藤堂長吉とラッキーストライク

 藤堂長吉の人生で忘れられない光景がある。


「忘れるんじゃないぞ。

 こいつが無いと、国が死ぬんだ。

 海を超えて故郷に運んだ上に、精製して必要な所に運ぶ。

 手間の掛かる女のようなものさ」


 仕事を教えてくれた師匠はそんな事を適当な顔で言う。

 山師なんてもんはろくな商売ではない。

 満州。黒竜江省。

 内陸だけあって寒暖の差が激しい。


「本当にあるんですか?」


「ある。

 米国から来た調査団にもお墨付きをもらった。

 機材も国産のポンコツではなく、米国製の高性能のやつだ。

 絶対にある!!」


 その顔には狂気すらあった。

 大陸浪人としてこの地にて石油を追い求め、第二次大戦ではその知見からパレンパンの石油施設で働いたという筋金入りの山師の夢であり人生最後の賭け。

 それがこの満州の油田開発だった。

 一方の藤堂長吉からすれば、この政情不安定な状況での油田開発など正気の沙汰ではなかった。

 だが、国共内戦で敗走している国民党軍が逃げ込む所は満州しかなく、資本主義の防波堤としての満州の価値は上がろうとしていた。

 価値が上がった時に油田が発見されたら、欧米の石油メジャーが権益を全部掻っ攫いかねない。

 藤堂が就職した岩崎商事は全部持って行かれるならばという訳で、満州統治時代の地の利とノウハウを取引材料に3:7の合同事業に持ち込んだのだ。

 第二次大戦で連合国側に降伏した上に寝返ったために発言力が低下した日本の財閥にとって、この3:7というレートがいかに大勝利なのかは言うまでもない。

 もっとも、そのレートに落ち着いたのは米国側もあまり本気でなかったという面もあったのだが。

 帝大を卒業した藤堂がそんな事業にこの山師と組まされて取り組んでいる理由は、財閥内部の閨閥から外れていたからだ。

 怪しい山師の話にこの財閥が乗ったのも、内地引き上げの際に山師の世話になった閨閥の人間が居たとかなんとかで。

 満州戦争が終わって国共内戦で荒れているこの地に来たがる閨閥エリートは居なかった。


「戦争も終わり、石油も米国から輸入できるようになった。

 わざわざ掘らなくていいじゃないですか」


「馬鹿言え。

 その石油を止められたから、この国は戦争に追い込まれて負けたんだ。

 自前で油田があれば、戦争なんてしなかっただろうよ!」


 寒さを我慢するために煙草を咥える。

 現場が現場なので火はつけない。

 一本寄越せと手招きする山師に煙草の箱ごと投げる。

 米国の国民党支援物資の横流し品である『ラッキーストライク』。

 それを見て山師は笑った。

 この煙草の由来が、ゴールドラッシュで金鉱を掘り当てた者が言ったスラングだったのだから。

 山師はその箱から一本煙草を取り出して、藤堂と同じ様に咥えて笑う。


「馬鹿だな。

 自分の手で見付けるのが楽しいんだろうが。

 そして故郷に錦を飾るんだよ」


 藤堂が何かを言う前に、轟音と共に油井から黒い水が吹き出る。

 泥ではない。


「ハハハッ!

 見ろ!

 本当に出やがった!!

 どうだ!

 やったぞ!俺はやったんだ!!!」


 吹き出た泥と油に体を汚されながら山師は笑う。

 彼の夢の、執念の勝利に藤堂は見とれた。


(俺もそんな顔ができるのだろうか?)


 それが彼の仕事の原点となった。

 この時の二人は知らない。

 後に大慶油田と名付けられるこの油田が、極東情勢に決定的な影響を与えることを。

 国共内戦で敗走した国民党軍を追って満州に攻め込んだ共産党軍を日米の介入で追い払う格好の大義名分になるという事を。

 そして、二人の人生は分かれる。

 藤堂はこの満州の油田の現場監督からキャリアをスタートして、この石油を日本に運ぶ仕事をする羽目になり、その過程で日本国内のコンビナート整備や、東南アジアや中東の原油開発や輸送に携わることになる。

 山師は個人としては大金を日米の企業からせしめて故郷に錦を飾ったというが、晩年は幸せではなかった。

 成金よろしく金遣いが荒くなり、怪しい連中にその金を狙われて、最後はのたれ死んだという。

 そんな山師が満州の現地女に産ませた娘が藤堂の妻となったのは、葬儀の席で残ってもいない山師の財産目当てに責められていた彼女を助けた事から始まっている。

 死ぬ前の山師が娘に渡してやれたのは、古ぼけたラッキーストライクの空箱。

 あの油田発見時の煙草だけだったのだ。

 閨閥からは閨閥子女の見合い話が舞い込んでいたのに、それを蹴った彼に出世の道は残っていなかった。

 岩崎商事を退職した彼を拾ったのが、橘隆二。

 山師と縁があった彼は、石油に詳しく岩崎商事を追われる事になった彼を桂華商会に来ないかと誘い、好き勝手ができる事を条件に桂華商会に再就職させる事になる。

 そして、彼は彼の夢に出会う。


「はじめまして。

 藤堂長吉と申します。

 前は岩崎商事で資源調達部長をしておりました。

 今は、橘さんの紹介で桂華商会の相談役みたいな事をしております」


 彼女に、桂華院瑠奈に会った時、思ったのはあの満州の油田開発現場だった。

 まったく両極端のはずなのに、このお嬢様の顔がかつての山師に見えて仕方ない。

 ポケットに入れていたラッキーストライクを取り出そうとして自制する。


「いいじゃない。

 それ、やりましょうか?」


「また気楽に言いますね。

 単独で手を出すなら数千億円規模ですよ?」


 彼女が何をやったか橘経由で知っているし、自らも裏取りをした。

 その上で彼女の笑みに、決断に見惚れた。

 彼女の笑みが、あの山師と被って見える。


(馬鹿だな。

 自分の手で見付けるのが楽しいんだろうが)


 あの山師の言葉を思い出す。

 藤堂の口から言葉は自然に出ていた。


「今、苦境にある総合商社。

 下位で良いですから、お嬢様の手で買えませんか?」


 東京都芝浦区松野貿易本社。

 そこの社長室に藤堂は座る。

 妻は社長になったと言ってもあまりピンと来ず、大人になった子どもたちは孫たちの小遣いが増えるぐらいにしか考えていないあたり、彼らも山師の血を引くのだなと今更ながら思う。

 テーブルの見える所にラッキーストライクの箱を置く。

 それは彼の原点であり夢の欠片。


「お祝いに来たわよ。

 社長就任おめでとう」


「ありがとうございます。お嬢様」


 花束を手渡すお嬢様は目ざとくラッキーストライクの箱を見付ける。

 そして、机の上に灰皿が無いことに気付く。

 そういう目聡さがあの山師によく似ているななんて思うが、藤堂はそれを口に出さない。


「その煙草の箱は何?」


「私のお守りみたいなものですよ。

 ラッキーストライク。

 その由来は……」




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大慶油田

 『覇者の戦塵』(谷甲州 角川書店・中央公論新社)。

 某龍神様を書いていた時のネタ元の一つ。

 現在じわじわと押されている最中である。


ラッキーストライク

 元々こいつを思い出したのは、『遥かなる星』(佐藤大輔 徳間書店)で崩壊した西ベルリンの補給廠から獲ってきたという記述を思い出したから。

 で、由来を調べて大爆笑中。

 こんな感じで、藤堂さんの設定が生えた。

 基本、この作者はこんな感じで物語を書いている。

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