第18話 大事なもの





 子供が産まれて、生活は一気に変わった。

 出来る限り自分の力で育てたいと、ずっと一緒にいる。ご飯にオムツに夜泣きに、全てを一人でやっていると、寝不足でふらふらになった。

 これを、世間一般のお母さんはやっているのか。尊敬の念を覚える。さらに子供が増えれば、いくら手があっても足りないだろう。


 大変なことはもちろんあるけど、それ以上に嬉しいことばかりだった。産まれた時は猿みたいだったけど、今はふわふわふにふにでまた可愛い。その可愛さは使用人までもを魅了していて、俺の部屋での仕事は当番制になっている。みんな仕事をしながら、赤ちゃんを見たいらしい。当番制にしているのは、そうしないと他の仕事が疎かになるからだ。大人気である。


 父も華崎も同じで、部屋に来るのはいいけど、頻度と時間が長い。仕事をしている様子が見られないから、絶対に支障をきたし始めていた。いつ注意するべきかと、考えているところだ。



 そうだ。とても大事なことを忘れていた。ものすごく悩んでいたのだが、やっと名前が決まったのだ。


 いつも部屋に入ってくる時は、デレデレとした表情をしているのに、眉間にしわを寄せているから分かりやすかった。絶対に名前の件で来たんだと。

 入って来たのに、扉のところで落ち着き無くしているから、見かねて声をかけた。


「こっちに来てください」


「あ、ああ」


 俺の呼び掛けに、ゆっくりと近づいてくる。ちょうどあやしていたところだったので、父に抱いてもらった。ご飯も食べてオムツもさっき取り換えたばかり、とても機嫌が良くなる腕の中で楽しそうに笑っている。

 それを見ている父の肩から力が抜けた。


「……この子の、名前なんだが……」


「はい」


「……誠一せいいちというのはどうだ。誠実の誠に数字の一と書いて」


「……」


 とてもいい名前だと、すぐに思った。気を遣ったわけじゃない。心の底から、そう思った。


「誠一。ありがとうございます。この子にピッタリの名前ですね」


「そ、そうか」


「誠一」


 名前で呼べば、自分が呼ばれたのだと分かったのか、きゃっきゃとご機嫌に笑う。


「気に入ったみたいですね」


「……ああ、」




 そういったやり取りを経て、名前は誠一に決まった。呼びかけるために笑ってくれるので、これといって用事もないのに、みんな名前で呼ぶ。一番最初に覚える言葉は、誠一になりそうだ。


 誠一は、認めたくはないが俺にも蓮にもよく似ていた。俺よりも蓮に似た方が将来有望だけど、成長するうちにバレそうだ。絶対に否定するが。


「誠一はこの小さい口が可愛いな」


「そうですね。この吸い込まれるような黒い目の色も綺麗です。まるでブラックダイヤモンドのようで」


「確かに。今度ブラックダイヤで何か作らせるか」


「止めてください。誠一にはまだ早いです」


 父も華崎も蓮に似ていることは認めたくないのか、俺に似ているところばかりを褒める。大人げない大人だ。

 父がこんなに子供っぽいとは思ってもいなかった。いつも仕事人間で、機嫌が悪そうに眉間にしわを寄せているところしか見なかった。しかし今は、知らない父ばかりを見ている。


 これも全部、誠一のおかげだ。

 この子は宝物で、そして幸運を運んできた天使だ。こんなにも幸せでいいのかと、そう怖くなる時もある。

 蓮と暮らしていた時に感じられなかったのに、最近ははたくさんの愛を感じていた。家族というのは、こういうものなのか。とても温かい。


 自分が親になれるのかと、ずっと不安だった。ちゃんと愛情を与えられるのかと。

 しかし、誰しもみんな初めてなのだ。間違えることもあるし、分からないこともたくさんある。そこから何も変えないのは良くない。

 一緒に成長していけばいいのだ。誠一と共に。



 そういえば、凛のところも子供が産まれたのか。俺よりも大きかったから、きっともう産まれているはずだ。

 可愛い子が産まれたのだろうな。凛に似たら絶対に。


 もしもこんな関係になっていなければ、色々と相談しあえたかもしれない。一緒の幼稚園や学校に通わせて、家族ぐるみの付き合いもしていたかもしれない。子供達が結婚したりなんてことも。

 最初から間違っていた関係性だから、絶対にありえない話だけど。そうなっていたら楽しかった。


「誠一。ゆっくりでいいから、元気に育ってくれ」


 頭にキスをすれば、ミルクのいい匂いがした。これが、今の俺の幸せの匂いだ。

 胸いっぱいに吸い込んで、優しく抱きしめる。

 最近は目がぱっちりと開いて、俺の顔をじっと見るようになった。真顔も可愛い。しかし、笑った時が一番だ。

 場が明るくなり、悲しくても辛くても嬉しくなる。そんな効果があった。


 蓮が、誠一の存在を知ったら、どう思うのだろう。困るだけか。存在すらも認めず、嫌悪の表情を浮かべる可能性もある。受け入れてくれるだなんて、そんな夢物語は考えない方がいい。


 やはり、絶対に隠さなくては。父親を知らないままだけど、絶対に他の子と同じように幸せにしてみせる。

 誠一のために、俺は誓いを立てた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る