高尾山登山 その3

 高尾山駅を出発してしばらくすると名物の一つであるタコ杉が見えてくる。

 根っこがタコのようになっている杉で、触ると開運になるとかで触りまくった結果、今では柵で囲われた杉である。

 なお、樹齢は450年以上なり。


「とりあえず拝んどきましょう」


という訳で、一同皆で手を合わせて出発。

 こういうイベント特有の名所等がいい感じで皆の気力を回復させてゆく。

 歩き出すと裕次郎くんがこっちにやって来る。


「ちょっといい?

 この先の分かれ道なんだけど……」


 地図を見るとたしかにこの先分かれ道が有る。

 それぞれ、『男坂』と『女坂』と名付けられたそれは、男坂が108段の階段で、女坂がなだらかな坂道の分少し距離がある。

 無理はする必要はない。


「女坂でいいでしょう。

 帰りも有るんだから、男坂は帰りに通ればいいわ」


「了解。

 栄一くんに伝えておくよ」


 裕次郎くんが戻ってゆき、しばらくすると浄心門到着。

 ここからは薬王院というお寺の境内になる。

 元々高尾山は山岳信仰の盛んな山で霊地として崇められていた。

 今は観光地としての側面も強いが、私達が登ってきた1号路もこの薬王院の参拝路という側面が有る。

 門の所では下りてきた人たちが門に向かって一礼してから山を下りてゆく姿も見える。

 そこを越えると、空気が変わった気がした。


「気になったのだが、桂華院。

 わざわざこのイベントに来た理由って何だ?」


 浄心門を超えてから光也くんがやってきて私に尋ねる。

 なんとなく三人が私を気にして様子を見に来ているのが嬉しい。


「サボろうと思えばサボれたけど、それじゃあもったいないでしょう?

 こんなにも空気が澄んで心地よいのに」


「……たしかに。

 この空気は都心では味わえないか」


 光也くんの後ろでアニーシャが『北海道ならこんな空気幾らでも味わえますけどぉ』なんて顔で見ているので知らないふりをしておこう。

 わがままとは理解しているが、この空気をみんなで味わいたいのだ。

 私はタオルで額の汗を拭く。


「ここから見る景色はきっと忘れないわ。

 そういうイベントだから、逃したくないのよ」


「半分以上が見なくていいとリタイヤしているのに?」


 光也くんも地味に息があがっている。

 適度に疲れている証拠だろう。


「多分、その景色は知っといて損は無いわよ。

 特に一人で歩ききった後に見る景色をね」


 まぁ、面倒なことは確かだ。

 帰りも歩けば二時間コースだから、四時間掛けての山登り。

 なんでこんな事をするのかと我に返りたくなる事もある。

 

「桂華院。

 すまんが俺にはよく理解できんな」


「だったら、登った後でその質問をもう一回して頂戴。

 答えが出ると思うわよ♪」




 分かれ道を女坂の方を進んで薬王院に無事到着。

 お寺が作られたのは1200年前という古さで、正式名称は高尾山薬王院有喜寺という。

 ここでも小休憩を取るが、その前にちゃんと挨拶としてお参りをしておく。


「瑠奈ってこういう所の挨拶は絶対忘れないよな」


 私の参拝を見て栄一くん以下他のクラスメイトや付いていたメイドのアニーシャまでお参りしている。

 あ。アニーシャがお寺の人に喜捨として分厚い封筒を手渡している。

 迷惑料なんだろうなぁ。あれの。

 ちらちらと見える迷彩服の護衛を見ながら、私はわざとらしくため息をつく。

 

「そりゃ、郷に入らば郷に従えってね。

 ほら、私の容姿こんなのだし」


 髪をかきあげて金髪をアピール。

 はたから見れば、外国人観光客に見えなくもないが、基本日本人である。

 外国でも日本でも少数派というあたり、この桂華院瑠奈というキャラクターの悪意を感じざるを得なかったり。


「それでも人は人と繋がりたいよね。

 きっと」


 ここまで来るとリタイヤしてもゴールして一緒に降りてもあまり変わらない。

 リタイヤを言いそびれた連中も、諦め半分意地半分下心ちょっとという塩梅で私達に付いて来てくれた。

 もちろん下心とは私や栄一くんと仲良くなれるという奴だ。


「足を痛めた人はいませんか?

 ストレッチをしながら体に違和感があるようならば報告してください」


 先生もみんな残ったのでけっこう狼狽えている。

 まぁ、よそのクラスと同じく、半分ぐらいが脱落する計算だったのだろうなぁ。


「水分補給は欠かさないように。

 桂華院さんのメイドさんがスポーツドリンクを提供してくるそうだから、遠慮なく飲んでだって」


「準備できたか?

 ここまで来れば山頂までもう少しだからみんなで登頂しようぜ!」


「よーし!

 みんな行くわよ!!」


 薬王院で祈った時、こんな事を考えてしまったのだ。

 神様。いや、仏様か。

 私は何のために居るのでしょうか?

 私に与えられた悪役令嬢という役を演じず。

 限りなく前世に似たようなこの国で、前世と同じ様な末路を演じず。

 私は何処に向かい、何をしようというのでしょうか?

 薬王院から階段を登ると、本格的に山道らしくなる。

 汗が吹き出る。

 息が乱れる。

 神様。いや、仏様。


 そんな私でも生きていていいのでしょうか?

 歴史を変えてしまってもいいのでしょうか?


「ほら!

 来てみろ!瑠奈!

 すごい眺めだぞ!!」


 最後の一歩。

 栄一くんが私の手を取って山頂に導く。

 そこから見える富士山。

 朝の関東平野と東京の高層ビル群。

 朝の青空は眩しく、自分が自然の中でいかにちっぽけな存在なのかを思い知る。


「どうした?瑠奈?

 泣いてるぞ?」


「うん。

 なんか感動しちゃってさ」


「分かる。

 登ってこれてよかった!」


 どこか借り物なのかもしれないと今の生を疑う私が居た。

 その借り物の生を演じなければと考える私が居た。

 けど、自然は、世界は、私という存在がいかに小さいものかを教えてくれた。


「なんだ。

 自由に生きていいんだ……」


 ぽつりと声が漏れる。

 それを栄一くんが笑顔で笑い飛ばす。


「ああ。

 俺たちには自由がある。

 少なくとも今はこうして笑っていられる程度にはな」


 その当たり前の事が嬉しくて。

 体の疲労感と達成感から妙にテンションが上って。

 泣きながら笑い、みんなと共にこの小さな達成感を喜んだのだった。




 ここで終わればイイハナシダッタノニナー。

 山登りには帰りがあるという事を。

 つまり、いま来たルートを戻らないといけないという事を。


「お嬢様。

 ケーブルカー使いますか?」


 アニーシャの誘惑に私だけでなく全員が頷いたのを誰が責められようか。




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神仏習合と廃仏毀釈

 明治まで神社とお寺は仲良しで信仰もちゃんぽんだったのだが、明治維新後に廃仏毀釈によってお寺と神社が分けられる事になる。

 それでも山岳信仰そのものは高尾山みたいに残っている所は多い。

 なお、九州の山岳信仰のメッカである英彦山は英彦山神宮という事で神社のほうが残った。


薬王院

 成田山新勝寺、川崎大師平間寺と並ぶ真言宗智山派の大本山になっている。

 天狗がいる山としても有名。

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