カサンドラのジレンマ
2001年は省庁が再編された年でもある。
それに合わせて、大蔵省から財務省に変わったのだが、光也くんのお父さんが何処に行ったかという話が小さなコラムに乗っていた。
大蔵省のスキャンダルで上がまとめてぶっ飛んだ事で、被害を受けなかった彼はこの省庁再編で財務省大臣官房の総合政策課長に出世。
順調に出世街道の道を歩いていた。
一方で、大蔵省から独立した金融庁はその存在価値を示そうと金融行政を頑張る動きに出る。
具体的に言うと不良債権処理の加速だ。
金融機関の大合併の発表で揺れた去年と違い、今年次々とその合併が行われる予定であり合併によって一気に不良債権処理が進むと見られていた。
同時に、裏から必死に不良債権処理を進めていた泉川副総理と私というラインの終了を意味しており、一気にハードランディングが進む事を意味する。
「うまい事いっているみたいじゃない」
「瑠奈。
何か言ったか?」
「気にしないで」
宿題をしていた栄一くんの声に返事をしながら図書館で月刊誌を棚に戻す。
小学生が読む本ではないと思うが、ここのコラムだけはバイアスが掛かっているとしても読む価値はあった。
なお、グラビアであの先生が写真を撮っていた。
情報は集約する事で差が出る。
その差を読めるようになると、世界がぐっと広がる。
ネットの匿名掲示板がオールドメディアを駆逐していったのはそこである。
『インド地震支援。
泉川副総理の指導力発揮』
新聞ではこの間発生したインド西部地震の復興支援に日本が即座に支援隊を出した事を評価していた。
お飾りになった副総理職だが、危機管理担当という形で立ち位置を確保して機能させるように進言したのだ。
これには、岩沢都知事の下で働いている副知事の支援もあったと聞く。
この世界の日本はある意味普通の国という事もあって、自衛隊の進出を含めた海外展開に抵抗がないのが助かっている。
それは、同時に大国のグレート・ゲームにプレイヤーとして参加している事を意味するのだが。
インド西部地震にかこつけて、赤松商事から支援を出すと共に情報収集の駐在員の増派を命じている。
震災地はパキスタンに近く、そのパキスタンの上にはこれから歴史を騒がすアフガニスタンがあるのだから。
世界地図を広げて逆さに見ると、色々と見えてくるものがある。
この世界において、未だ緊張が続いているのは極東アジアだった。
北樺太の帰属をめぐる日露摩擦に、満州国とロシアの国境紛争の常態化。
満州国と共産中国の国境対立は未だ解けず、その共産中国はベトナムに手を出してアメリカについで敗者となっていた。
インドとパキスタンも宗教問題からカシミール地方の帰属を巡って対立しており、中東はイラン革命とイラン・イラク戦争、湾岸戦争に中東戦争と火種は石油のように燃え尽きていない。
第三次世界大戦はアジアから始まるというのがこの世界での常識となっていた。
『立憲政友党内部の混乱は続く。
財団法人中小企業発展推進財団の汚職事件で村下副総裁が議員辞職および逮捕された事で林内閣の支持率は決定的に低下し、このままでは夏の参議院選挙は戦えないという声が……』
実権を手放したが故にフリーハンドとなった泉川副総理の影響力が増すという皮肉な事態になっていた。
とはいえ、近く引きずり降ろされるだろう林総理の後釜は無理だ。
選挙管理内閣として総理をやったが、与党内の派閥で見れば旧渕上派と林派の数に勝てない。
誰が次の総理総裁となるかで、与党内部は壮絶な権力闘争が勃発していたからである。
『既得権益の打破!財閥解体!平成維新の完遂を!!』
手に取った新聞の論調はこんな感じである。
この論調から、後に与党の長期政権ができる銀髪政治家が出ることを私は知っていた。
とはいえ、私の前世と微妙に違うこの国の政治は、いつまで前世に沿うのか私にも分からなかった。
だって今年は2001年なのだから。
起こることは知っている。
だが、それを人々に納得させる事ができない。
「ままならないわねぇ……」
「何か言ったか?
瑠奈?」
「気にしないで」
ぽつりと呟いたのに栄一くんの耳はけっこういいらしい。
心配しているのか、暇だから会話のきっかけでも作ろうとしているのか。
「そういえば、裕次郎くんと光也くんは来ないわね?」
「裕次郎のやつは選挙区の集会に呼ばれたから先に帰るって。
光也は委員会の仕事で遅れるからそのまま帰るって言っていたな」
ノートをパタンと閉じて、栄一くんが宿題を終わらせた。
それを見て既に宿題を終わらせていた私も荷物をまとめた。
「ねぇ。
カサンドラの予言を人々が信じるにはどうしたらいいと思う?」
「なんだそりゃ?」
「思考実験よ。
ちょっとイリアスを読んでね」
「ああ。トロイ戦争のあれか」
さらっと会話を理解してくれる栄一くんマジチート。
カサンドラはトロイの王女で神々から予言能力を与えられたが、その予言を誰も信じないという呪いまで与えられた。
そのために彼女の言うことを誰も信じずにトロイは滅亡する事になった。
栄一くんと一緒に図書室を出る。
彼が私の問いかけに答えてくれたのは靴箱で上履きをなおした所だった。
「結局、彼女の失敗は預言者でしかなかったという事だろうな。
滅亡が見えていたのならば、手を打つ力を持つべきだったんだ」
そのまま私を見据えて栄一くんは言い切った。
武器なき預言者は滅びる。
たしかマキャヴェリの『君主論』か。
「お前のようにな」
どくん。
私の心臓がはねた音が耳に残った。
「お前の目に何が見えているか知らないが、お前はそれに傍観者としてでなく主役として絡むことを選んだ。
今更後には戻れないぞ」
その後、私はあのあと自室で我に返るまでのことを何も覚えていなかった。
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小さなコラム
『文藝春秋』の永田町・霞が関コンフィデンシャル。
人事にまつわる話でせいぜい4Pほどだが、チェックし続ける事である程度の情報が見えてくる、文藝春秋一番の読み物だと私は思っている。
グラビア写真
この『文藝春秋』、一時期3Pほどヌード写真を掲載していた。
数年後のヌード撮らせろ戦争のカウントダウンは近づいている……
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