第31話 隣村の庄屋さんの屋敷で

 しばらくして、吾作と与平はようやく隣村の庄屋さんの屋敷までやってきた。


 その屋敷は自分の村の庄屋さんの屋敷よりも幾分か大きいが、武家屋敷のような白い塀などなく、ただ、大きい屋敷と、蔵がその横にいくつかあり、松の木などが所々に植っていて、とても庶民的だが上品な屋敷だった。

 吾作はその屋敷を見ただけですでに緊張をし始めていた。

 そんな事には全く気が付いていない与平は、その屋敷の玄関前で大きなあいさつをした。


「隣村からやって来ました、吾作と案内の与平です! お邪魔してよろしいでしょうか?」


 吾作はその与平のしっかりしたあいさつを聞いて、横で完全に緊張してしまっていた。しばらくすると、


「はーい。どうぞどうぞ。中に入って下さいませ~」


 屋敷の奥から初老の男性と思われる声が聞こえた。二人は玄関を開けると、その広く片付いた玄関の先に、身なりをとても整えた細身だがガリガリほどではなく背もそんなに高くはない初老の男性が、爽やかな笑顔をして立っていた。

 そして、とても丁寧にあいさつをされた。


「わざわざ遠くからご足労でしたね。初めまして、私がこの村の庄屋です」


「今日はよろしくお願いします! それと、私の村の庄屋からこれを」


 与平は隣村の庄屋さんにハキハキとあいさつをした。そして手に持っていた菓子折りの入った風呂敷を差し出した。


「あらあら、こんなご丁寧に。ありがとうございますと、お伝えください」


 隣村の庄屋さんは、与平からその風呂敷をニコニコと受け取った。

 吾作はその様子を見ながら、隣村の庄屋さんにあいさつを……とは思っていたものの、吾作はけっこうな人見知りなので、その場でモジモジして何も言えなくなってしまっていた。

 そんな吾作に気がついた与平は、


「あ、こちらが今日のネズミ捕りをする吾作になります」


と、あいさつを促してくれた。吾作は慌てて、


「あ、よ、よろしくお願いします!」


と、自分でも驚くくらいの大声であいさつをした。

 隣村の庄屋さんは吾作の顔を見ると笑みを浮かべた。


「ああ、あなたが噂になっている方ですね。なんでも一晩で村の田植えを全部終わらせたとか。素晴らしいですね。お名前は何とおっしゃるの?」


「あ、ご、ご、吾作ですっっ」


 吾作は褒めちぎられた上に名前まで聞かれたので、顔を赤らめてモジモジしながら返事した。

 その様子を見ていた与平は、とりあえず吾作があいさつと会話ができた事に安堵したが、それと同時に、


(今日、吾作は大丈夫なのか? さっきの感じが出ないといいんだが……)


 などと心配もした。しかし顔には出さないようにした。すると隣村の庄屋さんは与平の顔を見て、


「あ、いっしょに来た方。今日はありがとうございました。後はこちらでやりますので、お先にお帰り下さい。

 あ、そうでした。私もそちらの庄屋さんにお渡ししたい物がありましてね。少々お待ちくださいな」


 そう言うと玄関の奥の部屋に戻っていった。


(わしは名前も尋ねられないんだな)


 与平は少し苛立った。横にいた吾作はのぼせ上がっていたので、それには気が付かない。

 隣村の庄屋さんはすぐに菓子箱らしき箱が包まれた風呂敷を持って戻ってきた。


「いやいや、こんな夜更けにわざわざ本当に道案内をありがとうございました。これをそちらの庄屋さんにお渡し下さいませ。では」


 隣村の庄屋さんはその手に持っている風呂敷を渡すと、与平に帰るようにうながしてきた。


「あ、は、はい。ありがとうございました。では。ほいじゃな吾作。粗相のないようにな」


 与平は困惑しながらも、隣村の庄屋さんからもらった手みやげを手に持ち、丁寧にあいさつをすると吾作にも声をかけて玄関を出て行ってしまった。

 吾作は返事を返す余裕もなく、ちょっと戸惑った。


「ささ、では申し訳ないが早速取り掛かってもらいましょうかね。こちらへどうぞ」


 隣村の庄屋さんは吾作にそう言うと、玄関を出て二人で裏庭に向かった。


(あれ? 蔵の方じゃない気がするけど……)


 吾作はそう思いながらもよく分からなかったので隣村の庄屋さんの後をついて行くしかない。

 その裏庭は縁側沿いにあり、二十畳くらいの広さがあるがいろんな木々が植えられていて綺麗に剪定されていて、即席の日本庭園のようだった。

 隣村の庄屋さんは草履を脱いで縁側に上がると、屋敷の床下を指差した。


「すいませんね。ネズミはこの下にいると思われるんです」


 こんなところにいるんだ〜。と、若干の違和感を感じた程度で隣村の庄屋さんがそう言うんだからそうなんだろうとあまり気にせずその話を鵜呑みにした。


「は、はい。じゃあネズミを捕っていいですか?」


「はいはい、お願いします」


 隣村の庄屋さんはにこやかに返事をした。

 さっそくと吾作は縁側の下を覗き込もうとした。その時、


 ドスッ!


 大きな音とともに吾作は体に何かが当たった感じがした。


「え?」


 吾作は体を起こした。そして自分の身体を見てみると、右横腹に矢が一本刺さっている。


「え?」


 吾作は隣村の庄屋さんを見た。

 庄屋さんは三歩ぐらい下がって申し訳ない顔をして吾作を見ている。吾作は何が起こったのかさっぱり分からない。すると、


「ものの怪! 覚悟~~!」


と、言う大声とともに刀を振りかざした侍が吾作目掛けて突進してきた。


 吾作は何が起こっているのか理解出来なかったが、本能が危険を察知し、一瞬の内に屋敷から逃げ出した。


「は! 消えた!」

「な、何処へ行った?」

「どこにもいないぞ!」


 そのあまりの速さにそこにいた隣村の庄屋さんと侍は、裏庭をくまなく探し始めた。矢を放った侍も出てきて吾作を捜したが、吾作はどこにもいなかった。

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