だから心配しないで」


 そんなハプニングがあったけど、お茶会の準備が終わり私の目の前にはオレンジジャムを使ったロシアンティーが湯気を立てている。

 みんなの視線を集めながら私はティーカップを手に取った。 

 その言葉は自然と口から出た。


「いい。

 私達のご飯は何かの命を奪っているのよ。

 だから、その命を、恵みをしっかりと噛み締めて大事に食べなさい」


 それは前世の母の言葉。

 そんな言葉と共に、私はロシアンティーに口を付けた。


「いただきます」


 久しぶりに口から取った飲み物は、芳醇なみかんの香りがした。




────────────────────────────────


いただきます

 広がったのは昭和らしい。

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