紳士協定

『アヴァンティー』に瑠奈を除いたカルテットの男三人が集まっている。

 瑠奈はバカンスとの事なので今日は来ていない。

 そんな時の男子の会話はなかなかに緊張がある。

 三人共コーヒーを頼んだ後、帝亜栄一が口を開く。


「バカンスか。

 何日ぐらい行くんだ」


「栄一くん。

 それが日帰りだって。

 グアムで泳いでくるらしい」


「桂華院らしいといえばらしいが」


 当人が居ないのに少し小声なのは、やっぱり男の子。

 それなりに意識をしている女の子が海で泳ぐという事は、水着に着替えるという事だからだ。


「こっそりメイドさんから教えてもらっている情報なんだ。

 知らないふりをしておいてよ」

「りょ、了解だけど、そんないい伝手いつの間に!?」

「色々と企業秘密というやつで。

 これぐらいできないと、有権者の挨拶回りはできないんだよ」


 唖然とする帝亜栄一だが、そこは有権者相手の仕事が確定している泉川裕次郎。

 ちゃんとコネを確保しておく事は忘れないと同時に、友人たちに釘を刺しておく。


「くっ!

 うかつ、その手があったか。

 おれも誰か……」

「止めはしないけど、とばっちりで僕の伝手までばれるようなことは絶対にやめてね」

「それは、難しそうだな。

 なんだかんだで、メイド達の桂華院に対する忠誠は高いしな」

「くそ、地味に難易度を上げやがって!」


 もちろん、メイドと泉川裕次郎のラインはアンジェラを始めとした大人公認である。

 何かあった時、直で泉川副総理に連絡ができない時のバックアップという意味合いがあるからだ。 


「え~~っと、そろそろこの話題やめない?」

「わかった」

「そうだな。

 せっかく集まったんだ。今のうちに見てもらいたいものがある」


 馬鹿話も一区切りついた頃、後藤光也が取り出したのは彼らの運営するベンチャー企業『TIGシステム』の四半期決算。

 それぞれの頭文字のアルファベットを付けた会社名だが、ITバブルが崩壊したのにも関わらずその業績は急上昇していた。

 これは、テイア自動車の携帯向けインターネットサイトの保守管理業務を後藤光也を中心とした少人数で回していた事と、会社名義で運用していた資金が急拡大したからだ。


「これはまた派手に膨らんだな……」

「空売りだからね?

 当たったからいいものの外れていたらどうなっていたのやら。

 事業収入は四千万円だね」

「まぁ、瑠奈銘柄だから当たるとは思っていたけどな」


 泉川裕次郎が安堵のため息を漏らすが、ゼネラル・エネルギー・オンラインの空売りを仕掛けた帝亜栄一はあっさりと言い切る。

 瑠奈を見ていたからこそ、彼女が止めているゼネラル・エネルギー・オンライン関連の事業を悟り、会社の金を使って空売りを仕掛けたのだ。

 彼らがニューヨーク市場の空売りで儲けた金額は四百万ドルになる。


「やっと、スタートラインに立てたかな?」

「桂華院は遙か先を爆走しているが、それでも追いつけない訳じゃない」

「本当に先は長そうだ」


 この三人、瑠奈とつるんでいる訳で、恋愛感情が無いと言えば嘘になる。

 とはいえ、太陽のように眩しく輝く瑠奈と、その才能からどんどん規模が大きくなる桂華グループを前にどうその恋心を出そうかと頭を悩ませていたのも事実。

 男三人腹を割って話した結果、せめて事業家として自分で金を稼いでから告白しようと紳士協定を結ぶ事に。

 その第一歩をやっと踏み出そうとしていた。


「で、この金どうする?」

「それを話し合いたい」

「事業拡大に堅実に使うに一票」


 真っ先に堅実な使い道を提案したのは泉川裕次郎。

 財務・営業担当である彼は、空売りの成否にハラハラしていたのである。

 失敗すれば破綻なんて賭けではないが、身銭を切って大金を賭けその結果を待つ間の胃の痛さはたっぷりと味わっていた。

 そんな事をするぐらいならば、まっとうに事業を拡大したほうがまだ納得がいく。


「事業拡大って何をするんだ?」

「米国でITバブルが弾けたから、向こうのプログラマーがかなり安く使えるんだ。

 日本は先にバブルが弾けたけど、作ったHPの保守管理についてはまだ考えていない人たちが多いし、携帯向けサイトまで手が回っていない。

 仕掛けるならここだと思う」


 技術・実務担当の後藤光也が口を挟む。


「悪くはないが、その携帯向けサイトで何をしたいかを顧客が考えていないと話に乗ってこないだろう?

 広告収入も伸びてはいるが」


 ここで帝亜栄一が口を開く。


「TIGシステムに買収の提案が来ている。

 金額は20億円」


 空売りで儲けた400万ドルはこの時の円になおすと大体四億八千万円。

 年間一億六千万の収入と資金繰りに成功した四億八千万円がある会社に20億円の買収提案が来たのだ。

 三人はこんなプレッシャーを紅一点の瑠奈が味わっていたのかとやっと理解しつつあった。

 誰も頼んだコーヒーに手をつけていない。 


「提案してきたのはポータルサイト最大手のあそこだ。

 ITバブルが弾けたのにあっこは銭があるらしいな。

 パーティーの席で会長直々に俺に声を掛けてきた」


 ポータルサイト最大手は実を言うと瑠奈が出資していた会社であり、瑠奈がバブルを弾ける前に売り飛ばしても持ち続け、その保有株を担保に資金を借りて今は通信業に参入。

 派手に町中でADSLのルーターを無料で配りまくって話題になっていた。


「爆発的な需要がある携帯サイトの技術を持っているのが一つ。

 うちのポータルサイトに乗せて、ポータルサイトを魅力的にしたいのが一つ。

 君たちに恩を売って、今後のビジネスの種にしようという下心が一つさ」


 なんて会長は笑って帝亜栄一に言っていたが、その目は冷徹に値踏みをしていたのを彼は忘れることができなかった。

 獲ろうとする者の目であり、多分男子三人に見せていない瑠奈も同じ目をしているのだろう。

 男子三人は基本受け継ぐ者だ。

 それは別の才能というのは分かっている。


「で、帝亜。

 どうする?

 俺はお前に従うよ。

 ぶっちゃけるが、俺達が事業を行うならばここまでだろう」


 技術担当の後藤光也が最初に意思表明をする。

 技術ゆえに、ウェブ上とは言え上の人間がいる事を知っており、身の程を知ったとも言う。


「同じく。

 僕の行く道は政治だ。

 ここは僕の戦場じゃないよ」


 泉川裕次郎も続く。

 将来、国会議員は無理として県議などの自治体議員は約束されている身である。

 ここで手を引けば、青年期の成功として飾って終われる。

 だが帝亜栄一は違う。

 経済こそ彼の戦場であり、瑠奈の戦場だった。


「売ろう。

 ここで終われないし、止まれない。

 少なくともまともな手段では瑠奈に追いつけない」


 これが言えるのが帝亜グループの御曹司として育てられた彼の真骨頂だった。

 彼はまだ瑠奈に追いつくことを諦めてはいない。


「わかった。

 だが、帝亜よ。

 次はあるんだろうな?」


「ある。

 瑠奈の尻馬に乗る形になるが仕方ない」


 後藤光也の確認に帝亜栄一はそう言って、経済誌を広げる。

 そこには、ある企業の不振が特集されていた。


「瑠奈にせよ、あの会長にせよ、IT出身で通信事業が次だと感付いているフシがある。

 そして二人に共通しているのは、その通信端末を自前で抱えていない事だ。

 多分、そのために端末の確保に動くだろう。

 その会社の株を今のうちに仕込んでおく」


 会長の方はどうか分からないが、瑠奈が四洋電機を抱えており経営再建を果たした事を三人は知っている。

 四洋電機の主力商品の小型液晶と電池を十二分に活かすならば、彼女がこれを見逃すとは思えないと帝亜栄一は確信していた。


「古川通信。

 株式を上場しているが足尾財閥はコントロールを失っていて、政府の介入に耐えきれずに切り捨てるだろう。

 瑠奈の次の狙いは多分こいつだ」




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空売り

 株を借りて売り払い、株価が下がった所を買い戻して返還する一連の流れ。

 株を借りるためにレンタル料が発生するが、それ以上に価格が下がれば大きな儲けが出る。

 数千ドルスタートの空売りから400万ドルまで持っていたあたり栄一の才能も凄いのだが、瑠奈はその先にいるし彼女は基本空売りをしないスタイルである。


腹を割って話そう

 深夜に押しかけて睡眠妨害をしたりはしていない


会長

 日本のIT業界の巨人。

 瑠奈がITを食い漁ったけど、彼も結局ITの波に乗ってここまできたのはポータルサイトのおかげである。

 瑠奈の抵抗で時価会計が導入されていないこの世界の日本では、慎重な経営が求められており、時価会計の導入が実はIT業界の悲願だったりする。

 ゼネラル・エネルギー・オンラインの破綻でその悲願は遠のくことになるのだが。


足尾財閥と古川通信

 足尾銅山の開発から財を成した財閥で、金属・電機・化学工業などを中心とした企業集団を形成。

 古川通信はその企業の一つで、コンピューターやパソコンや通信機器などからシステム開発までしているITゼネコンの一つ。

 今の社長が原因で経営不振中。

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