お嬢様の逆襲 その1

 未来を知っているという事は、最短距離を全賭けできるという事と同義語である。

 問題なのは、そのギャンブルに参加できる年齢では無いという所。

 そして、全賭け故に、万一外したら大火傷をするという事である。

 九段下のビルの私の部屋からムーンライトファンドのオフィスに降りてなんとなくニュースを眺める。

 場所が場所だけにタバコ臭いが、それはこっちがお邪魔しているので我慢する。


『経営危機が囁かれていた新田銀行が桂華金融ホールディングス入りを発表。

 桂華金融ホールディングスは、桂華ルールを適用してこれを救済する事を発表した。

 今回の新田銀行救済に公的資金は使わない模様。

 この救済に伴って一条進桂華金融ホールディングスCEOは「これで埼玉県・栃木県を中心に北関東に強固な基盤を持つことができる」とのコメントを発表。

 不良債権処理の中核と位置付けられている日光鬼怒川温泉街の債務再編と再開発は桂華ホテルと協力し、帝東鉄道や東日本帝国鉄道とも協力……』


 流れてくるニュースを眺めていたら、すっと私の目の前に缶コーヒーが差し出される。

 それを受け取ると、岡崎祐一の顔が映る。


「浮かない顔をしていますな。

 お嬢様。

 お買い物は順調じゃないですか?

 新田銀行に、ホープメモリ。

 第三者割当増資で四洋電機の出資比率も引き上げた。

 何がご不満で?」


 パソコンの主要部品であるメモリはデータやプログラムを一時的に記憶する部品で、ホープメモリは日本のメモリメーカーの一つで一時期はシェアの一割ちょっとを抑えていた。

 ITバブルの崩壊で業績が悪化していたが、研究とライン増設を名目に四洋電機が出資して関連会社に置いたのだ。

 その四洋電機の資金は桂華金融ホールディングスが第三者割当増資を全額受け持つ事で、桂華金融ホールディングスによる四洋電機の出資比率が上がり、買収防衛対策も兼ねて一石二鳥。

 これと合わせて、赤字を出していた白物家電事業を松幸電器産業に売却し、経営再建を牽引した小型液晶と電池の他に今回のメモリを手に入れて、IT産業のサプライメーカーとして生きる事という明確な目標ができる。

 楽しそうに言う岡崎は『私が世界に紡ぐ歴史を特等席で見させてくれ』という理由で私の下で働く変わり者であり、切れものであると同時に山師でもある。

 そうでないと総合商社の資源管理部なんて魔窟で仕事なんてしていない。


「文句はないわよ。

 堅実な手を打ったし、資金が足りなかった。

 あの二つに手を出したらあれに手が出せないじゃない」


 ぼやく私は缶コーヒーの蓋を開ける。

 思ったより大きな音を立てて蓋が開いたコーヒーを飲んで顔をしかめる。

 ブラックだった。


「ははは。

 まだお嬢様にはブラックの良さがわかりませんか。

 古川通信ですね?」


 岡崎がモニターから垂れ流される経済ニュースを指差す。

 まさにそのニュースがモニターに流れていた。


『古川通信のTOBが加熱化しつつある。

 これは米国パソコンメーカーで行われている委任状争奪戦において創業家が女性CEOの主導する合併に反対し、「買うならフルカワの方がいい」と発言したため。

 この発言を受けて、TOBの目標を51%に変更しようという動きがアイアン・パートナーズの方に出ている。

 一方、古川通信の動きは鈍く、「足尾財閥諸企業を通じて支援をお願いする」を繰り返すばかりで市場には失望も出ている。

 現在の古川通信の価格は2236円……』


「パソコンメーカーの合従連衡が本格的に始まるわ。

 それまでには、日本も巨大化しておかないと勝てないのよ」


 焦りとも嘆きともつかない台詞を私がぼやくと、岡崎は私の目を見据えて淡々と尋ねた。


「お嬢様。

 どうして、自動車ではそれをしなかったんですか?」


「へ!?」


 変な声が出た私を前に岡崎は煙草を口にして、火をつけようとして止める。

 さすがに申し訳ないのでいいわよと言おうとする前に、岡崎はライターをポケットにしまった。


「アンジェラ秘書だけならまだしも、斉藤さんが怒るんですよ。

 あの人怒らせて、ここで仕事できませんよ」


 日本におけるお局様のポジションに居るのがメイド長の斉藤佳子で、数少ない私の古参配下の一人である。

 彼女と橘とアンジェラでこのビルは回っていると言っても良いわけで、たしかに彼女を敵にまわしてまで煙草は吸いたくないだろう。

 それはさておき、ライターをしまいなおして立ち直る時間をくれた岡崎はニヤリと笑う。


「経済大国日本の二大産業は自動車とコンピューターです。

 米国との貿易摩擦でコンピュータでは譲歩しましたが、未だその優位は消えたわけではありません。

 鮎河自動車に岩崎自動車。

 お嬢様はこの二社を食べて、世界の自動車産業に殴り込みをかける事ができた。

 けれどもお嬢様が主戦場と考えたのは、コンピューターの方だった。

 お友達に遠慮する玉じゃないでしょう。お嬢様は。

 だったら、考えられるのは一つしかない」


 こういう時の岡崎は頼りになると同時に怖い。

 何よりも、こちらの隠していた意図を全部見えているのがたまらなく怖い。


「お嬢様は基本ターンアラウンドマネジャーだ。

 会社ではなく産業でそれを見ている。

 つまり、コンピューター産業が落ち目になる。

 それを知っているから、無理して動こうとした」


「……」


 なんて言おう。

 勝ち組を知っていて負け組を救済しているだけだという事を、第三者視点から見るとそう見えるのだから困る。

 そして岡崎の言葉は核心を突いているのだ。

 今後十数年で、日本の家電産業は大崩壊するのだから。

 今ならばそれを救える。

 その資金が、日本円が私の手元にない。


「やればいいじゃないですか」


 まるで悪戯をする子供のように岡崎は言った。

 唖然とする私に岡崎はあっさりと己を私に賭ける。


「俺はお嬢様が見ている未来が見たいからここで働いています。

 資金がない?

 用意しましょう。

 伝手がない?

 用意しましょう。

 あとは貴方の声だけで俺は動きますよ」


 迷いがなくて真剣だからこそ、私は揺れる。

 震える声で私は、最後の確認をとった。


「賭けるのは数兆円の大博打よ」

「いいじゃないですか。

 そこまで行くと勝とうが負けようが納得がいきます。

 全部失った所で、数兆で済むなら問題ありません」


 岡崎は私の目線まで腰をかがめて笑った。

 その笑みに私は勇気づけられる。


「お嬢様。

 お嬢様がでかくした桂華グループの総資産は十兆を超えています。

 しくじっても鈴木商店みたいに残るものは出ますよ」


「それ、昭和金融恐慌の引き金引いているじゃない」


 その時、モニターにニュース速報が出る。

 それが私の心を決めた。



『速報:米国パソコンメーカーの委任状争奪戦、創業家が大差で勝利し女性CEOは辞職を表明』



「いいわ。

 じゃあゲームを始めましょう。

 掛け金は数兆円で、リターンは日本のコンピューター産業の中枢。

 だから、頭を下げるのは一緒にお願いするわね」


「もちろんですとも。

 それで、何をすればよろしいので?」


「とりあえず、あの女性CEOをスカウトして」


 さぁ。

 世界を変えに行こう。

 後になるが、私を焚き付けた事がばれた岡崎はアンジェラに派手にぶっ叩かれ、しばらくは口を聞いてもらえなかったらしい。




────────────────────────────────


作者的には、『本当にこれいるのか?』と迷った話である。

きっちり書くと蛇足になりそうで怖い……


ターンアラウンドマネジャー

 経営破たんした企業の事業立て直しを専門的に行なう事業再生請負人の事。

 瑠奈の場合、破綻企業を産業ごと全部買うので、産業再生までやっているという中々素敵なことに。

 そりゃ、ウォール街や某大臣や町下ファンドから見れば「何やってんだこいつ?」と思われる訳で……


日米貿易摩擦

 色々あるけど、農業防衛の為にコンピューターを差し出した結果、今の未来に繋がったと見えなくもない。

 ここは未だに議論が分かれる所。


鈴木商店

 戦前の日本の財閥であり商社。

 ここの破綻劇は日本の歴史を歪めたが、残った会社達は未だ日本の産業の中に息づいている。


昭和金融恐慌

 枢密院が決定的な役割を果たしたのだが、その結果が財閥の強化と軍の台頭という救いのないことに。

 このお話では財閥が最後のきらめきを残しているので注意。

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