第25話 華崎の苦悩
「頼む……俺の勝手なわがままかもしれないが、辞めないで欲しい」
なりふり構っていられなかった。俺は膝をついている華崎の前に座り、土下座の体勢で頭を下げた。
立場とかそんなの関係ない。とにかく思いとどまってもらわなくては。彼の心の優しさにつけ入るために、土下座という形をとった。
「は、はじめ様っ!?」
俺の考えている通り効果は絶大だった。焦った声と共に、土下座を止めさせようと腕を掴まれる。しかし、俺は顔をあげなかった。
「辞めるのを止めると言ってくれるまで、俺は動かない」
卑怯だとなじられてもいい。華崎が考えを改めてくれるのなら。
「はじめ様、顔を上げてください。どうやら誤解があるようなので」
「辞めるのを止めるか?」
「はい。とにかく話をしましょう」
言質はとったので、俺は顔を上げた。そこには、困ったように眉を下げる華崎がいた。優しい力で立ち上がらせてもらうと、落ち着いて話をするために椅子に座った。
「……どうして辞めようとしたんだ?」
座ってすぐに本題に入った。他の話をしている余裕はない。むしろ、どうしてこんな話になったのか聞かなくては。
「それは……はじめ様に迷惑がかかると思って」
「迷惑?」
「この屋敷の侵入者がいたと聞きました。その目的が、俺とはじめ様のスキャンダルを得ることだったと」
「……そのことか。まさかそれで、責任取って辞めようとしていたとか言わないよな」
「……」
沈黙するということは図星か。そんなことを考えていたなんて。全く必要ないのに。
「あれは蓮の勘違いだ。侵入者には、父がよく聞かせておいたから、もうそんな勘違いをすることは無い。だから心配しなくていいんだ」
「違うんです……」
「違う?」
心配しなくていいのに、何故か華崎は首を横に振る。
「俺は使用人として失格です。俺は……俺は、はじめ様のことをお慕いしております」
懺悔するように、その言葉は放たれた。全く予想していなかった言葉で、俺は固まってしまった。
「し、慕っているって……ど、どういう意味で……」
なんとなく答えを予想しているのに、どうしたらいいか分からず質問する。そんな俺の質問に対して、さらに眉を下げた。
「伝えないつもりでした。こんな気持ちは持つことだけでもおこがましい。許されないことですから」
その言葉だけで充分伝わった。華崎の気持ちが恋情を含んでいるものだと。
「俺のこの気持ちは、はじめ様を困らせるだけです。それに迷惑もかけました。スキャンダルに発展させる前に、俺がこの屋敷から出て行った方がいい。そうでしょう?」
何もかも諦めた表情。俺からなじられるのを待っているようだった。
めまぐるしく頭を回転させる。ここで拒絶したら、華崎は辞めてしまうだろう。それだけは避けたい。
「俺は……残っていてほしい」
華崎が口を開き、そしてはくという声にならない音を出した。しかしすぐに、自嘲の含んだ笑みを浮かべる。
「いいんですよ。気を遣っていただかなくても。俺の能力を買ってくれるのは嬉しいですが、気持ちを伝えてしまった今、一緒にいることは出来ません」
これは、ただ引き留めるだけでは駄目だ。それぐらい意志が固い。
「ま、前向きに検討してみるから」
「はい?」
「そういう目で見たことが無かったけど、気持ちを真剣に考えてみるから。だから」
「はじめ様。いいんですよ。俺の代わりなんて、たくさんいます。時間が経つにつれて、思い出すことも無くなるでしょう」
言葉を遮り、切り捨ててきた。俺が軽い気持ちで提案したと、そう思って怒っている。しかし勘違いしていた。俺だって軽い気持ちではない。
「華崎がいなくなる方が耐えきれない。忘れることなんて絶対にない。絶対にだ。ずるいのは承知だ。それで、華崎がどこにも行かないのなら。それぐらい大事な存在なんだって、分かってほしい」
そっと手を握った。俺よりも少し大きい。その手を包み込むように、優しく覆う。
「俺が辛い時、傍にいてくれたのは華崎だ。華崎の世話をした庭が好きだ。見ていると、嫌なことが忘れられる。華崎がいなかったら、俺は廃人になっていたかもしれない」
「……はじめ様」
「気持ちを真剣に考えるから、どうか俺の前からいなくならないでくれ。頼む。華崎がいなくなったらと思うと……そんなことを考えたくもない」
その手をおでこに押し当てて、祈るように声を振り絞った。ずるいとなじられてもいいから、ここに残ると言ってくれ。そう願いを込めた。
それから、どれぐらいの時間が経っただろうか。俺にとっては何時間にも思えた。
「はじめ様」
静かな声だった。これはどちらだろうと、俺は目を閉じて構える。
「……そこまで望まれてもらえているのであれば、俺はここに残ります」
「本当か?」
「はい。俺の気持ちを、真剣に考えてくれるのでしょう? 即刻解雇されても文句を言えないのに……俺は幸福です」
「ありがとう。これは、言葉だけでごまかしているわけじゃない。……れ、蓮のこともあるから、すぐに決められるとは言えないけど、ちゃんと答えを出す」
「お待ちしております」
やっぱり俺はずるい。期間も決めずに、待っていてくれと言ったのだから。それでも華崎はいいと言ってくれた。
その気持ちに答えて、真剣に恋愛が出来るかどうかを考えることにした。
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