第42話 触手令嬢と真夏のワンセット

 

 それはともかく、早速修行といきましょうか。

 とはいえ――いざ修行を『指導する』側に立ってみると、何をすればいいのかいまいち分かりませんね。

 しかもこのような、いわゆる仮想世界での修行となると、ヒロ様は勿論わたくしも初めてです。

 わたくしが父上から受けたような修行で良いのでしょうか。少々疑問ではありましたが――

 とりあえず今は、ヒロ様の輝かんばかりの白ワンピ姿。これを存分に愉しむといたしましょう!



「ヒロ様。それでは修行を開始いたしますわ!

 まずはそこの川べりに、立ってみてくださいまし」

「え? ……こ、こう?」


 赤くなりながらも、草むらから素直に立ち上がるヒロ様。

 スカートが風に軽やかに翻り、細いふくらはぎが露わになります。


「あぁ、夏と言えばやはり白ワンピですね!

 真夏の太陽の下、川のせせらぎを耳にしながら一人新緑の中たたずむ、白ワンピの美少女

 ……絵になりますわぁ~」

「美少女言うな」

「ひまわりの花束も持ってくればよかったですね。夏の定番と言えばひまわりに白ワンピですし!

 さ、ヒロ様。そうしたら川の中央あたりに、おあつらえむきの小岩がありますね。

 そこへ飛んで行ってくださいまし」


 ちょうどよい感じにせせらぎの中からは、ちょうど人間の足くらいの大きさの小石がいくつか飛び出しております。その先には、人一人が何とか乗れそうという程度の岩が。

 ヒロ様は不満げながらも、わたくしの指示には素直に従ってくれました。


「分かったよ……

 って、う、うわ、わっ!?」


 少々不器用につまずきかけながらも、何とか小石を飛び越えていくヒロ様。

 ヒロ様が着地するたび、足元で僅かに水飛沫がたち、白ワンピがさらに翻ります。あぁ、なんと美しい。

 思わずわたくしもそれを追いかけていきました。


「ふふ……

 ヒロ様、お待ちくださ~い!」


 ヒロ様よりかなり軽やかに、水着のまま大胆に岩をぴょんぴょん飛び越えるわたくし。

 あっという間に彼に追いついてしまいました。

 焦ってスピードを上げようとするヒロ様ですが、ワンピースが脚に絡んでうまくいかないようです。



「もう、これ何の修行だよ……

 わ、うわああぁああっ!!?」



 そうこうしているうちに、ヒロ様はぬめぬめとした岩に足を滑らせてしまいました。

 あっという間に体勢が崩れ、哀れヒロ様は水面へと真っ逆さまに吸い込まれていきます。

 こういう時、最後のあがきのように風で大きく膨らむスカートの裾はいつ見ても最高ですね。

 そして直後、大きな飛沫を上げてヒロ様は川に落ちてしまい。



「あ、あぁ!

 ヒロ様、ご無事ですか~!?」



 自分でも素っ頓狂とも思える悲鳴を上げながら、わたくしはヒロ様に触手を伸ばしました。

 その助けもあり何とか水面に顔を出したヒロ様は、流れにもがきつつも必死で岩に縋りつきます。


「う、うぅ……ゲホ、ゲホっ」


 苦しげに咳き込みながら、両腕で岩にもたれかかるヒロ様。その胸やお腹に絡むわたくしの触手。脇の下の血流の感触、やっぱり心地よいものです。

 左肩のリボンが外れ、白い腕に絡みついているのが何とも艶っぽい。

 爽やかに風に靡いていたワンピースは、空気に触れている部分はぐっしょりと身体に張り付き、水面下では海月のようにふわふわと揺れています。


「う~ん、美しい。

 やはり夏といえば白ワンピの子を抱きしめて川に落として、そのスケスケぶりを愉しむまでがワンセットですからね~!」

「ないから! あってたまるかそんなワンセッ……

 ヘ、ヘックシュ!!」


 真っ赤になりながら怒ろうとしてくしゃみしてしまうヒロ様もやっぱり可愛らしい。

 風邪を引いてはいけないので、思わずわたくしは触手の殆どを使って彼を包み込みました。

 よく考えたらここはかりそめの世界、恐らく風邪とも無縁でしょうけど。


「ふふ、やっぱりヒロ様はまだまだ純粋な男の子ですね♪

 触手界では常識ですよ? 愛しきものはまず水に落とせと」

「それ触手の常識だから! 人間界じゃ非常識だからな!」

「そうでもないですわよ?

 水に濡れてスケスケ状態のドレスがお好きな人間の殿方は、星の数ほどおられます。

 ヒロ様だって、わたくしの制服が濡れたらどう思いますか?」

「え、え?

 ……べ、べ、別にっ、どうも思わない、けど!!」


 一気に紅潮した顔を隠すように、ぷいっとそっぽを向くヒロ様。

 あぁ、駄目ですってばそんな表情をされては。ふわふわ揺れるスカートの裾から、思いきり触手をねじこみたい衝動に襲われてしまいます。

 そんな欲求を何とか抑え込みながら、触手に変貌した髪の毛でヒロ様を抱きしめるわたくし。

 澄んだ水面の下で花のように揺れる、半透明のワンピース。さらにその向こうに透けて見えるものは、ヒロ様のほっそりしたふくらはぎに太もも。

 静かな森に、どこからか鳥のさえずりが響きます。


「あぁ、やはり夏はこうでなくては……

 愛しのかたの濡れ透け白ワンピ、最高です」

「いや、ルウ……

 そこ、あんまり触るなって。へそのあたりは俺……」

「ふふ。気持ちいいですか、ヒロ様?」

「あ……ちょ、やめっ、おい!」


 ほんの少し胸元まで触手を伸ばすと、ヒロ様は反射的に身を縮めます。

 脇の間にたまっている清らかな水……飲みたくてたまりません。

 濡れた白い布地からほんのり透けている素肌。水面に浮かぶリボン。

 あぁ、もう……



 ……って!

 こ、ここ、こんなことをしている場合ではありませんっ!


「違いますわ、ヒロ様もわたくしもバカンスに来たわけではないのです!!

 修行! 修行をせねば!!」

「今頃思い出したのかよ」


 そう。ヒロ様を強くする為にわたくしが選ばれたようなもの。

 その期待に答えられなければ、わたくし、おじい様に怒られてしまいます。


「というわけで! ヒロ様、申し訳ありません!

 わたくし、戦闘モードに移行させていただきますわ~!」

「え? ルウ?

 ……ちょ、え、おいっ!?」



 わたくしはヒロ様を触手で抱きこんだまま、一息に空へ跳び上がりました。

 何が起こったのか理解出来ないのか、ヒロ様は抱き上げられながらも慌ててわたくしの触手にしがみついてきます。

 可愛い。とっても可愛らしいですが――

 ここは、心を鬼にせねばなりません!

 あたりを見回すと、川べりの木々の少し向こう側に、おあつらえ向きの湿地帯がありました。

 まるで、わたくしが望んだらそこに出現したかのような泥の窪地です。

 水の冷たさに震えながらも、わたくしに縋りつくヒロ様。脚に纏わりつく、濡れたワンピース。

 そんな彼を見ていると、数秒先の光景が目に浮かんで思わず興奮……いえ、心苦しくなってしまいましたが。

 それでもわたくしは今、レズン以上の鬼にならねばなりません!!


「ヒロ様……

 これだけは信じて下さい。わたくし、ヒロ様を愛しております!」

「え? る、ルウ?

 ……う、うわ、うわあああぁあああぁっ!?」


 ちょうど窪地の真上まで跳んだわたくしは、そこで思い切って、ヒロ様を放り投げました。

 あぁ、濡れたヒロ様の身体を自ら手放してしまうのは本当に惜しいですが、これもさらなる妄想の種……ではなく、修行の為です!

 投げ落とされたヒロ様は、あっという間に泥の窪地へと真っ逆さま。

 べしゃりという鈍い音と共に、背中から落下してしまうヒロ様。音から察するに、かなり柔らかな土壌のようです。仮にこれが現実であっても、多分そこまで酷い怪我をすることはなさそうな。

 それでもそこは意外と急な斜面。ヒロ様は落下の衝撃で、そのままずるずると滑り落ちてしまいました。

 勿論、全身あっという間に泥まみれ。特に地面に擦った背中のあたりが真っ黒です。

 窪地の中心部に溜まっている泥沼まで、一気に転がり落ちてしまったヒロ様。最後にバシャンと壮絶な飛沫をあげながら、頭から突っ込んでしまいました。

 純白が美しかったワンピースは勿論、上から下まで泥色に染まっています。いや、わたくしのような触手族にしてみれば、こういう姿こそが美しく思えるのですが。

 それでもヒロ様は何とか起き上がり、髪からぼとぼとと泥を落としながらわたくしを睨みつけてきます。紅の髪も半分がた泥まみれ。ちょっとすりむいてしまったのか、右腕を押さえながらそれでも身を起こそうとする姿が健気です。


「る、る、ルウ……お前っ……!!」


 エメラルドの瞳が怒りに燃えています。イイですねぇ、やはり男子たるものこうでなくては。

 でも、ここで頬を緩めてしまうわけにはいきません。

 今のわたくしは鬼です。鬼になるのです!!


「さぁ、ヒロ様。

 ここからが、本当の修行の始まりですわ!!」


 わたくしがそう言い放った瞬間――

 触手と化したわたくしの髪の毛が、泥まみれのヒロ様に向けて、一斉に放たれました。

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