第43話 少年、魔物の恐怖を知る
あまりにも急激な、ルウラリアの変貌。
少なくともヒロにはそう見えた。
さっきまで川で自分を抱きしめていたかと思えば、急に泥に投げ込んだ。
修行をするというのは分かっていたつもりだったけど、それでも――
泥の中でぺたんと座り込んだまま、ヒロは動揺を隠せない。
「さぁ、ヒロ様。
ここからが、本当の修行の始まりですわ!!」
そんな言葉と同時に、空中で妖しく煌めいたルウラリアの青い瞳。
それが奇妙に冷たい色を帯びたと感じたその瞬間――
ヒロのすぐ横に、突然何本かの槍が突き刺さった。
正確には槍ではなくルウラリアの触手だったのだが、槍と表現しても差し支えないレベルにその勢いは凄まじく。
咄嗟にヒロがかわさなければ、首が飛んでいたかも知れない。そんな恐怖さえ覚えるほどの、ルウラリアの触手。
何で。何でだよ。
さっきまで、俺を優しく抱きしめてくれたはずなのに。
心のどこかで、そんな悲鳴が響く。
それでも彼女は待ってくれない。一本目の触手をかわしても、次々にヒロのすぐそばへ、泥飛沫をあげながら触手は飛んでくる。
――殺される。
本能で、そう思った。
いくら修行と分かっていても、仮想世界と分かっていても。
身体の間近を掠める刃が飛んで来たら、誰しも死の恐怖を感じるものだ。
泥に足をとられかけながら、何とか二本目をかわしたヒロ。左脚を凄まじい風圧が掠め、ビリッと鋭い音をたててワンピースが縦に引きちぎられた。
同時に、左の太ももにじわりと広がる痛み。
ほとんど泥の中に倒れ込むような体勢になりながら左脚を確認すると、腰のあたりから裾まで見事なスリットが出来ており、太ももが剥き出しになってしまっている。
脚は膝まで泥にめり込んでしまっていたが、それでも風が掠めたと思ったあたりからは少しずつ、出血しているのが分かった。
思わず上空のルウラリアを見上げる。
水着姿の可憐な少女に見える彼女。それでもその桜色の髪は殆どが触手に変貌し、空中で揺らめいている。
その瞳はじっとヒロを見据えていたが、彼にはその心がまるで読めなかった。
いや、彼女が心から自分を想い、修行を始めたのだということぐらいは分かる。彼女の優しさは、ほんの数日間触れ合っただけでも分かっていたつもりだ。
だけど――
俺は忘れていたのかも知れない。
彼女が、魔物だということを。
分かっていたつもりで、分かっていなくて。
彼女に甘えていただけかも知れない。何だかんだでルウはずっと、俺を助けてくれたから。
でも――
「さぁさぁヒロ様、まだまだ終わりではありませんよ?
もっともっと、わたくしを愉しませてくださ~い!!」
そんな言葉を叫びながら、今度は横薙ぎに触手を振るってきたルウラリア。
泥に脚をとられて動けず、ヒロはまともにその一撃を喰らってしまった。
「……!!」
殆ど悲鳴すらも出せず、宙に吹き飛ばされたヒロ。
レズンやその手下どもの拳などとは、比較にもならない威力だった。
――これが、魔物の本性。
さらに背中に加わる、酷い衝撃。
自分が泥へと落下したのだとすぐに分かったが、容易に身体が動かない。
それでも立ち上がろうとすると、肋骨のあたりに激しい痛みが走った。何本か折ったかも知れない。
だが、そんなボロボロの彼にも、容赦なく触手は襲いかかってくる。
動けないヒロに、無数に纏わりつくルウラリアの触手――
「ヒロ様~、どうしたのです~?
少しは抵抗してくださらないと、修行になりませんわよ~?」
一瞬で無数の触手に手足を拘束され、空中に吊り上げられてしまうヒロ。
彼女の呑気な声が響いたが、ヒロを縛り上げた触手は鋼鉄の如く硬化し、どんなに振りほどこうとしてもびくりとも動かない。
そんな。さっきまで俺を優しく抱きしめていた時は、あんなに柔らかかったのに。
「て、抵抗も何も……
こんなにキツくされちゃ、動けるわけないだろ!」
「当たり前ですわ~、だって修行ですもの」
泥まみれのワンピースという、世にも恥ずかしい姿のまま。
ヒロは無理矢理大の字にされて吊り上げられ、下からルウラリアに好き放題眺めまわされるハメになってしまった。
「うーん、やはりいつ見ても良いものですねぇ、泥にまみれた白ワンピ……
腰まで破れたスカートの隙間から覗く太ももとふくらはぎ、性差に関わらず最高です♪
ちぎれた部分が脚にまとわりついて、無理に動こうとするたびにずれていくのがたまらないんですよねぇ~♪♪
はぁ。この快楽、何故父上にはご理解いただけないのでしょう……」
ルウラリアは何やら大きくため息をついていたが、ヒロはそれどころではない。
触手は容赦なくどんどん身体に食いこんでくる。肉も骨も穿つ勢いで。
嘘だろ。ルウが本気になったら、こんなにも――
泥と冷や汗を額から流しながらうっすら眼を開くと、彼女は――
悪魔の触手令嬢は、のほほんと涼しげな表情でヒロを見上げていた。
信じられないが、多分彼女は本当の本気の1割も出していないだろう。
それでいて、この力なのか。人の身体などたやすく破壊出来るほどの。
「あら。もう終わりですか、ヒロ様?
貴方には秘められた力があるはずです。それこそ、唯一無二の勇者様の力が!」
「やめてくれ……ルウ。
俺には、そんな力なんか……」
息もたえだえに、抗弁しようとするヒロ。
触手は首にまで巻きつき、声すらろくに出せない。
それでもルウラリアは容赦がなかった。
「もう、ヒロ様ったら。
これではさすがに面白くありませんよ?」
面白いも何もあるか。このままじゃ窒息死してしまう。
仮想世界だから死ぬことはないだろうけど、だったら何でここまで痛みを再現してくるんだよ、畜生!
そんなヒロの心の叫びも、ルウラリアには一切届かない。
いや、届いているかも知れないが、聞いてくれない。
彼女は触手の力を一切緩めないまま、大げさにため息をついた。
「仕方ありませんねぇ~。
それでは、これならどうでしょう!?」
そう言いながら、大きく片手をあげるルウラリア。
瞬間、その桜色の髪――つまり触手は妖しい煌めきを帯び始め、何やら異様な金色に輝きだした。
あれは――まさか。
ヒロは思わず全身を硬直させる。
途端、その金色の光は一気に触手の表面を駆け抜け、ヒロにまで襲いかかった。
光が身体に触れた瞬間――
「ぎ……
ギャアァアアアアアアァアアアァアアっ!!?」
炎の高熱でも、氷の冷気でもない。あるいはその両方。
激しい衝撃を伴った得体の知れない力が、ヒロの全身を痺れさせた。
この力には覚えがある。電撃魔法を習った時のことだ。
空中に電撃を放つ先生にみんなで怯えていたら名指しされて、少しだけ触ってみろと言われて、俺はその電撃をちょっとだけ触って――
確か、指先をバチッと弾かれて、思わず手を引っ込めたんだっけ。
だが今浴びせられているそれは、あの時とは比較にならない電撃だ。雷撃と表現しても過言じゃない。
全身の神経も血管も肉も組織も焼き切れる。そんな表現が一番近い気がする。
その電気ショックはやがて脳にまで到達したのか。
目の前が真っ暗になり、全身の感覚が失われ、息さえもおぼつかなくなって――
最後に聞こえたものは、ルウラリアの声。
「え、え? ひ、ヒロ様!?
ちょ、待ってくださ~い! まさか、こんな程度で……」
こんな程度ってお前。
心の中で思いきりツッコミながら、ヒロの意識は消失していった。
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