桜子さんの結婚式

 6月の軽井沢は嬉しいことに晴れていた。

 少し肌寒いが、それもこれからの式を考えれば厳かさが出ていい感じである。

 今日は仲麻呂お兄様と桜子さんの結婚式である。


「おめでとうございます。

 綺麗ですよ」


「ありがとう。

 瑠奈ちゃんがこれを着るのを楽しみに待っているわ」


 教会の待合室で桜子さんが微笑む。

 その隣で薫さんがえへんと自慢そうに立っているのが微笑ましい。

 日本トップクラスの財閥一族と、現在乗りに乗っていた政商桂華院家の婚姻だから政治的になるのは避けられない。

 とはいえ、そういうのは東京の披露宴で全部する事にして、ここ軽井沢は身内のみのささやかな式という形をとっている。

 メリットはこっちではウェディングドレスで、披露宴では文金高島田という晴れ舞台両方取りができるという点。

 デメリットは二回するので疲れるということだ。

 そして、こんなプライベートな式でも生臭い話はどこからともなくやってくるものだったりする。


「瑠奈くん。

 ちょっといいかな?」


 そう言って声を掛けてきたのは花嫁の祖父である岩崎弥四郎頭取。

 桜子さんと薫さんに声を掛けて部屋を出ると、岩崎頭取は生臭い話を切り出す。


「桂華岩崎製薬に合併の話が来ている。

 相手は畑辺製薬」


「それを何で私に言うんですかねぇ?」

「通せる筋は通しておこうという事さ。

 既に、君の義父上とお兄様には話を通してある」


 元々岩崎製薬の製薬事業の源流がこの畑辺製薬で、この合併は源流回帰という面もあった。

 また、世界的に製薬事業は合従連衡を繰り返しており、規模を拡大しないと飲み込まれるという恐怖もあった。

 そういう背景から、日本でも遅れてだが合従連衡が始まるという事なのだろう。

 なお、この合併を以てしても、国内トップ5にも入れない。


「まだこの手の合併は続くと考えているのですね」

「主導権を握りたいならば、ここで株を買って上場廃止にしてしまうのも手だ。

 そのあたりも含めて、君にも話しておこうと思ってね」


 合併を繰り返すと、必然的に桂華製薬側が主導権を握り続けるのは難しい。

 桂華製薬はゲーム世界では不利な合併でその力を失ったが、今ならばそれを回避できる。

 岩崎頭取はそう言っているのだった。


「お義父様とお兄様に話をしておきます」

「そうしてくれ。

 君が手を出しにくかったら私に声を掛けてくれ。

 君への礼ならば、これでも足りないぐらいだ」


 そう言って岩崎頭取は娘の待合室に戻っていった。

 ため息を一つついて、私はお兄様の待合室に行く。


「仲麻呂お兄様。

 ご結婚おめでとうございます」


「ありがとう瑠奈。

 君が結婚する時に同じ言葉を言えるか、少し自信がないけどね」


「もぉ。

 そこは言ってくださいな」


 女性の準備と比べて男性の準備は比較的簡単だ。

 そして待たされるだけに、間が持たないのでいろんな人達が引っ切り無しにやって来る。

 それは仲麻呂お兄様の友人であり、恩師であり、会社の同僚や上司であり。

 それを横目で見ながら、幸せにと祈らずにいられない。


「はー疲れた」

「そうですわね。瑠奈さん」


 与えられた私の待合室で寝っ転がって天井を眺めていたら、親族として来ていた薫さんの顔が私の視野に入る。

 起き上がろうとしたら手を貸してくれた。


「けど、いいと思いません?

 6月の花嫁。

 私は着たいと思いました」


「私は、どうかなぁ……綺麗だとは思うけどね」


 前世では生きることに精一杯で、この世界では私の破滅という未来がある事を知っているだけに、私はあの花嫁衣装を着ることは無いのだろうと達観していた。

 それでも私も女の子の端くれ。

 あの衣装を着て殿方の隣に立ちたいと考えてしまうのは、致し方ないことだろう。


「あら?

 誰か意中の殿方がいらっしゃいますか?」


 そんな私を察したのか、薫さんがいたずらっぽく笑う。

 私は肩をすくめて、肯定も否定もしなかった。


「おめでとう!」

「お幸せに!」


 軽井沢の小さな教会で行われたささやかな結婚式。

 もちろん、そのクライマックスは花嫁のブーケトスなのだが、桜子さんは私と薫さんを呼ぶと、ブーケの半分を更に半分にして私達にくれる。


「みんなには内緒よ♪

 きっと幸せになるから、あなた達も幸せになりなさい♪」


 ウェディングドレス姿の女性は無敵だ。

 その笑顔と佇まいが彼女の未来を示している。

 きっと彼女は幸せになるだろう。

 夫となるお兄様と共に。


「はい」

「ええ」


 私と薫さんがブーケを受け取ると、桜子さんは教会を出て、桜子さんの友達達が待っている入り口にてブーケを思いっきり投げた。

 女子たちのかしましい悲鳴と奪い合いを見て笑う桜子さんと仲麻呂お兄様を見て、結婚ってこんなにも幸せになるんだなと、私は他人事のように思った。

 そんな私の手に、その幸せのブーケがある事を忘れてその幸せな結婚式は幸せなままで終わった。


 国際情勢があまり良くないので、新婚旅行はせずにこのまま軽井沢の別荘でしばらくはのんびり暮らすらしい。

 お兄様は仕事があるので、軽井沢から新幹線通勤である。

 私も帰るために、現在新幹線のグリーン車の中。

 畑辺製薬との合併話がある以上、この話の決断はお兄様の次期桂華院家当主としての初仕事となるらしい。


「まだ決めていないけど、瑠奈。

 いざとなったら、君に頭を下げるつもりだ」


 軽井沢駅のホームでこそっと耳打ちしてくれたお兄様は、きっといい社長になるだろう。

 私は満面の笑みで、ただ頷いてあげた。


「あれ着られるのかなぁ……」


 グリーン車でもらったブーケを見ながらぽつり。

 それを耳にした橘が笑顔で言い切った。


「お嬢様もきっと着られますよ」


 その時の相手は誰なのか。

 栄一くん?裕次郎くん?光也くん?

 それとも別の誰か?

 そんな事を考えていた私の乗った新幹線は、一路東京を目指していた。




────────────────────────────────


軽井沢の教会

 旧軽井沢礼拝堂

 調べてここがいいなと決めたけど、この教会英国国教会なんだな。

 何度かこの手の式に出たけど、式場の教会がどこの宗派かは考えたことがなかったので、メモ代わりに。


畑辺製薬

 元は同じ所から出発していたのはこの物語を書き出してから知った。

 なお、桂華製薬と岩崎製薬と畑辺製薬の三社合併でも、まだ国内トップ5に入れないし、国際製薬企業は企業規模の桁が違う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る