デパートのバイオリニスト

 世はバレンタイン前の乙女の決戦日に向けて乙女たちが特設ホールで材料のチョコを買い漁っている。

 私はいつものように安いチョコをみんなにばらまくのだが、かと言って流行に乗らないほど隠者を気取っている訳ではない。

 という訳で、帝西百貨店に出向いて自分用のチョコをなんとなく買っていたのである。

 音に気づいたのはそんな時だった。


「~♪」


「どうなさいました?

 お嬢様」


「今、バイオリンの音が聞こえたような気がしたのだけど……?」


 橘の質問に私は首をかしげて音の出処を探ろうとするが、その前に付いていた帝西百貨店外商部の担当が笑顔で私に答えを告げる。


「多分入り口外で誰かが弾いているのでしょう。

 我が帝西百貨店は文化事業には力を入れていた縁で、路上ミュージシャンが良く演奏に来ているのですよ」


 店の前で披露するストリートミュージックに弦楽器というのもおかしなものだが、度胸つけとかお金欲しさに弾くなんて音楽学校の生徒は結構居たりする。

 音に釣られてふらふらと入り口に行くと、初老の老人が古ぼけたバイオリンを奏でていたが、客は誰も見向きもせずにそこを通り過ぎてゆく。

 その老人と目があって、互いに笑う。

 奏でているのは今の流行曲でバイオリンケースには銀や銅の硬貨がそこそこ入っていた。

 曲が終わって私は手を叩き、老人は私のためだけに優雅に一礼してくれた。

 ここからが、ストリートミュージックの楽しい会話である。


「すばらしい演奏でした。

 もしかして、何処かに所属していたのですか?」


「ええ。昔の事です。

 夢を捨てて、まっとうに働きだしても、ついにこれを捨てられなかった。

 そして、定年退職したのを機会に、もう一度と弾き出した次第でね。

 お嬢さんみたいな人にこの音が届いた事が嬉しいよ」


 どうやら私のことには気付いていないらしい。

 橘と外商部の人がいるから、良い所のお嬢様なのだろうとは分かるだろうが、この初老の老人の隣のバレンタインセールのポスター私だから。

 言うつもりもないけど。


「折角ですからお嬢様。

 何かリクエストはいかがですかな?

 ある程度のものは、弾ける自信はありますよ♪」


 ストリートミュージシャンなんてすると、度胸はつくし何よりも客との距離が近い。

 そして、音楽の楽しさと凄さを私は前世で知っていた。

 それは前世の私が諦め、そしてついにたどり着けなかった場所だから。


「だったら、これはどうかしら?」


 頬に指をつけたまま私は外商部の担当を呼んで、CDショップに1枚のCDを買いに行かせる。

 素敵な音を耳に届けてくれたのだ。

 だったら、お返しは歌でするのが礼儀だろう。

 しばらくして戻ってきた担当がCDとCDプレイヤーを持ってくる。

 ヘッドホンで聞いた彼は、私が何をしたいのか曲を聞いて理解した。


「音楽には音楽を。

 お嬢様も中々粋ですな」


「ちょっと先生から教えてもらっていて、披露したいの。

 だめ?」


 私のあざとい上目遣いに老人は苦笑して正論を言う。

 その目は楽しそうに笑っていた。


「音楽は人に許可を求めるものではないですよ。

 お嬢様」



 音楽の凄い所は、意味が分からなくても魂を揺さぶるところにある。

 前世の時に、私に教えてくれた先生はこう言って音楽の凄さを私に教えてくれた。


「~♪」


 その声で、入り口の客の移動が止まった。

 先生は次にこう言ったものである。


「大声で歌いなさい。

 そして歌うのを楽しみなさい。

 そうしないと魂を震わせられないわ。

 音を整えるのは、その後でいいの」


 バレンタインセールで買い物をしている女子達が何事かと入口の方を見る。

 この体は悪役令嬢だからこそハイスペックだ。

 かつての私ができなかった頂きにこんなに簡単に登らせてくれる。

 それについて申し訳無さが無いわけではなかったが、かつての先生はこれを教えたかったのだと今ならば分かる。

 それは、前世の私がついに分からなかったもの。

 バイオリンを弾いている老人も私の声に釣られて、技量が過去に戻ってゆく。


「~♪」


 たった五分程度の曲なのに、周囲の人は皆私達を見ていた。

 歌い終わった後、凄い拍手が私たちを包む。

 そして護衛のメイドが私を囲んで、さっさと安全な場所に引っ張り込んでゆく。


「歌い終わるまで待ってくれたのね。ありがとう」


 怪我をしなかったとしても襲われていたら判断ミスという事で重罰は必至なのに待ってくれたのだ。

 後で御礼をしないと。

 で、だ。

 そんなメイドを束ねていたスーツ姿の女性をじろりと見るが、先にその女性から注意を受けた。


「お嬢様。

 歌うなとは申しませんが、時と場所を選んでくださいませ」


「うん。

 それはわかったけど、何で貴方ここに居るの?

 アンジェラさん?」


 橘から米国の政権交代でCIAを退職したアンジェラを橘の私設秘書という名目で雇って、私に付けたと報告を受けたのは、この後の事である。

 あくまで橘の秘書名目だから、私は何も言えない……

 このちょっとしたデュエットはちょっとしたニュースになり、帝西百貨店側はストリートミュージシャンの育成に力を入れつつ、コンサートホールなどを開放して未来のスター育成と集客に期待するらしい。


 なお、あの老人だが、橘がちゃんと名前を聞いていて時々やって来る帝亜国際フィルハーモニー管弦楽団に話を振ったら知っている人が居たバイオリニストでびっくりした。

 若い時に天才と名をはせていたが家の経済事情から音楽を続けられずに、足を洗ったらしいが私とデュエットしたと聞いてみんな羨ましそうな顔をしたのはあの老人には秘密にしておこう。

 そんな彼は、これが縁でうちに再就職したのだ。

 今でも休日にはあの場所でバイオリンを弾いているらしく、その周囲には人は絶えず幸せそうに音を奏でいるという。 




────────────────────────────────


瑠奈が歌った歌。

 『シャ・リオン』 河井英里。

 『ワーズワースの冒険』という番組のOP曲で架空言語の為に意味は無いのに、その音に惹かれた私。

 河井さんがもうこの世界に居ないのが切ない。


流しのバイオリニスト

 私が見たのは、旅行中の金山総合駅の自由通路。

 音楽学校に通っていて、度胸試しにとやっていたらしく楽しい旅の思い出の一つである。

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