008 精霊王アルファーディ



「フフッ、酷く驚かれてますね」


 ポカンと口を開けているウォルターに、アルファーディはくすくすと笑う。


「急にこんなことを言って、混乱させたことは謝罪します。少し、私の話を聞いていただきたいのですが」

「聞くって……そもそもなんで俺に? ただの十歳のガキンチョだよ?」


 割と必死にウォルターはまくし立てる。声を出したのも、無意識に少しでもいいから落ち着きを取り戻したいという現れであった。

 その目論見は、ひとまずは成功したと言えなくもない。

 少なくとも目の前にいる、精霊王を名乗る者の顔をちゃんと見れるようには、なってきていたからだ。

 流石に敬語まで取り繕う余裕はなかったが、これに関してはギリギリ、致し方ないと言えなくもないだろう。ウォルターからしてみれば、アルファーディは得体のしれない人以外の何物でもないのだから。


「いいえ。あなただからですよ――ウォルター君」


 それはアルファーディも察しており、彼の言動を気にすることもなく、流暢に答えるばかりだった。

 ちなみにまだ名乗っていないにもかかわらず、精霊王が名前を知っていたことについては、ウォルターも言葉を挟まないばかりか疑問にすら思わない。

 そこも含めて余裕がなかったからだ。

 もっとも、登場した時点であからさまに怪し過ぎると判断し、ウォルターは大いに警戒していたので、些細な問題ではあったが。


「あなたの経緯は全て知っています。だからこそ……失礼!」


 アルファーディは急にウォルターを抱き寄せる。何かを語り出そうとした矢先のことであり、ウォルターも突然過ぎて反応ができなかった。

 真っ白なローブに顔を埋めているような状態であり、周囲の様子が分からない。

 故に、アルファーディが右手をかざし、同時に彼の体が淡く光り出していることも分からなかった。

 晴れていたはずの空に、悪魔を示すかのような黒雲が出現したことも含めて。


「――行きますよ」


 ひっそりと呟かれた声とともに、アルファーディはウォルターごと、一瞬にしてその場から姿を消してしまう。


 ――ピシャッ! ズドオオオオォォォーーーーンッ!!


 丘の頂上に大きな雷が落とされたのは、それから一秒後のことであった。

 そして、空を覆っていた黒雲が、瞬く間に晴れて青空と化す。まるで今しがた発生したもの全てが、幻だったと思えてしまうほどに。

 これら一部始終を見ていた者がいたとするならば、まずそう思うことだろう。

 例えば――


「な……なんだったのだ、今のは!」


 騎士たちとともに丘を駆け上がってきた、勇者スキルを持つ少年のように。


「ヤツの後をつけて来てみれば、魔物が急に襲ってくるし、天候は急に悪くなるし、おまけにデカイ雷も……一体何なんだ、この踏んだり蹴ったりは?」


 苛立ちながらこれまでの行動を振り返るニコラス。有体に言って、意味の分からないことだらけであった。


「あのスキルなしを、勇者である僕の手で華麗に始末し、それをマーガレットに収める手土産にしようと思っていたんだぞ! あの能無し野郎に着せる罪の内容も、追いかけながら考えたというのに……」


 勇者である自分が聖女を救い、王都へ連れ帰ってきた――それがニコラスの中で思い浮かべている、国王への報告内容であった。


(全ては、勇者としての僕の地位を確実なものとするため。あのマーガレットも僕のモノとすることができる。今の時点であれだけの可愛さなんだ。大人になれば、間違いなく美人になっているだろう。上玉をみすみす逃す手はないよなぁ♪)


 大人になり、美人で清楚でスタイル抜群な女性へと変貌を遂げた、マーガレットとのバラ色の夫婦生活――それを思い浮かべたニコラスは、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。ご丁寧に『グヘヘヘヘ……』という薄気味悪い声を、しっかりと口から零れ落としながら。

 護衛で突いてきた騎士たちも、流石にその様子に戸惑いを隠せていない。

 声をかけようかと思った、その時であった。


「そういえば、ヤツはどこへ行った?」


 ニコラスが今の状況を思い出し、追いかけていた対象を探す。しかしどれだけ見渡しても、件の少年の姿はどこにもなかった。

 大きな雷の影響か、頂上に一本だけそびえ立つ大木は、黒く焼け落ちている。そこから自然と、一つの結論が導き出される。


「……どうやら、運悪く雷に打たれたようだな。遺体も焼き尽くされたか」


 ため息こそついているが、ニコラスの表情は晴れやかな笑顔だった。


「マーガレットをたぶらかす『能無し』は、精霊様の御怒りに触れ、雷に打たれてこの世を去った――まぁ、これでも十分な報告になるだろう。むしろこのほうが、将来の嫁であるマーガレットを励まし、勇者の僕を頼ってくれるようになる。下手に僕が始末するより、遥かに素晴らしい結果と言えるかもしれんな。ハッハッハッ♪」


 当初の目論見は外れたが、結果オーライだとニコラスは思った。それ故に、悪くなる一方だった機嫌もすっかり元通りとなり、それは護衛の騎士たちも、胸をなでおろすことに繋がっていた。

 無論、それらの状況に対して、騎士たちも疑問に思わないわけではない。

 しかしながら、下手な口出しはご法度であった。

 騎士たちの立場上、勇者ニコラスには絶対に逆らえないからだ。

 彼は貴族の出身で、国王からも大きな信頼を得ている一家の息子なのだ。そんな人物が勇者に選ばれ、家族や国王の前では勇敢で優しい少年を演じ、外では傲慢で欲に塗れたゲス男の護衛に就かされた。

 大人しく従う以外に道がないのは、致し方ないことだった。


「――よし、そうと分かれば、こんなところに用はない。さっさと村へ帰り、聖女を連れて王都へ帰るぞ!」


 ニコラスは踵を返し、山奥の村へ引き返してゆく。焼け落ちた大木の跡を一瞥し、騎士たちも少年勇者に続いて歩き出すのだった。



 ◇ ◇ ◇



「えっと――ここは?」


 目の前の光景に、ウォルターは呆然とする。


「さっきまでいた場所とは、全然違うような気がするけど……」

「えぇ。あの場所から軽く数百キロは離れている、辺境の地になりますね」

「どーりで」


 ウォルターは素直に納得した。

 彼が暮らしていた村は標高が高く、傾斜が多い場所だったのだ。しかし今、彼らがいる場所は暖かく、山と山に囲まれているとはいえ、周りは平地だらけ。むしろ急な傾斜を探すほうが大変そうなほどであった。

 小さな村ではあるようだが、周りに家が密集しているわけでもなかった。


「さぁ、まずはあそこに見える家まで行きましょう」


 アルファーディが指をさした先には、丸太で組まれた小さな一軒家があった。その周りには畑が広がり、見たことがない小さな獣たちが走り回っている。

 遠くから見ても狂暴さはなく、むしろのどかさを象徴しているかのようだ。

 急に来たときは驚いたものであったが、改めて見ると落ち着くと、ウォルターは歩きながら思う。

 そして、彼らが一軒家に近づいたその時――


「ふやあっ! ふやあぁっ!」

「びえぇーーっ!」


 赤子らしき泣き声が、二人分聞こえてきた。一体何事だと、ウォルターは思わず目を見開くそこに、一軒家のドアがゆっくりと開けられた。


「おぉ! やっと戻ってきましたか!」


 一人の老人が、二人の赤子を器用に抱えて出てきた。赤子たちは未だ泣き続け、まるで収まる様子を見せない。

 老人はいささか困り果てているようだった。


「この子たちが落ち着かなくて、どうしようかと……その少年は?」


 ウォルターの存在に気づいた老人が尋ねてくる。

 それと同時に――


「ふやあああぁぁーーーっ!」

「びえぇっ! びええええぇぇぇーーーっ!」


 二人の赤子の鳴き声が、更に勢いを増した。老人は必死にあやすが、まともな効果は出ていない。

 そんな様子を見ていたウォルターは、いてもたってもいられなくなった。


「――ちょっと、その子たち貸して!」

「えっ?」


 ウォルターは動き出し、老人から半ば強引に双子たちを抱えて受け取る。


「よーしよーし」


 声をかけながら、両腕に抱える赤子を器用に揺らしていく。すると泣き声が段々と弱まり、遂に二人は目を開けた。

 赤子たちの視線は、まっすぐウォルターに向けられる。

 そして――


「あう……あーっ♪」

「きゃーうっ、あーあーぅ♪」


 あれほど泣き叫んでいた赤子たちが、今度は元気よく笑い出すのだった。


「な、なんと……あんなすぐに泣き止むとは!」

「ほう」


 老人も、そしてアルファーディも、その光景に驚きを隠せない。一方のウォルターは嬉しくなったのか、軽く笑いながら更に大きく揺らす。赤子たちはますます喜びの声を上げており、もはや泣く様子は全く感じられない。


「――どうやらこの私の目に、狂いはなかったようですね」


 明るい少年と赤子たちの声を聞きながら、アルファーディはひっそりと呟いた。


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