第19話 足りないなにか side蓮





 何かが足りない。でも、その何かが分からない。

 最近は、ずっとそうだ。

 仕事も手につかず、いつもモヤモヤしている。


 どうしてだ。俺の元には、ずっと望んでいた凛がいるのに。これからは、ずっと一緒にいられるのに。どうして満ち足りないのだろう。まったくその理由が分からなかった。


 小宮山家から、凛を引き取ると何度も要請された。でも、それを全部断った。一度でも帰したら、二度と戻ってこない。それぐらいは理解していた。凛も帰りたくないと泣いていたので、正しい判断をしたと思う。


 そのおかげで、出産する時も落ち着いて出来た。不測の事態に備えて、たくさんの医者を呼んでいた。凛は体が強くないから、念には念を入れてだった。

 凛は気丈で、よく頑張っていた。出産は、とても辛いと聞く。体のことを考え、無痛分娩にした。運良く痛みは無かったが、それでも大変なものは大変だ。


 赤ん坊の産声を聞いた時、俺は感動で涙が出てきた。命が産まれた。それを強く感じた。奇跡の瞬間に立ち会ったと、そう思ったのだ。


 凛によく似て、とても可愛い子だ。

 あおいと名付けられ、今のところは元気に育っている。毎日顔を合わせているのだが、まだ懐いてくれていない。本当の親じゃないから当たり前かもしれないけど、寂しくもある。


 これから家族になるのに、これからもっと仲良くしたい。俺の子供になるのだ。

 ……本当にそれでいいのか?

 凛には悪いが、そう考えてしまった時はあった。俺とは一ミリも血の繋がってない子供。俺の子供として認知したら、その後に凛との間に子供が作れなかった場合、蓮沼家の跡取りになってしまう。

 今は凛に似ているが、成長するにつれて若葉権蔵に似てしまったら、どうしようか。そういうことを考えれば、認知するべきか迷った。


 でも、それ以外に選択肢なんかない。

 凛と結婚するのが、昔からの夢だった。子供ごと愛せばいい。ただそれだけのことだ。簡単である。


 葵を抱いている凛は、まるで一枚の絵画のようだ。美しいという言葉が、良く似合う。

 凛はいい親になるだろう。それを傍で支えたい。俺がやらなければいけない。


 たまに、はじめのことを思う。

 話し合いの後から、一度も会えていない。もう二度と会わないという、そんな書状が家に届いた。

 そこまで俺と会いたくないのかと、怒りに似た感情が湧いてきたけど、その感情を抱くのはお門違いというものだろう。

 はじめに甘えて、長い年月拘束していたのは俺だった。


 あの話し合いの後、親からものすごく怒られた。怒られたなんて、可愛いものでは無い。本気で殺されるかと、一瞬思ったぐらいだ。

 はじめは俺と凛の面倒を見てくれたし、真面目で誰にでも優しいから、親もとても気に入っていた。


 はじめと結婚する話が出た時は、凛との婚約が決まった時以上に喜んでいたぐらいだ。当時の俺は、どうしてそんなに喜ぶのかと憎しみの感情を抱いた。

 気持ちが消えることはなく、そのせいではじめは悪くないのに、最初の方は当たり散らしてしまった。離婚届を書かせたのは、絶対に本当の結婚をするつもりはないと分からせるためだ。期待はしないで欲しいと示したかった。でも、それがとてつもなく酷い行為だったのを、あの時になって初めて気がついた。


 俺は凛が好きだ。幼なじみとしてはじめも好きだった。

 でも俺の行動のせいで、もう二度とはじめと会えない。


 もしも、絶対にありえないが、もしも俺とはじめとの間に子供がいたら。そうしたら、どうなっていただろう。離婚をすることはなかっただろうか。

 はじめは責任感があるから、子供のためを思って、きっと別れないという選択をする。


 子供は俺とはじめ、どちらに似ていたのだろうか。はじめに似ていたらいい。あまり取り上げられることは無いが、はじめの顔は整っている。ずっと、とても格好いいと思っていた。好きな顔だった。

 はじめに似た子供は、きっととても可愛いだろう。見たこともないのに、詳細に想像出来た。


 少しつり目だけど、でも宝石みたいにキラキラした黒い色。すっと通った鼻筋。薄いけど柔らかい唇。

 はじめは普段は表情を変えることはほとんどないけど、本当にたまに笑う時があった。大きな口を開けたりはせず、目尻を下げて柔らかく微笑む。きっと、子供も同じような笑い方をするはずだ。そんな顔を見せられたら、愛おしくてずっと抱きしめてしまう。


 はじめが、子供を抱いている姿。

 絵画にはならないかもしれないが、凛よりも神聖なものに思えた。


 でも現実には、俺とはじめの間に子供はいない。もしもいたら、それこそ大きな騒ぎになる。

 今、何をしているのだろうか。風の噂では、別館が建てられて、そこでひっそりと暮らしているらしい。社交界はおろか、外出もまったくしていない。

 俺との離婚のせいだとしたら、罪悪感に襲われる。いや、絶対にそうだ。俺と顔を合わせたくないから。


 そこまで俺を恨んでいたのか。お互いに上手くやっていたと思うのに。


 ……あいつのせいか。

 俺の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。あいつにそそのかされて、家から出ようとしていないのかもしれない。はじめは騙されているんだ。


 そう考えたら、いてもらってもいらなくて、俺は蓮沼家の中でも潜入に特化している人間を呼び出した。


「武内家に潜りこんで調べて欲しい」


 もしも、本当に騙されているのだとしたら、幼なじみとして目を覚まさせなくては、

 二度と会えないなんて、そんなの駄目だ。絶対に許せない。






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